193 エピローグ3
王都の広場にある噴水で八時に待ち合わせた。
定時で仕事を終えた私は、家に帰って出かける準備をする。
ルークと会うなら、こっちのいつも着てるやつでいいかなって手に取って。
だけど、今日はいつもと何かが違う気がした。
普段ルークと待ち合わせるときとは違う、特別な何かがそこにある気がした。
しばしの間、じっと考える。
それから、持っている中で一番おしゃれで気に入っている服を手に取る。
「ノエル、どこか出かけるの?」
「うん。ちょっと用事があって」
「もしかして、学生時代からの友達っていうあの方と?」
「そうだけど」
「よくやったわ! さすが私の娘! あ、でもそれならちゃんとおめかししていかないとダメよ。どうせ、あんたいつもみたいにまた適当な服を――」
言いながら、扉を開けて私を見て固まる。
「気合い入ってるわね。何も言うことないわ」
「い、いや、普通だけどね。ただ、ちょっと気が向いただけというか」
なんだか気恥ずかしくてそっぽを向く。
「勝負所をわかっている……! さすが恋愛上級者……! 愛されガール……!」
ふるえ声で言うお母さん。
「さすがの恋愛力だわ。カリスマ恋愛マスターのあんたに、私が言うことは何もない。普段通り貴方らしく戦ってきなさい」
なに言ってるんだろうこの人、と思ったけれどいつものことなので深く気にしないことにする。
不意に、お母さんは何かを思いだして言った。
「あ、じゃあ晩ご飯はいらないわよね」
「いるよ」
「でも、あの方と食べるんじゃないの?」
「いるんだよ」
晩ご飯は何度食べてもいいものだと私は思っている。
おかわりするのだけ控えれば、二回くらいはまったく問題なく食べられるし。
マトンシチューとくるみパンと香味野菜のサラダをおいしくいただいてから、家を出る。
街路の石畳を歩く。
日が長くなった空には最後の日差しが山向こうにまだ残っている。
何かが始まる前みたいな感じがした。
戻ることはできない決定的な何か。
うまく思考を働かせることができない。
ふわふわした形のない何かが胸の中にある。
いろいろな気持ちが混ざり合っていた。
期待がある。
不安がある。
怖さもある。
だけど、私はそれを聞かないといけないと思っている。
なんだか緊張しているのかもしれない。
三十分も前に着いてしまった。
待ち合わせた広場は、たくさんの人で賑わっていた。
週末の夜だからだろうか。
待ち合わせの定番スポットであることもあって、他にも少なくない数の人たちが誰かを待っている。
噴水に腰掛けて、あいつを待つ。
なめらかな大理石の感触を指でなぞる。
◇ ◇ ◇
残っていた最後の仕事を終えて、王宮魔術師団本部を歩く。
「聞いたぞ、昇格の話」
知っている声に呼び止められる。
振り返ると、そこに立っているのは入団以来ずっとお世話になっていた先輩。
三番隊隊長ガウェインさん。
見慣れた大きな身体と赤い髪。
「伝えるのか?」
真剣な声にうなずく。
「伝えてきます」
ガウェインさんはにっと笑みを浮かべる。
大きな手が僕の背中を叩く。
何も言わなかったのは、言葉はいらないと思ったからだろうか。
遠ざかる大きな背中。
少しだけ口角を上げてから、僕も背を向ける。
家に帰って、持っている中で一番気に入っている服に着替える。
いや、でも待て。
少し張り切りすぎてる感じがしたりはしないだろうか。
もっと普段通りの服がいいかもしれない、とか余計なことを考えてしまう。
迷う。
気がつくと時間が過ぎている。
(まずい。急がないと)
結局、一番気に入ってる服を着ることにした。
張り切りすぎてると思われるかもしれない。
それでいい。
僕はずっとこの日を待っていたのだから。
気持ちが入りすぎるのは自然なことで。
当たり前のことで。
(でも、伝え方だけは重くならないように気をつけないと)
学院生だった十五歳の頃から、ずっと秘め続けていた恋心。
ううん、本当はきっとその前から彼女に惹かれていた。
彼女だけが特別に見えたんだ。
他の人とは全然違う。
どんなに人がいたってすぐに見つけられる。
声も顔も身体も性格も。
すべてが僕にとっては最高で。
他の人が変だと言うところも、僕からするとこれ以上無いくらいに素敵でたまらなくて。
傍にいたい。隣にいたい。ずっと彼女を見ていたい。
だけど、それは叶わない。
変わらないものはひとつもなくて。
心も関係も時間が過ぎれば変わっていく。
僕らは住む世界が違うから。
ずっと一緒にはいられない。
王宮魔術師団に入ったあの日、彼女がいないことに気づいて立ち尽くしたみたいに。
必ず別れの日がやってくる。
だから、手を伸ばすんだ。
傍にいるために。
誰よりも近くにいるために。
ううん、本当はもっとほしい。
心も体も愛もやさしさも嫉妬も怒りも不満も不安も――
君の全部を僕のものにしたい。
何よりも大切にしたい。
幸せにしたい。
笑顔を見せて欲しい。
笑っていてほしい。
弱さを見せて欲しい。
慰めたい。
困らせたい。
喜ばせたい。
悩ませたい。
憤らせたい。
無茶苦茶にしたい。
僕だけを見て欲しい。
好きだと言って欲しい。
選んで欲しい。
傍にいて欲しい。
ずっと一緒にいて欲しい。
つまるところ、僕は君のことが好きなのだろう。
世界に一人しかいない、100パーセントの相手だって思ってる。
そのためなら、他の全てだって喜んで捨ててしまえるくらい。
君がいればそれだけで、僕は幸せなんだ。
(――って、いけない。これでは重くなってしまう)
頬をかきつつ、準備してきた言葉を反芻する。
重くならないように。
今気づいたみたいな感じで。
自然と歩く速度は速くなる。
君はどんな顔をするんだろう?
驚くだろうか。
困らせてしまうだろうか。
悲しむだろうか。
拒絶されてしまうだろうか。
あるいは、
喜んでくれたりするのだろうか。
思いがあふれ出しそうになる。
やっと言える。
伝えられる。
胸の中にあたたかいものが満ちる。
うまくいかないかもしれない。
それでもいい。
どうか、君と僕にとって一番良いと思える未来が待ってますように。
街路の石畳を歩く。
王都の中心にある広場が近づいてくる。
路地の奥に、広場の外縁部が見えたそのときだった。
不意に誰かとぶつかってバランスを崩す。
敵意も気配もまるで感じないぶつかり方だった。
よろめいて、相手の顔を見る。
長い前髪。どこにでもいそうな個性の乏しい顔。
視界の端に赤い何かが映る。
握ったナイフ。
滴る赤い液体。
思考が白く染まる。
反射的に魔法式を起動する。
しかし、描かれた魔法式は何の効果も発すること無く霧散する。
意識が遠ざかっていく。
「お前は知りすぎた」
不気味な声が聞こえる。
身体から力が抜ける。
僕の意識は僕から消えていく。
◇ ◇ ◇
噴水に座ってルークを待っている。
見慣れた外見のその人が視界の端に映って顔を上げる。
だけど、背格好が似てるだけでそれは違う人だ。
気を取り直して、私はルークを待つ。
待ち合わせの時間まではまだ少しある。
何かが始まるような感覚がある。
ルークが伝えたいことって何なのだろう?
それを聞いたとき、私はどうなってしまうのだろう。
不安と期待が混ざり合っている。
大理石の噴水を指で撫でながら、ルークを待つ。
広場は賑わう人の声であふれている。
というわけで、五章でした。
次章、六章はルーク奪還編になる予定。
物語の中でも極めて重要な位置づけのお話になると思われます。
良いものになるよう魂を注ぎ込んで書くので、楽しみにお待ちいただけるとうれしいなって。
これから2月に発売予定の『氷の魔術師様2巻』web版の連載(1月下旬から短期集中連載予定)と、『華麗なる悪女』の続編、初稿を書くので、少し時間がかかるのではないかと思います。
あたたかくなったあたりで連載開始できたらいいなと思いつつ。
お待たせして申し訳ないですが、のんびりお待ちいただけるとありがたいです。
いつもたくさんの応援といいね、ありがとうございます。
(元気と勇気をもらっています)
誤字報告も本当にありがとう。
「皆様優秀すぎる……ありがてえ……!」と感動しつつぽちぽち修正しています。
海外で翻訳版の「ブラまど」が出たりもするみたいで、海外の雑誌で紹介してもらえるという話を編集さんから伺いました。
本当に夢のように素敵な経験をさせてもらっています。
それも全部、「ブラまど」を見つけてくださった皆様のおかげ。
いつも本当に本当にありがとう。
今の自分にできる一番良い物語、一番良いエンディングにたどり着けるように全力を尽くして書いていきますので、よかったらお付き合いいただけるとうれしいです。