205 聖女と嘘
あのとき、いったい何が起きていたのか。
それは今の私にはわからない。
大聖堂の荘厳な空気と歴史が作り出した幻だったのかもしれないし、幽霊や精霊的な何かなのかもしれない。
あるいは、ただかくれんぼが上手で少し変わった女の子なのかもしれない。
いずれにせよ、彼女の存在は聖女とその周囲を取り巻くシステムについて考えるきっかけを私にくれた。
偉い大人は嘘をついているとメルちゃんは言った。
そして、聖女が一番の嘘つきなのだと。
彼女が伝えようとしていたことについて考える。
しかし、答えは出ない。
情報があまりにも少なすぎる。
私は元聖女候補者のエリーさんとライザさんに聖女についての話を聞く。
「聖女の話? いいっすよ。私、こう見えて結構詳しいんで」
「私は詳しくないですし、違法賭博の話をしたいです」
二人は教国における聖女とその周辺についてその概要を教えてくれる。
「歴史上、最初の聖女を神が遣わせたのは千年前の祖国戦争のときっす。困窮している国の救世主として聖女は現れ、その絶大な魔力と祈りで人々を救いました。しかし、彼女のことを誰もが最初から本物の聖女だと信じていたわけではありません。疑う声の方がむしろ多かったという記録もあります。『奇跡なんてない』とか『嘘つき』とか『悪魔』とかそんな風に書かれている資料も実際に残っているっす」
「私は違法賭博の話の方が楽しいと思うのですが」
ライザさんの言葉を無視してエリーさんは続ける。
「聖女が本物の神の使いと信じられるようになったのは、ルタゴの奇跡と呼ばれる出来事がきっかけっす。ルタゴの戦いで矢を受けた聖女は崩れ落ちて絶命しました。心臓が止まっていたこと、体温が失われたことがたしかに確認されたそうです」
エリーさんは言う。
「人々は深く嘆き悲しみました。しかし、その二日後聖女は蘇りました。たしかに矢を受け絶命したはずの聖女が生き返り、人々の前に姿を現したのです。この奇跡から、急速に聖女を支持する声は大きくなっていったっす」
「蘇るという現象は違法賭博でもあります。たとえ金貨五百万枚の借金を背負っていても、追加で百万枚の借金をして六倍の勝負に勝てばすべて返済できる。これこそが違法賭博で最も生を実感できる瞬間です。私も、五千万の借金を一夜で返済したことがありました。伝説というのは多分ああいう夜のことを言うのでしょう」
しとやかな修道女のような声で言うライザさん。
視線も向けずに無視してエリーさんは言う。
「そして、聖女を信仰する人々の教義――クラレス教が生まれたっす。クラレス教を中心とした国としてこの国は発展しました。聖女は死の間際、次なる聖女が生まれることを予言し、その言葉の通り人々は全国から聖女の可能性がある少女を集めました。そして、その中から実際に高い魔力を持つ新たな聖女が生まれました。今も聖女候補者制度として、この死後選定のプロセスは続けられています」
「聖女になれなかった聖女候補者はどうなるの?」
「大聖堂内や関係施設で働くというのが一般的っすかね」
「一般社会に帰属したという例は?」
「私は聞いたことないっす。歴史上一度もないかと言われると自信はないですけど、ほとんどないと言っていいんじゃないっすかね」
エリーさんは言った。
「違法賭博……」とライザさんは言ったが私たちは無視した。
「聖女について嘘があるとしたらどこだと思う?」
私の言葉に、エリーさんは真っ直ぐな目で言った。
「嘘はひとつもないっす」
黒い瞳は打ち付けられたみたいに静止していた。
「すべて真実でこれが歴史っす。そう教えられましたし、私は信じています。神は信じる者すべてをお救いくださる。酒がどうしても止められない出来損ないだって絶対に見捨てたりはしないんすよ」
エリーさんは両手を組み合わせて言った。
「そして私たちはみんなで神様が暮らす本物の楽園に行くんす」
エリーさんは心から聖女と教義を信じているようだった。
そこには一点の嘘もない、と。
すべて本当にあった出来事そのものなのだと。
多分、その教えに彼女は救われているのだろう。
ダメな自分でもいい、と認めてくれている。
そこに自己を否定しなくていい理由をもらえているからこそ、絶対に疑うわけにはいかないし、疑う人は許せないのだ。
それはそのまま、彼女自身の救いを疑うことになるから。
修道女なのに酒をやめられないダメな自分は、救われないかもしれないという残酷な物語と向き合うことになってしまうから。
信じることで誰かを救うことができる。その意味で言えば、宗教にはすごく良い面もあるのだろう。
しかし、その気持ちを利用する悪い宗教もこの世には存在する。
クラレス教が悪い宗教なのかはわからない。
だけど、すべてが真実ではないのだろうと私は感じている。
根拠は無いけれど、私はクラレス教の中にある嘘がルークの居場所につながっているような気がしていた。
大聖堂の資料室に潜り込んで、素早く情報を収集する。
『失われた旧文明の遺跡』で採掘された迷宮遺物が数十点、大聖堂内に保管されていることを知る。
未踏領域と遺跡にほど近いこの地域は、昔から迷宮遺物の恩恵を多く受けていたらしい。
しかし、それ以上のことはわからなかった。
私一人にできることには限界がある。
答えに近づくために、私はメルちゃんにもう一度会わないといけない。
メルちゃんと再会したのは翌日のことだった。
ルークの居場所についての手がかりを、何一つ見つけられないまま迎えた午後三時に、メルちゃんは私に声をかけた。
「なにしてるの?」
私は少しの間考えてから答える。
「潜んでる悪い人を探してる」
「ひみつきしだん」
「そういうこと」
目を輝かせるメルちゃんに私は言う。
「一緒に探そうか」
それは多分、彼女が欲しかった言葉だったのだろう。
大きくうなずいたメルちゃんと一緒に大聖堂を探索する。
楽しく冒険しながら、私はさりげなく彼女の肩に触れた。
実体はある。
熱もある。
幽霊や精霊の類いではないように感じられる。
「おねえさんはあそんでくれるからすき」
淡々とした言葉の中に、少しだけ喜びの気配が感じられる。
「あそんじゃダメっていわない。みんなとはちがう」
「遊んじゃダメって言われるの?」
「いわれる。わたしはなかまはずれ」
「どうしてメルちゃんは遊んじゃダメなんだろう?」
メルちゃんは私の問いに答えなかった。
答えたくない、という風に見えた。
行き交う司祭や修道女に見つからないように注意しつつ、少しの間二人で遊んだ。
小さい頃子供たちの間で流行っていた手でできる対戦ゲームを教えると、メルちゃんは目を輝かせて楽しんでくれた。
「すごい。こんなにたのしいのはじめて」
「またまた大げさな」
「ちがう。ほんとうに」
メルちゃんは言う。
じっと私を見て続ける。
「せいじょのうそについてかんがえた?」
メルちゃんの問いに私はうなずいた。
「考えたよ。自分なりに調べてもみた。でも、わからなかった」
「そう」
メルちゃんは短く言った。
そこには何の感情も含まれていないように見えたけど、あるいはその奥に複雑な感情が隠されているのかもしれない。
「クラレスきょうはきずついたひとをすくうことができるやさしいうそ。だからこそ、おとなはみんなをあざむかないといけない。しんじつをしられてはいけないから。うそだとわかると、しんじてくれたひとたちをもっときずつけることになってしまうから」
メルちゃんは言う。
「だからわたしはわたしをてばなさないといけない。なにももとめてはいけない。みんなのためにすべてをささげて、みんなのためにしなないといけない。それがわたしのしごと」
確信と自負に満ちた言葉だった。
「そんなのおかしいよ。メルちゃんにはメルちゃんの人生を生きて幸せになる権利がある」
「わたしにはない」
「どうして――」
「わたしはにんげんじゃないから」
メルちゃんはにっこり笑って言った。
「わたしはとっきゅういぶつのきかいにんぎょう。せいちょうしてしに、またこどもにもどる。にんげんそっくりのきかいにんぎょう」
優しい笑みがやけに印象に残った。
「にしのれいはいどう。パイプオルガンのしたにあるかくしとびらにあやしいひとがはいっていくのをみた。あそんでくれてありがとう。おねえちゃん」