194 プロローグ
お待たせしました! 6章投稿開始です!
待ち合わせた噴水にルークは来なかった。
その事実は少なからず私の心を波立たせた。
週末の夜はたくさんの人が集まる待ち合わせの定番スポット。
噴水の縁に腰掛けて待っている子は他にもいて、だけどみんな相手が迎えに来て人込みの中に消えていく。
賑やかな夜の始まりの噴水で一人ぽつんと待っているのは、さすがの私でも心が削られていくのを感じた。
そもそも、自分から呼びだしておいて姿を見せないというのはどういうことだろう。
一人の大人として、連絡くらいはするのが筋というものではないか。
結論としては許せない。
そんな経験をさせたルークには、相応の罰を受けてもらう必要があるように思う。
(とりあえず一発殴ろう)
邪知暴虐なルークに助走を付けて怒りの鉄槌をぶちかまさなければならない。
思いきりボコボコにしてやらなければ。
ついでに、よくわからない変な気持ちにさせた責任もしっかり取ってもらわないと。
怒りを胸に出店で買ったステーキ串と揚げ芋を食べつつ、帰路につく。
(しかし、あいつが待ち合わせに来ないなんてあったかな)
珍しいな、と思った。
他の人に対してはつれないところもあると聞くけれど、私に対しては生真面目でいつも待ち合わせ時間よりも早く来る印象のルークだ。
待ち合わせをすっぽかされるなんて、長い付き合いでも初めてかもしれない。
(多分急用が入って、来ることができなくなったのだろうけど)
聖宝級魔術師に昇格して、いろいろしないといけないこともあるだろうし。
あるいは、ヴァルトシュタイン家次期当主としての事柄かもしれない。
平民出身でしがらみの少ない私と違って、あいつは絡まり合った貴族社会の思惑の渦中にいる。
やむを得ない事情があったのだろう。
来ることも連絡することもできずにいる姿を想像する。
想像の中のあいつはそれを心から悔いている。
少し心が軽くなる。
(一発お見舞いして気持ち良く手打ちにしてあげよう)
そんな風に思いつつ、出勤した翌朝の王宮はいつもよりなんだか静かだった。
ルークと二人で使っている七番隊の執務室。
持ち主のいない革張りの椅子がふたつ、間隔を開けて鎮座している。
いつもより三十分早く来て、処理済みの書類仕事をルークの机に積み上げた。
天井の照明すれすれまで積み上げられた書類の塔が、机の上で揺れている。
我ながら良い逆襲ができたと満足する。
部屋に入ってきたあいつの驚いた顔が楽しみで、わくわくしながら待っていると、誰かが執務室の扉をノックした。
(この感じは多分、あいつじゃない)
扉を開ける。
立っていたのはレティシアさんだった。
「ノエルさん、早いわね――って何あれ?」
「私の怒りによりできた超高層処理済み書類タワーです」
「すごく高いわ」
「すごく高いです」
レティシアさんは何か言いたそうな顔をしていたけれど、何も言わなかった。
「ルーク隊長は来てないの?」
新鮮な響きだった。
思えば、レティシアさんが『ルーク隊長』と呼んでいるのを聞くのは初めてかもしれない。
「そうですね。まだ来てないです」
「珍しい。この時間でも来てないなんて」
「たしかに。普段なら絶対に来てる時間ですよね」
始業時間までもう十分を切っている。
「聖宝級に昇格して気が緩んでるんですかね」
「そういうタイプではないと思うけど」
「でも、あいつ聖宝級魔術師になりたくてずっとがんばっていたので。今回は今までの昇格とは違うかもとは思うんですよ」
ずっと果たしたかった願いだったからこそ、達成して気が抜けてしまうのはよくあることだと思う。
燃え尽き症候群なんて言葉も聞いたことがあるし、良いことの中にもちょっとだけ悪いことが混じっているのが人生の複雑なところ。
地獄のようなブラック魔道具師ギルドで働いていたおかげで、王宮魔術師として活躍できる実力を付けられた私だから、何が良くて何が悪いのか簡単には言えないことだって知っている。
「たしかにそうね」
レティシアさんは口元に手をやって考えてから、私に言った。
「彼に何か言われた?」
「何かとは?」
「普段と違うようなこと」
どきり、とした。
あの夜、ルークは私に何かを伝えようとしていた。
特別なことを。
何かはわからないけど、多分ルークにとってすごく大切なことを。
「いえ、何も言われてないですけど」
「そう」
レティシアさんは思案げにうなずいて言う。
「勇無きなりってところかしら」
「ゆうなきなり?」
「何でもないわ。ノエルさんはいつも通り過ごしてたらいいから」
レティシアさんは、私に数枚の紙を渡した。
「これ、聖宝級昇格にあたって必要な事務手続きだから渡しておいてもらえる?」
うなずいて受け取ってから、クールビューティーなレティシア先輩に、全力の敬意を表明しつつお見送りした。
ブーツを脱いでルークの机の上に立ち、細心の注意を払いつつ書類の塔の一番上にのせる。
(これでよし、と)
あいつはいったいどんな顔をするだろう。
驚くだろうか、あきれるだろうか。
言葉が出なかったりもするかもしれない。
(なんか、わくわくしてきたな)
部屋に入ってくるそのときを。
唖然とした顔を楽しみに待っていた。
始業時間になってもあいつは来なかった。
私はなるべく大事にならないようにフォローしながら、七番隊の通常業務を進めた。
「すみません、ルークは少し遅れてるみたいで。よかったら私が代わりに処理しますけど」
ごはん奢らせなきゃ、と思いつつ仕事を肩代わりした。
そういうことが何回か繰り返された。
「さすがにおかしくない? 一時間経っても来ないなんて」
ミーシャ先輩の言葉に、楽観的な私も心配になってくる。
嫌がらせのために必要な仕事を処理し終えていたし、今日の仕事は私がいなくても問題なく回りそうに見えた。
「私、少し見てきます」
仕事を抜け出して、ルークが暮らすヴァルトシュタイン家の別邸に向かった。
王都の中心部から少し離れたところにある豪奢な邸宅。
格子柵の中にはみずみずしい芝生が青々と広がっている。
呼び鈴を鳴らす。
出てきた執事さんにルークのことを聞いた。
「ルーク様は昨夜から戻られておられません」
「昨夜から?」
口の中が乾く。
嫌な予感がしている。
「それは何時くらいからですか?」
「十九時半くらいだったかと」
時間から考えると、私との待ち合わせに行くために外出したのだろう。
しかし、事実としてルークは待ち合わせた噴水には来なかった。
(何かあったのかもしれない)
すぐに王宮魔術師団本部に戻って、ガウェインさんに状況を伝えた。
「探してみる。ノエルはアーネストさんに報告してくれ」
「わかりました」
一番隊隊長にして中央統轄局局長。
総長であるクロノスさんが不在の間、王宮魔術師団における事実上の最高責任者を務めるアーネストさんに報告する。
「状況はわかった。動かせるものを動員して捜索する」
「私も――七番隊も捜索に参加させてください」
アーネストさんはじっと私を見る。
少しの間考えてから言う。
「許可する。七番隊の指揮は任せる」
「ありがとうございます!」
七番隊のみんなに手伝ってもらって、全力でルークの捜索にあたった。
何かあったとすれば、可能性が高いのはルークの家から噴水までの道中。
聞き込みをして、ルークの足取りを追った。
「お願いします。この人について何か知ってることはありませんか」
魔導式の映写機で撮った写真を見せる。
三十歳くらいの男性は困った顔で言った。
「ごめん。わからない」
「ありがとうございます」
同じ事を何回も何回も続けた。
しかし、どんなに探しても手がかりひとつ見つけることはできなかった。
「今日はここまで。みんなお疲れ様。残業はしちゃダメだよ。ゆっくり休むのも仕事だから」
みんなを帰してから、一人で捜索を続けた。
「お願いします。この人について何か知ってることはありませんか」
「今急いでるから」
素っ気ない言葉と背中を見送る。
冷たい都会の街。
みんなそれぞれに悩みと不安を抱えていて、自分のことで精一杯で。
それでも、動かないと何も始まらない。
寝る間を惜しんで捜索を続けた。
しかし、手がかりになりそうなことは何一つ見つけられなかった。
時間だけが過ぎていく。
進展があったのは一週間後の夜だった。
「この人を見かけませんでしたか」
顔に傷がある大柄な男性だった。
「知るか。見てねえよ」
「ありがとうございます」
協力してくれたことへの感謝を伝えた私に、男性は数歩歩いてから足を止めた。
「……待て。もう一度見せてくれ」
男性に写真を見せる。
切れ長の目が険しく細められた。
「中央広場近くの路地だったと思う。その時間に、こいつに似た人物を見た。介抱されながら歩いていて、酒を飲み過ぎたんだろうと思った。だが、少し気になることがあった」
「気になること?」
「彼のコートの裾から液体が伝っていた。コートは随分と濡れているように見えた。酒をこぼしたのだろうと最初思った。だが、照明の下で見たその赤は、酒のそれとは違っていた」
男性は言う。
「血だったんじゃないか。そう思ったことを覚えている」
頭の後ろの方を冷たい何かが流れるのを感じた。
多分、私は幸せすぎたのだ。
昨日いた人が今日もいるのは当たり前のことで。
いつ何が起きるかわからないことを知識としては知っていても、それでも漠然と変わらない日常が続くと信じていて。
だから今、目の前に起きている状況と可能性にこんなにも愕然としている。
「彼が歩いていたのはどこですか」
「悪い。今急いでいて」
「お願いします。教えてください」
彼が歩いていた裏路地を教えてもらった。
意識を集中して、魔力の痕跡を探す。
しかし、手がかりになりそうなものは見つけられなかった。
(今日まで何度か雨が降っていたから)
たどり着くまでにかかった一週間の間に、わずかに残っていた痕跡もすべて洗い流されてしまったのだろう。
狭く薄暗いその道の先には、魔導灯の明かりが広がる中央広場の入り口が見えた。
(ここまで来てたんだ……)
広場までの距離はあとほんの少し。
どうして気づけなかったのだろう。
もしあの日、私がここに来ることができていればこんなことにはならなかったのに。
悔やんでも仕方ないことなのはわかっている。
仮にあの夜に戻ったとしても、私がここに来る可能性は万に一つもない。
それでも、考えずにはいられなかった。
なんとかできる可能性があったのに。
そうすれば、今もあいつはいたはずなのに。
足音が聞こえた。
冷たく無機質な足音だった。
「ノエル・スプリングフィールドさんですね」
振り返る。
立っていたのは壮年の男性だった。
コートの懐から、懐中時計を取り出して言った。
「王宮魔術師団一番隊に所属する者です。アーネストさんから隊長と副隊長を対象として緊急招集命令が出ました。至急、本部の中央会議室に向かってください」
やりたかったシリアス展開ということで気合いを入れまくって書いた結果、
時間がかかってしまいました。
(すまぬ……)
ノエルが逆境を跳ね返して、さらに高く飛ぶ姿が描きたいと思って書いています。
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