198 クラレス教国
クラレス教国に到着した私は、早速ルークを助けだすために行動を開始することにした。
悪い連中をぶっ飛ばして、ルークを王国に連れ帰るのだ。
私の大活躍にルークもひれ伏して感謝すること間違いなし。
『すごいよ。一生かかっても僕は君には勝てないよ』
敗北を認め、ひざまずくルークを想像して頬をゆるめる。
さて、このエンディングにたどり着くために私がするべき行動は何か。
頭の良い私なら、すぐに思い浮かぶだろうと考え始めて十分が経った。
(びっくりするくらい何も浮かばない……!)
愕然とする。
教国に来たはいいものの、何の情報網も持っていない一人の旅行者に過ぎない私だ。
敵に繋がる手がかりなんて何一つない。
その上、相手は王宮魔術師団相手にも存在を悟られることなく暗躍していた難敵なのだ。
今更ながら、目の前の壁の高さを痛感する。
(いったいどうすれば……)
何をすればいいのかわからないとき、思いだすのは――いつかあいつに言われた言葉。
『お前、時間をかけず一度に解こうとしてるだろ』
わからないときの対処法。
『問題を切り分けて考えろ。地道にひとつずつわかることを整理していけ。そうすれば、どんな難問でも必ず正解に近づける』
目を閉じた私は学生時代に戻っている。
あの日の私とあいつがそこにいる。
あれから、私はたくさんのことを経験した。
魔道具師ギルドの狂気的な納期。
王宮魔術師団で遭遇したキャパシティを超える出来事の数々。
(大丈夫。きっとできる)
自分に言い聞かせる。
まずは私が私自身を信じてあげないと。
(一気に進もうとしない。手短なところから、できることを地道にひとつずつ)
たくさん仕事があるときの対処法だ。
私は時計店で安価な腕時計を買ってから、街で一番大きな図書館に向かった。
教国で発行されている三社の新聞を手に、必要な情報を収集する。
一番大きなトピックは先週起きた『聖女暗殺未遂事件』だった。
アーネストさんも話していたこの事件は、非常に大きな驚きと衝撃をもって教国で取り扱われていた。
実行犯である数名が写った白黒の写真が載せられている。
その一人はたしかにルークに似ている。
いや、外見はルークそのものなのだろう。
そうじゃないと、こんな風に証拠となり得る写真を撮らせない。
(王宮魔術師団の関与を疑わせ、状況をさらに複雑にするのが狙い)
大切な親友が利用されている。
その事実に私は拳を握りしめる。
爪が肌に食い込んで痛む。
息を吐いて、心を落ち着けてから紙面を読み進める。
教国において聖女は特別な存在であるみたいだった。
より詳しい知識を得ようと分厚い辞典を手に取る。
そこには聖女という存在とその歴史が綴られている。
千年前に聖女が現れるまで、この国は西に隣接する未踏領域の魔物に苦しめられていた。
多くの人々が死に、耕作地は荒らされ、食糧難によってまた人が死んだ。
危機に瀕したこの国を周辺の国々は助けようとはしなかった。
それどころか、これを好機ととらえ教国に攻め込み土地と資源を奪った。
アーデンフェルド王国は参戦しなかったけど、見て見ぬフリをしたという意味では同罪と言えるかもしれない。
積み重なる不幸と理不尽に対して、教国の人々は祈りに救いを求めた。
苦しみも痛みも神がお与えになった寵愛なのだ。
耐え抜き誠実に生き続ければ、死後の審判で天国に行け、現世では得られない幸福を得ることができるのだ。
その教えが真実なのかはわからない。
死んだ後のことは生きている私たちにはわからないから。
しかし、少なくともその教義は彼らの心の支えになったし、苦しみをやわらげる希望になった。
人々は祈り続けた。
そして、――奇跡が起きた。
それは山奥の村で暮らしていた一人の少女だった。
彼女は常軌を逸した魔力量で、どんな重たい怪我も一瞬で治す治癒魔法を使うことができた。
荒廃した土地はみずみずしい新芽にあふれ、魔法結界が西に生息する魔物と攻め込んだ他国の兵士を封じ込めた。
人々は聖女を称え、彼女は国の象徴となった。
聖女が亡くなると、その生まれ変わりが現れ、新しい聖女となった。
聖女はその力で草木に力を与え、病の人を治療し、外敵から人々を守り続けた。
今の聖女は十九代目で十二歳。
聖女の生まれ変わりかもしれないと集められた九十七人の中から選ばれた本物の聖女なのだと言う。
教国には千三百を超える聖女クラレスの像があり、その奇跡に人々は今も感謝しながら生活を営んでいる。
(そんな最重要人物の暗殺未遂となると大事件になるのも当然か)
資料を読んでいて感じたのは、この国の持つ歪な構造だった。
食料生産も国防も社会福祉も、その多くが聖女という一人の存在に大きく依存している。
もし聖女がいなくなれば、それは太陽がなくなってしまったようなもの。
国全体が大きな混乱に陥るのは間違いない。
(そんな大役を、十二歳の女の子にやらせていることについてはどうなんだろうと思うけど、それ以上に暗殺しようなんて連中は絶対に許しておけない)
絶対ぶっ飛ばしてやると思いつつ、情報収集を続ける。
気がつくと十二時を過ぎていた。
図書館を出て、近くにあったパン屋でお昼ごはんを調達する。
パンを十一個、街路のベンチに座って食べた。
(王国のパンより硬いけどこれはこれで美味しい)
異国の味を堪能してから、午後の活動開始。
まずは聖都の冒険者ギルドに向かうことにした。
冒険者ギルドならニーナのことを知っている人もいるかもしれない。
加えて、手紙に私の連絡先として書いたのが聖都の冒険者ギルドだった。
冒険者ギルドには、活動している冒険者への連絡先として荷物や手紙の受け取りをしてくれるサービスがある。
定まった住所を持たない冒険者たちが生活しやすくするためのものだ。
聖都の冒険者ギルドで受付の女性に手続きをお願いする。
「では、冒険者登録をお願いします。こちらのギルド規定にサインを」
規定を流し読みしてからサインする。
「ノエル・スプリングフィールドさん。冒険者としての実績は無しということでよろしいですか?」
「えっと……」
実績が全くないというわけではなかったけど、荷物を受け取るだけだし、何も言わないでおくことにした。
「そうですね。ありません」
「承知しました。Fランクのギルドカードです。手紙や荷物を受け取る際はこちらを提示してください」
「ありがとうございます。ところで、ニーナ・ロレンスって冒険者さんのことを知りませんか?」
「ニーナさんですか? もちろん知ってますけど」
「会って話したいんです。どこにいるかとかわかりませんか?」
「今は、西の結界の先にある迷宮を探索する依頼の最中だと思います。クエストの進捗次第ですが、おそらく来月まで戻らないかなと」
「来月まで、ですか……」
期待していた分、落胆も大きかった。
来月まではまだ二週間近くある。
手紙を送ったのは教えてもらったニーナの家だから、私が来ていることをニーナが知るのは帰ってから。
今回の件で協力をお願いするのはかなり難しそうだ。
(一応できるだけのことはやっておこう)
新しく手紙を書いて、ニーナが滞在している迷宮近くの補給地点に送る。
(エヴァンジェリンさんへの手紙は、そもそもちゃんと届くかどうかも怪しいか)
大森林は遠いから手紙がつくまでにどれくらいかかるのか見当もつかない。
図書館の新聞で確認したところ、森妖精の女王は外交のため、帝国領南部を訪れているということだった。
ドラゴンさんからもらった呼び笛はあるけれど、ドラゴンさんにも予定や事情はあるだろうから、必ず協力してもらえるとも限らない。
(知っている人がいないこの国で、私は一人で戦わないといけない)
そう考えると、どうしようもなく不安な気持ちになった。
明かりのない真っ暗な道を、一人で歩いているみたいに感じられた。
(大丈夫。絶対大丈夫)
自分に言い聞かせる。
「すまない。先日の依頼なんだが」
不意に聞こえたのはしわがれた男性の声だった。
「ダーシーさん。ごめんなさい、受けてくれる方がいなくて」
受付の女性が答える。
声の主は腰の曲がったおじいさんだった。
「誰もいないのか? もう一ヶ月だぞ」
「『どぶさらい』のクエストは近年本当に希望者がいなくて。中には一年以上引き受けてくれる方がいないままの依頼もあるんです」
受付の女性は依頼が貼り付けられた掲示板を手で示す。
たしかに、Fランクの依頼のところには古びた依頼書がいくつも重なり合うように並んでいた。
「なんとか頼めないか。あの小川は本当に大切な場所なんだ。五十年私が清掃してきた。だが、身体が限界なんだ。一度くらい頼ってもいいだろう」
「すみません。希望者がいない以上私たちではどうすることも……」
「頼む。この通りだ」
「ごめんなさい」
受付の女性の言葉に、おじいさんは俯く。
「わかった。ありがとう」
肩を落としてギルドを出て行く。
困っているみたいだし、できるなら助けてあげたかったけど、私にはしないといけないことがある。
『どぶさらい』のクエストなんてしているような時間は――いや、待てよ。
もしかしたら、このクエストはルークの居場所を探す手がかりになるかもしれない。
「すみません、さっきのおじいさんの依頼ってどれですか?」
私の言葉に、受付の女性は私を見て言う。
「その一番端に貼られた依頼ですけど」
掲示板から紙片を剥がして、お姉さんに渡した。
「私にこの依頼、受けさせてください」