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195 後悔してもいいと思える方を


 王宮魔術師団本部中央会議室。


 重たく分厚い扉を開けると、冷たい空気が私の肌を浸した。


 広い会議室の中に、誰も座っていない椅子が並んでいる。


 唯一の例外が一番奥の椅子で、そこにアーネストさんが座っていた。


「遅くに呼びだして悪いな」


 隣にいる人に話しているような声だった。


 広い部屋の中では少し心許なく、聞き漏らさないように意識しつつアーネストさんの傍に歩み寄った。


「構いません。それより、隊長と副隊長を対象とした招集指示だとお聞きしたのですが」

「会議は先ほど終わった。結論を伝えるために私は君を待っていた」

「遅くなってしまい、申し訳ありません」

「いい。本部に戻らず、無断で捜索を続けていたことについても今は不問とする」


 アーネストさんは静かに私を見つめてから、言った。


「ルーク・ヴァルトシュタインの捜索は打ち切りとする」


 低い声が会議室に響いた。


「打ち切りって……どういうことですか」

「宰相と国王陛下の意向だ。王宮魔術師団は王国のために存在する。一人の人間のために、これ以上予算と人員を割くことはできないというのが国王陛下の結論だった」

「ルークは七番隊の隊長です。国の内外問わず知名度も高いですし、失うことによる損失は計り知れない。何より、誰よりも懸命にこの国のために働いてきました。ルークを助けだすことがこの国にとって最善の選択だと私は考えます」

「君の気持ちは理解できる。しかし、身内を救うために民草の血税を使うのは間違っているという国王陛下の指摘ももっともだ。何より、彼が助けられる状態にない可能性も高いと宰相は考えている」

「助けられる状態にない?」

「既にこの世にいないのではないか、と」


 私は息ができなくなる。


 否定したくて。


 あるわけないって言いたくて。


 だけど、それを否定できる理由を私は何一つ持っていない。


 一週間が過ぎている。


 犯人がルークを消そうとしているなら、実行するには十分すぎる時間だ。


 じっと足下を見る。


 目を閉じる。


 唇を引き結び、顔を上げる。



 ――だとしても、私が諦める理由にはならない。



「でも、今ならまだ間に合う可能性もあります。動いていたら間に合っていたのに、と後で後悔する可能性もある」

「もう一つ。彼が我々の捜査できない場所にいるのではないかという話が出ている」

「捜査できない場所?」

「クラレス教国だ」


 アーネストさんは言う。


「教国と王国の関係は良好とは言えない。彼の国における捜査権限を我々は持っていないし、王宮魔術師団にいる限り教国内で行動することはできない。だからこそ【教団】の潜伏先としては最も可能性が高い。加えて、ルーク・ヴァルトシュタインが自らの意志で我々を裏切ったという話も出てきている」

「裏切った? どういうことですか?」


 混乱する私にアーネストさんは言う。


「国の機密情報を持ち出し、それを手土産として【竜の教団】の幹部として行動しているという目撃証言がある。先週教国で起きた聖女暗殺未遂事件でも彼の姿があったという噂がある」

「…………」


 ルークが生きているかもしれない。


 よくないことを聞かされたのにその事実にほっとしている私がいる。


 でも、だからこそ否定しないといけない。


 今、ここにいないあいつを擁護できるのは私だけだから。


 絶対に違うってことをちゃんと伝えないといけない。


 私は頭を働かせる。


 状況の裏に敵の意図を推測する。


「こちらにそう思わせるための策略です。変身薬を使えば、姿を偽装することは簡単にできる」

「それだけではない。一部の貴族層からいくつかの不正に関与していたという証言も出てきている」

「逆です。ルークは不正を行っていた何人かの貴族の弱みを握り、裏で操っていました。彼らがこの機会にルークを追い落とそうとしている可能性があります。少なくとも、ひとつの明確な事実としてルークは何者かに襲われ、望まない形で王宮魔術師団を去った。その証拠となる証言を見つけました」

「証言?」

「あの日、ルークを見たという目撃証言です。ルークは意識を失い、誰かに身体を預けていた」


 私はアーネストさんに証言についての詳細を話した。


「わかった。明日聞き取りを行う。結果によっては、今回の会議の決定にも変更が出るだろう」

「お願いします」


 ルークが襲撃されたことが明らかになれば、捜索は続行になる可能性もきっと残る。


 人員は少なくなるかもしれないけど、それでも助けられる可能性はずっと大きくなる。


 教国内での捜査権限が無いのは痛いけれど、それだって何とかする方法はあるはずだ。


(どんな手を使っても、捜索を続けてもらえるようにしないと)


 翌朝、私はアーネストさんに呼ばれて一番隊の隊長執務室に向かった。


「君が証言を聞いたという男。部下が話を聞いた」

「素早く動いてくださってありがとうございます」

「彼の証言は君の話とは違っていた。ルーク・ヴァルトシュタインは意識を失っていない。自らの意志で何者かと連れだって歩いていた、と話していた」

「…………は?」


 血の気が引くのを感じる。


 口の中がからからに乾いている。


「おかしいです。昨日はたしかに」

「私は難しい判断を迫られている。君が彼のために嘘を言っているのか、あるいは内部に敵の内通者がいて、私の動きを察知して細工をしたか」


 アーネストさんは苦々しげに続けた。


「【教団】が潜伏しているという噂のあるクラレス教国における捜査権限を我々は持っていない。今の状況で彼の捜索を続けることはできないというのが王宮魔術師団としての結論だ」

「七番隊に、いや私だけでも行かせてください。私の独断専行という形で構いません。責任は全部私が取りますから――」

「彼の国は閉鎖的な宗教国家で他国からの干渉をひどく嫌っている。副隊長である君が動けば、国際問題にも発展しかねない。君の手に負えるようなことではないし、王宮魔術師団の指揮権を預かる者として、絶対に君を行かせることはできない」


 アーネストさんは言った。


「この世界は理不尽と不条理に満ちている。どんなに痛くても、耐えられなくても受け入れるしかない」






 その日は一日中、仕事が手につかなかった。


 ルークがいない以上、副隊長の私がしっかりしないといけないのに、目の前の仕事にどうしても集中できなくて。


 ふとしたときに私は何をしているんだろう、とかここにいていいんだろうかとか考えてしまう。


 親友がつらい思いをしているかもしれないのに。


 何もせずにいたら、永遠に会えなくなってしまうかもしれないのに。


「先輩? 大丈夫ですか?」


 七番隊の後輩であり、王宮魔術師団一年目のイリスちゃんが怪訝な顔で私を見ていた。


「ごめん、ちょっとぼうっとしてた」

「謝らなくていいですよ。ぼんやりしてくれてる方が、先輩を超える天才であるあたし的には下剋上チャンスが増えて好都合ですし。そのまま永遠にお休みしていただいても大丈夫なんで」


 挑戦的な笑みを浮かべて言うイリスちゃん。


 そのとき、声をかけてきたのは同じく七番隊の後輩であるマイルズくんだった。


「これ、チェックお願いします」

「わかった――ってこれ私の分の仕事じゃ」

「イリスが先輩大変そうだからやっとけって言うので」

「は? それは言うなって――いや、こいつが言ってるのは嘘で」


 慌てるイリスちゃんとにやりと口角を上げるマイルズくん。


 問題児だった二人が仲良くしてるみたいで、よかったなと頬がゆるむ。


「ありがとう。ふがいない先輩でごめんね」

「ふがいなくなんてないです。とにかく、今日はゆっくりしてて大丈夫ですから」


 みんながそう言ってくれるので、甘えさせてもらうことにした。


 七番隊の執務室で、自分の椅子に座って物思いに耽る。


 二人で過ごした七番隊の執務室がやけに広く感じられた。


 誰も座っていない奥の椅子。


 コートがかけられていないハンガー。


 あいつらしくない、処理されていない書類で雑然とした机。


 すべてが、あいつがここにいないことを私に伝えようとしているみたいに感じられた。


 これでいいのか、と思う。


 よくないに決まっている。


 だけど、どうすることもできない。


 それが組織の決定だし、あいつがいる可能性が高いクラレス教国は王国との関係も良くない。


 隣り合う地理的関係から、国境近くの鉱物資源を巡って何度も争いが起きているし、教国の教会法で他国の組織に属する人員の捜査権限は認められていない。


 王宮魔術師団にいる以上、あいつを助けだすために教国に行くことはできないのだ。


 期待してもらえて、七番隊の副隊長という立場も任されている。


 異例の大出世だ。


 望んでも手に入らない幸運だし、恵まれている。


 本当に奇跡みたいに恵まれているのに。


 それでも、私の心には穴が空いている。


 人間というのは欲張りだ。


 ただ傍にいた人がいなくなっただけで、どうしてこんなに寂しい気持ちになってしまうのだろう。


「大丈夫?」


 顔を上げる。


 立っていたのはレティシア先輩だった。


 部屋に入ってきたのを気づかないくらい私はぼんやりしていたらしい。


「大丈夫なわけないわね」

「どうしてここに?」

「ミーシャさんに言われて。『ノエルが心配だから見に行ってやってくれませんか』って」


 素敵な人なのに男運がなくて、猫と幸せな毎日を送るミーシャ先輩。


 気遣いをありがたいな、と思いつつレティシアさんに言う。


「すみません。気を使わせてしまって」

「いいの。私も貴方と話したいと思っていたから」

「そうなんですか?」

「ええ。貴方と、そして彼を見てきた先輩として。私は貴方に話さないといけないことがある」


 レティシアさんはじっと私を見つめて続けた。


「私は貴方と彼を一人の人間として尊敬している。特に好きなところはね。自分だけの物差しを持っているところ。他の人がどう言おうと揺るがない何より大切なものが貴方たちにはある」

「でも、それはレティシアさんも」

「私のは愚かな復讐でしかなかったから。貴方たちとは根本が違う。だからこそ、なおさら綺麗に見えるのかもしれないけど」


 レティシアさんは私の肩にそっと手を添える。


「今、貴方は二つの大切なものの間で迷っている。好きな仕事と大切な人。二つを同時には選べない」


 私は目を伏せる。


 少しの間、何も言えずに押し黙る。


 自分の中にある言葉を探す。


 見えなくなりそうな本当の思いを探す。


 顔を上げて、口を開いた。


「本当は何も考えずに助けに行きたいんです。だけど、それをすると職場の大切な人たちに迷惑をかけてしまう。それどころか国際問題とか、もっと大変な事態になってしまうかもしれない」

「でも、何もしなければ彼は失われてしまう」


 私はうなずく。


 あいつが私にとってどういう存在なのかはわからない。


 それでも、一人の親友として絶対に失いたくない大切な存在であることは間違いなくて。


 だけど、職場にも大切な人たちがいる。


 何よりも大好きな魔法が使える、願っても叶わない奇跡のような職場。


 一つを選ぶなんてできなくて。


 私は何もできずに立ち止まっている。


「大切なのは、貴方が自分の意思で選ぶことよ。その方が悔いが残らないから。そして、そのための一つの方法として後悔してもいいと思える方を選ぶのがいいと私は考えてる」

「後悔してもいいと思える方?」

「人生には、どちらを選んでも後悔する選択があるの。正解と不正解に分かれているわけじゃなくて、どちらにも正解の部分と不正解の部分がある。そして、どちらを選んでも間違えた気がして後悔する夜がある。選ばなかった選択は、隣の芝生や美化された思い出みたいに綺麗に見えるものだから」


 レティシアさんは言葉を選びながら言った。


 簡単には伝えられない、大切な何かを伝えようとしているのが感覚的にわかった。


「後悔してもいいと思える方を選びなさい。間違えたと錯覚する夜に負けないように。貴方の魂に従うの。迷惑をかけるなんて考えなくて良い。どちらを選んでも、何があっても私は貴方の味方だし、貴方の選択を支持するわ」


 後悔してもいいと思える方を選ぶ。


 その言葉は、複雑に絡み合った思考の渦をいくらか緩めてほどいてくれた。


 暗闇の海に浮かぶ北極星みたいに。


 正しいかどうかはわからない。


 だけど、後悔してもいいと思える答えが今ここにある。


「決めました」

「そう」

「私、ずっと先輩に憧れていたんです。かっこいいなぁ、先輩みたいになりたいなって」

「今は違う?」

「もっと好きになりました」


 レティシアさんは小さく目を見開く。


 それから言う。


「貴方が信じる道を行きなさい」

「はい」


 必要な書類を作るのに時間はかからなかった。


 仕事の速さは私の得意分野。


 アーネストさんのところに提出しようとして、少し考えてからガウェインさんの執務室に提出する。


 面倒見が良いガウェインさんだから、直接頼られると無下にはできないはず。


 七番隊のみんなにとって、こうした方が多分プラスになる。


 この選択が社会的に見て良い物ではないのはわかっている。


 責められて当然だし、悲しい思いをさせてしまう人もいるはずだ。


 そう考えると本当に申し訳ないし、せずに済むならその方がずっといい。


 だけど、私は後悔してもいいと思える選択をすると決めたから。


 痛みも間違いも引き連れて進むんだ。


 絶対に手放したくない大切なもののために。


 大好きな職場を後にする。


 もう引き返すことはできなくて。


 だけど、それでいいって知っている。






 ◇  ◇  ◇


 ガウェイン・スタークがその封筒を見つけたのは、茜色の日射しが射し込む自身の執務室でのことだった。


 差出人はノエル・スプリングフィールド。


 中には、いくつかの封筒が小分けにされて入っている。


 予感がある。


 ざわつく心を静めてから、封筒の一つを取り出す。


 手際の良い所作で引きちぎって、中の手紙を開く。


「やりやがった」


 静かな部屋に言葉が響く。


 椅子にもたれて、漏れそうになる笑みを隠すみたいにこめかみをおさえた。


「無鉄砲が眩しく見えるとは、俺も大人になったのかね」


 テーブルに置かれた封筒。


 そこには『辞表』と書かれている。


 聖金アダマンタイトがあしらわれた金時計が封筒の中で静かに眠っていた。





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