202 救護院と聖女候補者
ニーナは倒れている私に回復魔法と状態異常を解除する魔法をかけてくれた。
全身に力がみなぎるのを感じる。
魔法医師の資格を持っているからだろうか。
ニーナの回復魔法は王宮魔術師団の中でもそう簡単にお目にかかれないくらいに質が高い。
そう褒めると、「いやいや私なんてそんな」とうれしそうにしていた。
できればもっと褒めたかったけど、今は襲撃してきた三人を無力化する方が先決。
彼らが着ていた服を利用して両手と両足を縛る。
ランタンを持ち上げると、光の先にニーナの顔が見えた。
懐かしい面影のある友達の顔。
なんだか前より少し大人になったように見えた。
「どうしてニーナがここに?」
「ノエルの手紙をお母さんが、私がいる迷宮の探索基地に転送してくれたの」
「でも、大きなクエストの途中だったんじゃないの?」
「困ってる友達の方がずっと大事でしょ」
当然のように言うニーナ。
「だけど、びっくりしたよ。急いで戻ってきたら、冒険者ギルドではノエルのギルドカードが停止みたいな話になってるし。遠くで急いでいるノエルの後を尾行しているっぽい人たちがいるし」
「それで、後を追いかけてきてくれたんだ」
「気づかれないように後を追うのはなかなか骨が折れたけどね。でも、一番近くで尾行していた人がやられて、追跡者たちも混乱していたみたい」
「あー、あのときの」
一人は先に撃退していたけど、それがそんな効果を産んでいたとは。
「優秀な仲間がやられたことで、全神経を注いでノエルを警戒していたんだろうね。おかげで素人の私でも気づかれずに済んだ」
「最後の不意打ちも見事だった」
「ミラクルスーパーマジカル鈍器(物理)だよ。杖の柄で首の後ろをえいって」
「なんかしばらく見ない間にバイオレンスになったね」
「私は昔から結構こんな感じだけど。最初に教わった師匠がそういう人だったから」
随分野蛮な人に教わったらしい。
なんでそんな人に、と思ってから不意に気づく。
(あれ? ニーナの師匠って私では……?)
慕って後をついてきてくれる子供時代のニーナを思いだす。
別にそんな暴力的な感じではなかったはず、と思いつつ過去の自分を振り返った。
記憶の中の私は、魔法と称していじめっ子に跳び蹴りしたり、助走を付けて頭突きしていたりした。
「…………」
お淑やかで上品なニーナに、私はとんでもない影響を与えてしまったのかもしれない。
(考えるのをやめよう。ニーナはうれしそうだし、良い影響ってことにしておこう)
記憶を都合良く解釈しつつ、ニーナに状況を説明する。
「ほんとだ……異常な魔素量の排水が大聖堂から……」
実験結果と魔法障壁を見て、言葉を失うニーナ。
見開かれた目が、教国の人にとっても信じられない事実であることを示している。
「大聖堂の中に原因になりそうな施設はある?」
「わからない。大聖堂内部のことはなかなか外に出てこないから。教国では近年、そのあたりの隠蔽体質が問題になってるんだよね。クラレス教の司祭が幼い男の子に性的暴行をしてたって事件とかもあったりして」
「女の子じゃなくて男の子なんだ」
「そのあたりは異性との関係に厳しい教義が遠因なのかな。部外者の私にはわからないところだけど」
ニーナは目を伏せてから続ける。
「ここだけの話だけど、私は何度か大聖堂に入ったことがあるの。魔法医師資格を持つ回復魔法使いとして、聖魔法を使った治癒術式に参加してほしいって。表に出してはいけない話だから外では言わないでね」
念を押すように言ってから、口を開いた。
「そのときに見た印象からすると、二つの可能性があると思う。ひとつは、大聖堂内で力を持つ人物が、内密に異常な魔素量を含んだ何かを持ち込んでいる可能性。もうひとつは――」
「その何者かが内通して、私の敵を聖堂内にかくまっている可能性」
私の言葉に、ニーナは何も言わずにうなずく。
ニーナの結論も同じだった。
状況を前進させるために、私は大聖堂の中に入らないといけない。
予感がある。
そこに捕らわれているルークがいる。
「大聖堂内に入り込むにはどうすればいい?」
「難しいし、危険も伴うと思う。それでも、ノエルは行かないといけないんだよね」
「うん」
私はうなずく。
迷いはない。
これは私がどんな手を使ってもしないといけないことなんだって知っている。
「救護院のボランティアからなら潜り込めるかもしれない。聖女候補者と司祭たちは、毎日街の救護院を回って、貧しい怪我人や病人に治療をして回っているの。その手伝いをするボランティアの人が必要なんだけど、なかなか人が集まらなくて困ってるって聞いた記憶がある。汚いし劣悪な環境で希望者たちもすぐに辞めちゃうって」
「任せて。そういうの得意だよ」
私は口角を上げる。
その辺の草を食べて育った私だから、潔癖症とはほど遠いところにいるし、過酷で忙しい現場の経験なら誰にも負けない自信がある。
私の言葉に、ニーナはうなずいた。
「挑戦してみよう。ついてきて」
結論から言うと、救護院でのボランティアの仕事に潜り込むのは難しいことではなかった。
人手不足な上に、ニーナは司祭たちと聖女候補者から優秀な回復魔法使いとして認識されていた。
仕事内容を聞いてから、効率よく治療ができるように現場を回す方法を考える。
地獄のように忙しい職場環境を経験している私は、すぐにいくつかのアイデアを形にして目に見える結果と共に提供することができた。
神聖視されている仕事だからこそ、効率について考える人は今までいなかった様子。
最初は『子供にしか見えないけど本当に大丈夫か?』と冷めた目で見ていた司祭たちも、しばらく一緒に働いているといくらかの驚きとともに私を認めてくれた。
「頼む。次の現場もついてきてもらえないか」
要請にもちろんうなずく。
その日の午後だけで私とニーナは三つの救護院に同行した。
治療した患者は、四百人以上。これは普段の二倍に近い数字だと言う。
「助かった。本当にありがとう」
司祭さんは良い仕事をしたという充実感に顔をほころばせて言った。
「いえいえ、こちらこそ。お仕事すごく楽しかったので」
実際新鮮でやりがいのある仕事で、思わず夢中になってしまったのだけど。
しかし、真の目的は大聖堂の中に潜り込むこと。
ボロを出さないよう猫をかぶりつつ、私は言う。
「よかったら、正式に雇っていただくことはできませんか?」
「君なら大歓迎だよ。私が話を通しておこう。今日これから、大聖堂に来てもらえるかな」
「ありがとうございます」
ニーナとアイコンタクトしつつ、司祭さんたちと聖女候補者さんたちの後に続く。
大聖堂の正門には武装した騎士が四人配備されていた。
普段以上に緊張感が漂っているのは、先日の聖女暗殺未遂事件が原因なのだろう。
入り口には声と指紋を利用した認証装置がある。
変身薬を感知する最新式のものだ。
さすが大陸屈指の厳しい警備態勢、と感心しつつ後に続く。
門を通り抜けて、魔法障壁の内側に。
(裏から見るとこういう機構になってるんだ)
思わず足を止めて見入ってしまいそうになるけれど、変に思われて採用の話がなくなっては困るのでここは我慢。
(見たい、めちゃくちゃ見たいけど我慢……!)
自分に言い聞かせつつ、落ち着いた社会人女子としての振る舞いを意識する。
まず最初に見えたのは空高くそびえる尖塔だった。
石畳の庭園。
古く歴史を感じる豪壮な装飾の数々と季節の花々。
ただ門をくぐっただけなのに今までいたのとは違う世界に来たみたいな錯覚がある。
さすがは聖地ということだろうか。
司祭さんに先導されて、聖クラレス大聖堂の内部を歩く。
世間話に相づちを打ちながら、横目で施設の構造を観察する。
敵はどこに入り込んでいるのか。
ルークが捕らわれているのはどこか。
今は少しでも情報がほしい。
私たちが連れてこられたのは、大聖堂の奥にある一室だった。
「枢機卿に話を通して来ます。少しの間ここで待っていてください」
(枢機卿ってたしか、聖女の最高顧問で大聖堂の最高責任者だよね)
図書館で読んだ資料の記述を思いだしつつ、ニーナと肩を並べて扉の前で待つ。
小さな女の子が四人、扉の前を通りがかる。
年齢は七歳くらいだろうか?
修道服は身体の割に大きく、ローブが目を覆わないように、暖簾を上げるみたいに手を添えている。
「あの子たちは?」
小声でニーナに聞く。
「聖女候補者だと思う。教国の各地から魔力と聖魔法の素養がある子たちが集められているの」
「ここで暮らしてるの?」
「多分孤児院や救貧院から拾われた子たちだと思う。最近の聖女候補生の多くはそういう子たちで占められてるって聞くから」
話を聞きながら、思いだしたのはどぶさらいの依頼をしていたおじいさんのことだった。
好きだった幼なじみが聖女候補者に選ばれて帰ってこなかったって言ってたっけ。
「家族から切り離される形で聖女候補者になる人もいるんだよね」
「強制というわけではないけどね。家族に問題を抱えていたり、あるいは家族が望んで送り出す形が多いみたい」
「望んで送り出すの?」
「聖女候補者に選ばれるのは名誉なこととされているからね。聖女に選ばれたとなると、その家族も教国から手厚い支援が受けられる。口減らしをして家計の負担を減らしたいという家族もいるし」
「となると、聖女候補者は貧しい家の子たちの方が多いのかな」
「正確な情報は外には出てこないけど、多分そうだと思う。名誉のために娘を送り出す上流階級の人の話も聞くことはあるけど、数の上では少ないんじゃないかな」
なるほど、そういう感じで成り立っているらしい。
『どぶさらい』の依頼者だったおじいさんの幼なじみの場合は、父親が家庭内で暴力を振るっていたことが聖女候補者になった理由の一つでもあるのだろう。
「一度聖女候補者になると、普通の人に戻ることはできないの?」
「正確なところはわからないけど、多分そうなんじゃないかな。イメージとしては、神様にすべてを捧げて尽くしますって感じだし」
私は聖女候補者の人たちの生活を想像した。
俗世から切り離され、質素な食事を摂り、貧しい病人のために救護院を回る。
それは想像するよりずっと過酷な生活であるように感じられる。
豪壮な扉が軋んだ音を立てたのはそのときだった。
ゆっくりと扉が開いて司祭さんが出てくる。
「枢機卿の許可は得られました。ただ、お二人が大聖堂で働くためには二つ条件があると仰られています」
司祭さんは唇を噛んで言った。
「先に言っておきます。お二人は大聖堂で働かない方がいいと思います」