204 菜園で一番やばい二人
働くことになった菜園は、聞いていたとおりあまり良いところでは無かった。
大聖堂の流刑地と陰で呼ばれている、他の部署で大きな失敗をした人が集められている場所。
道具や機材は骨董品みたいに古びたものばかりだったし、手入れもろくにされていない。
働く人の目に生気はなく、まるで仕事をせずに土の上で寝ている人までいる。
「何をすればいいですか?」と聞いた私に、菜園の長を務める男性は「何もしなくて良い」と言った。
「何もしなくていいとは?」
「そのままの意味だ。余計な仕事を増やすな。君たちは何もせずにただここにいればいい」
多分、ここにいる人たちはみんな同じように言われているのだろう。
だからこそ、びっくりするくらいやる気が無いし、土の上で寝転んでいたりもする。
私はニーナと手分けして、菜園で働く人の情報を集めた。
女性の数が多いのは、問題を起こした聖女候補者たちの追放場所でもあるかららしい。
全員と話をし、比較的信用できそうな同僚を二人見繕う。
「聖女候補とかやってらんないっすから。酒飲んじゃダメって言うんすよ。そんなの人間の生活じゃないじゃないっすか」
空の酒瓶の匂いを嗅ぎながら、土の上でごろごろしている元聖女候補のエリーさんと、
「貴方は神を信じますか? 私は信じています。神は寵愛として我々に素晴らしい贈り物をくださいました。それが違法賭博です」
敬虔な修道女のような顔で言う元聖女候補のライザさん。
「な、なかなか個性的な人たちだね……」
困惑した顔のニーナに小声で言う。
「だって、他に信用できそうな人いないでしょ」
「この人たちも大概だと思うけど。というか、菜園でもとびっきりやばい目をしてる二人だし」
ニーナの言う通りだった。
『百を超える来客用の酒を密かに盗んで飲み、聖女候補の地位を剥奪されたエリーさん』と、『枢機卿の金を盗みだして違法賭博につぎ込んだライザさん』は数多くいる元聖女候補の中でも一線を画すレベルのやばい二人。
私たちがこうやって話している間もエリーさんの手はアルコール中毒でふるえていたし、ライザさんは一人で違法賭博がいかに魅力的か語っていた。
「賭けられる金額に制限がないのがいいのです。たくさんのお金が一瞬で失われていく感覚。血の気が引いて心臓がぎゅっとなって、感じるのです。ああ、私は今生きている、と。これこそが生の喜び。神が私たちにお与えになった最も尊いものです」
ニーナは虫を見るような目でライザさんを見ていた。
ちゃんとした両親に育てられたニーナなので、違法賭博に狂っているライザさんは自分の常識の対極に位置する存在なのだろう。
「一番信用しちゃいけない二人な気がするけど」
「ううん、この二人は信用できる。社会のルールよりも自分の『好き』を優先して生きているから。私も近いところがあるからわかるんだ。こういう人は自分の『好き』は絶対に裏切らない」
「ノエルとは大分違うと思うけど……」
「大丈夫。この二人は約束は平気で破るけど、酒と違法賭博は絶対に裏切らない」
理想を言えばもちろんもっと誠実そうな人に頼みたいのだけど、贅沢を言っていられる余裕は無い。
今打てる手の中で最善を尽くさないと。
私は酒と違法賭博をエサにして、二人を買収した。
二人とも、クリスマスの朝の子供みたいに目を輝かせていた。
ニーナは冷たい目で二人を見ていた。
「この変身薬を三十分に一度飲んで。周囲からは見られないように。飲むのを一度でも忘れたら、ご褒美は無しだから」
「そんな……」
愕然とした顔のエリーさん。
「どうかお慈悲を……! 少しだけ。少しだけで良いので違法賭博を……!」
すがるような目のライザさんに首を振る。
「ダメ。絶対ダメ。仕事は完璧に遂行すること。いいね」
きつく言い聞かせる。
甘さを見せるとつけ込まれるので、毅然とした態度で向き合うのが大切。
入れ替わりはトイレで行った。
二人に変身薬で私たちに姿を変えてもらい、監視の目が離れるのを待ってから、私とニーナは隠蔽魔法で菜園の外へ抜け出す。
エリーさんとライザさんは、めちゃくちゃやばい人として周囲から認識されているので、しばらくの間姿が見えなくても『あの二人だし』とさして違和感はもたれない。
ニーナと二人で手分けして、大聖堂の中を探索する。
昼の大聖堂は人の気配が少なくがらんとしていた。
聖女候補者と司祭たちが外の救貧院を回っているからだろう。
枢機卿の執務室には来客があるみたいだった。
誰が来ているのだろう、と思いつつ周囲を探索する。
聖女候補者が暮らす宮殿のような建物と三つの礼拝堂。
七つの広間と芸術品が貯蔵された宝物庫。
美しい壁画や天井画、聖者を象った彫像が飾られている。
厳かで壮麗な空気に思わず背筋が伸びる。
「なにしてるの?」
階段の陰に隠れていた私は、最初その声に反応できなかった。
声には人間的なあたたかみが一切含まれていなかったし、まるで人間以外の何かが話しているような感じがした。
しかし、そこに立っているのはたしかに人間だった。
あるいは、人間の姿をした何かなのかもしれない。
彼女は、幼い子供のような外見をしていた。
年齢は十歳くらいだろうか。
美しく整った顔立ちと銀色の髪。
「なにしてるの?」
小首をかしげて少女は言う。
私は少しの間考えてから言った。
「悪い人を探してるの」
「わるいひと?」
「隠れて中に入ってるかもしれないから。お姉さんは内緒で探すように頼まれてここにいるんだ」
私は人差し指を唇に当てて言う。
「だから私のことはみんなには内緒ね」
「ないしょにしないとダメ?」
「内緒にしてくれるとお姉さんはうれしいな」
「わかった。ないしょにする」
うなずいてくれたことにほっと安堵する。
話し方がゆっくりで発声の仕方が独特な女の子だった。
黒目がちな瞳には感情の色が乏しく、どことなくミステリアスな雰囲気を醸し出している。
「貴方はなんて名前?」
「わたしはメル」
「メルちゃんはここで何をしてるの?」
「かくれんぼ」
「かくれんぼしてるんだ。友達としてるの?」
「ううん。ともだちはいない」
「そうなの?」
「みんなわたしをなかまはずれにするから」
淡々とした声だったけど、そこには少なからず悲しいという感情が込められているように感じられた。
多分聖女候補者の女の子なのだろう。
この年頃の子供はいろいろと難しいところもあるし、この子は少し変わってる感じがするからうまく噛み合わなくて、仲間に入れてもらえなくなってしまったのかもしれない。
少し考えてから、私は言った。
「じゃあ、お姉さんと秘密騎士団ごっこしようか」
「ひみつきしだんごっこ?」
「隠れて悪い人を捕まえるの。お姉さんが団長でメルちゃんは副団長」
「メルがふくだんちょう……!」
目を輝かせるメルちゃん。
興味を持ってくれたらしい。
(危ないことには巻き込まないように。あと、裏切る結果になって傷つけることはないようにしないと)
気を引き締めつつ私は言う。
「メルちゃん。この大聖堂に隠れている悪い人に心当たりはないかな」
メルちゃんは私の問いかけにしばらくの間考えてから、「ない」と言った。
子供は大人が思っているよりずっと聡いものだから、もしかしてヒントがもらえるかもという期待があったのだけど、そう簡単にはいかないものだ。
「でも、このばしょのことはよくしっている」
「そうなの?」
「うん。どういうひとたちがなにをしているのか」
言葉にはどこか意味深な奥行きがあるように感じられた。
「教えてくれる?」
うなずいてからメルちゃんは言った。
「ここにはうそつきとだまされている人たちがいるの」
「嘘つきと騙されている人?」
「うん。おとなはうそつきで、みんなはそれにだまされている。でも、そのうそがなによりもかちのあるたいせつなものなんだっておとなはいってた」
「そうなんだ」
メルちゃんの話は曖昧で、意味するところを掴むのが難しい。
だけど、そこには見過ごしてはいけない大切な何かが含まれているように感じられた。
「聖女様も大人に騙されてるの?」
私の言葉に、メルちゃんは首を振った。
「せいじょがいちばんのうそつきだよ」
予想外の言葉に息を呑んだそのときだった。
近づいてきた足音に私は身をすくめる。
階段の陰から様子を窺って、ほっと息を吐いて手を上げた。
「ニーナ、こっち」
小声で呼ぶ。
「何か手がかりはあった?」
「ダメ。何も」
小さく首を振るニーナ。
「私も全然ダメ。でも、心強い味方は加入してくれたよ」
「心強い味方?」
「うん。ほら、ここに」
うなずく私の後ろの方を見て、ニーナは怪訝な顔をした。
「誰もいないように見えるけど」
「え?」
振り向く。
そこには誰もいない。
メルちゃんの姿は消えている。
最初から何もいなかったみたいに。
「ノエル、大丈夫?」
心配そうなニーナに「大丈夫」と返しつつ私は考える。
たしかにあった出来事とその意味について。