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191 エピローグ1


 まどろみの中から目を覚ます。


 病室の天井。


 細かくついた黒いシミ。


 まだ真新しい魔導式の照明。


 その光景を、私は知っていた。


(前と同じ病室だ)


 もぞもぞと身をよじって身体の状態を確認する。


 気だるい感じは、強力な回復魔法がかけられた後だからだろう。


 ヴィルヘルム伯の事件の後もかけてもらった四番隊隊長ビセンテさんの特別な回復魔法。


 救世の魔術師の磨き上げた王国一の回復魔法は、今回も私の身体をしっかりと治療してくれたようだった。


(痛いところはない。大丈夫そう)


 確認しつつ身じろぎをしたそのときだった。


 視界の端に誰かの姿が映る。


 花瓶に持ってきた花を飾りながら、窓の外を見ているのはイリスちゃんだった。


 吹き込んだ風が長い髪をさらう。


 左肩には包帯が巻かれている。


 品の良い香水の香りがする。


 イケてるおしゃれ女子の匂いだ、と思っていると、イリスちゃんが私に気づいて固まった。


 小さく見開かれた目。


 時間が止まったかのように動かない身体。


 私が目を覚ますと思っていなかったらしい。


 嫌そうに顔をしかめつつ、花瓶から手を離す。


 後ろ手に何かを隠しながら部屋を出て行く。


 しばらくして、部屋に入ってきたのはビセンテさんだった。


「どこが具合の悪いところとかありませんか?」

「大丈夫です。回復魔法が効いているのか、少し眠いですけど」

「それは何より。しかし、ルークくんといい、あの子といい、貴方愛されてますね」

「あの子?」

「七番隊のイリス・リードさんです。自分も入院してたのに二日間で三回お見舞いに来ましたからね。『ノエルさんのことがお好きなんですね』と言ったら、『先輩は私が倒さないといけないので。他の人に倒されるのは困るだけです』って言ってました」

「それは愛されてるんですかね?」

「愛ですね。私にはわかります」


 ビセンテさんは芝居がかった表情で言う。


「しかし、今回もお手柄でしたね。裏取引の阻止と、王国を狙っていた敵の捕縛。ミカエル殿下も大変喜ばれていました。あの方は、そういった敵の存在を予期して動いていたようだったので」

「もしかしてミカエル殿下が先輩たちと王立騎士団を送ってくれたんですか?」

「王立騎士団はミカエル殿下ですね。二番隊の取締局は独自捜査でたどり着いたみたいです。あとはある方の手紙も大きかったとのことでした」

「手紙?」

「捕まる寸前にガウェイン隊長がミカエル殿下とクリス隊長にメッセージを送っていたみたいなんです。『ルーク・ヴァルトシュタインに気をつけろ』と。結果、二人は密かにルークくんの動向を追い、あのタイミングでの救援につながったとのことでした」

「あえてルークが黒幕みたいな伝え方をすることで、殿下とクリス隊長が最大限の警戒をしてくれるという狙いですか」

「結果、剣聖さんまで駆けつけることになりましたからね。ほんと、身内に甘い彼らしいです」


 やさしい笑みを浮かべつつ、ビセンテさんは言う。


「でも、誰よりも喜んでるのはシェイマスくんですよ。いつも出し抜かれて手柄を横取りされてたヴァルトシュタインに貸しを作ってやったと大喜びで。ヴィルヘルム伯の事件でルーク君に助けてもらってるので、お互い様なんですけどね。そう言うと、不服そうにしてましたけど」


 助けに来てくれた二番隊魔法不適切使用取締局の人たち。


 その頼もしい姿を思いだす。


 ルークに救われた形になったアルバーン家とエニアグラム家の働きかけによって、レティシアさんとガウェインさんに対する嫌疑も晴れ、明日から仕事に復帰する予定だと言う。


 すべてがひとまずは大きく損なわれずにまとまって。


 何より、私が安堵していたのは七番隊のみんなを無事に守り切ることができたことだった。


「本当によかったです。七番隊のみんなを生きて帰らせることができて」

「ノエルさんは今回随分張り切ってたみたいですもんね。良い先輩として、上官として、新人さんをしっかり導かないとって」

「うまくできたかは全然わからないですけどね。あとから後悔することも多くて」

「そういうものですよ。上に立つってなかなか難しいので」

「ビセンテさんでもそうなんですか?」

「失敗と反省の日々です。とはいえ、それでいいんだと思いますけどね。ほら、新しい魔道具を使うときも言うではないですか。慣れてきた頃が一番危ないって」

「たしかに」

「大丈夫かなって自分を省みるのは大事なことです。そういう意味でも、ノエルさんは良い先輩だと思いますよ」


 その言葉は、私の中で不思議な響き方をした。


 多分、私は不安だったのだと思う。


 私なんかが先輩をできるのかなって無意識のうちにプレッシャーを感じていて。


 だからこそその言葉は、私にとってご褒美に食べるケーキのイチゴみたいに特別で大切な響き方をした。


「ですかね。そうだといいんですけど」


 少し気恥ずかしくて頬をかく。


 窓から入った風が私の髪をさらう。


 吹き抜けるそれには夏の予感が混じり始めている。





 ◇  ◇  ◇


 王宮魔術師団一番隊隊長を務めるアーネスト・メーテルリンク。


《明滅の魔法使い》と呼ばれる彼の執務室は、十八の魔法結界が張られた異界になっている。


 王国において最も優れた魔法結界術士である彼が創り上げた、西方大陸屈指の攻略難度を誇る特殊な空間。


 そこに立っていたのはルーク・ヴァルトシュタインだった。


 物憂げに顔を伏せ、言葉を探している。


 形の良い唇が静かに開く。


 声には後悔と無力感が滲んでいる。


「何もできませんでした」


 その言葉に、アーネストは怪訝な顔をした。


 まるで聞き慣れない異国の言葉を聞いたかのように。


「アルバーン家とエニアグラム家の裏切りに気づき、王国の未来を脅かす危険な裏取引を阻止した。この国を狙う【竜の教団】の構成員を捕縛し、存在自体確認されていなかった脅威の実在を確定させた。見事な働きだったと聞いている」

「功を焦ってあいつに危険な思いをさせました。守り切れると思っていたんです。でも、何もできなかった」

「敵は特級遺物を使って数十年以上の寿命と人間性を犠牲にし、魔力と身体能力を大幅に向上させていた。王宮魔術師団の中にも、彼らに個人能力で勝てるものは多くない。そんな相手に包囲された状態で互角以上に戦っていたと聞いている。皆君たちが敵を消耗させていたのが大きかったと話していた」

「そんなことは関係ありません。あと少し何か掛け違えていれば、取り返しの付かないことになっていたかもしれない。無力でした。あいつの……そして七番隊の部下の命を危険にさらした。助けられることしかできなかった。それがすべてです」


 ルークは言う。


「深く反省しています。成果を上げるために独断専行を続け、チームのみんなとのコミュニケーションも取れているとは言い難い状況でした。今回のことを僕は失態以外の何物でもないと考えています。隊長から降格になっても仕方ない。それだけのことをしました」


 アーネストはじっとルークを見つめて言った。


「君は隊長から外れることを望んでいるのか」

「それは絶対にありません。できるなら続けたいと思ってます。ただ、降格になっても文句を言えないことをしたということです。もっと慎重に行動すべきだった。もっと安全な方法を探すべきだった。もっと部下とコミュニケーションを取るべきだった」


 ルークは目を伏せて言う。


「貴方がそうすべきだと判断するなら、僕は降格処分を受け入れます」


 言葉には悔しさが滲んでいた。


 演技では出せない本物の感情がそこにはあった。


 絶対に叶えたい願いのために自分のすべてを捧げてきた。


 どんな手でも使うと決めていた。


 何よりも求めているそれから、自分は今自らの意志で遠ざかろうとしている。


 馬鹿なことをするなと心の声が言う。


 叫んでいる。


 痛みが胸を裂く。


 だけど、自らの過ちに誠実に向き合わないといけないと思う。


 そうじゃないと、もっと大切な何かを失ってしまうような気がするから。


 胸を張ってあいつの隣にいられなくなってしまうから。


「では、君の意見に従うことにしよう」


 アーネストは表情を変えずに言う。


「私は七番隊を正式な部隊に昇格させようと考えている。副隊長のノエル・スプリングフィールドは聖金アダマンタイト級に昇格。隊長は王国史上初となる八人目の聖宝メイガス級魔術師――」


 静かに言葉を続けた。


「ルーク・ヴァルトシュタインに任せることにする」


 ルークはその言葉の意味がうまくつかめなかった。


 失態と降格についての話をしていたはずだ。


 自分は隊長としてふさわしい働きができなかった。


 なのに、どうして?


 どうして、僕が王国史上初となる八人目の聖宝メイガス級魔術師に昇格することになる?


「君は以前から聖宝メイガス級昇格にふさわしい能力を身につけていた。王宮魔術師団の誰よりも多くの仕事量をこなし、誰よりも貪欲に昇格することを求めていた。結果だけを見ればもっと早く昇格させるべきだっただろう。しかし、私は君に足りない部分があるのを感じていた」


 アーネストは言う。


「部下や仲間に対する思いやりと自分を疑う能力。君はあまりにも自信過剰に見えた。失敗するかもしれない。大切な何かを失うかもしれない。そういう不安を必死で隠しているように感じられた。何よりも、君には失敗と後悔が必要だった」


 アーネストは少しだけ口角を上げて続けた。


「今の君は聖宝メイガス級魔術師にふさわしい。私はそう考えている」


 ルークは何も言うことができず立ち尽くしていた。


 ずっと求めていた聖宝メイガス級魔術師への昇格。


 何度も悔しい思いをして。


 手の届かなかったそれが、手の中にある。


 ヴァルトシュタイン家を黙らせることができる最強のカード。


 しかし、ルークにとって価値があるのは何よりもその先にある可能性だった。


 ずっと目で追っていたあいつに手を伸ばすことができる。


 醜い醜聞で悲しい思いをさせることなく、自分の気持ちを伝えることができる。


 どれだけこのときを待っていただろう。


 あの日、見えなくなったあいつの姿。


 やっと前に進むことができる。


 追いかけることができる。


 隠していた思いを伝えることができる。


 視界が滲んでいた。


 サファイアブルーの目の縁から、涙が美しい線を引いて頬を伝う。


 ルークは目元を拭う。


 二本の足でしっかりと地面を踏みしめて。


 アーネストを見据えて言った。


「必ず期待に応えてみせます」




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