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186 アルバーン家邸宅




 アルバーン家当主グラハム・アルバーンの私室には、質の良い調度品が並んでいた。


 丁寧に作られてはいるが、華美ではない。


 機能的なデザインの魔術照明。


 本棚に並ぶ本は訓練されたみたいに美しく整列している。


 使用人に連れられて入室した男を、グラハムは表情を変えずに一瞥した。


 三十歳くらいの商人だった。


 したたかで頭は回るがどこかさえない印象の彼の瞳は、どこか不思議な質感を伴っているように見えた。


 まるで別の誰かが中に入っているかのように。


「いったい誰だ」

「何のことでしょうか」

「変身薬を使っているだろう」

「さすがですね」


 男は懐から美しい刺繍の金時計を取り出して言う。


「王宮魔術師団七番隊隊長ルーク・ヴァルトシュタインです」

「久しいな。ヴァルトシュタイン家の次期当主」

「ご無沙汰しております」


 ルークは丁寧に一礼してから言う。


「ご当主の立場は大変ですね。狂ったように欲望に振り回されている、一族の人間すべてに首輪を付けるのは優秀な貴方でも難しい」

「何が言いたい」

「心から気の毒に思っているんです。実直で誠実な貴方が欲深く計算高い身内のせいで非常に危うい立場に置かれている。あるいは、彼らはそれさえも計算していたのかもしれない。貴方がいなくなった方が自分たちの貰いが良くなるかもしれない、と」

「貴族家当主というのはそういうものだ。君もよく知っていると思うが」

「王国の財務状況を名目に、王宮魔術師団を攻撃したのはエニアグラム家の計画ですか」

「最初はそうだった」

「今は違う?」

「おそらく、主導権は彼らに移っている」

「彼ら?」

「彼らは自分たちのことを【竜の教団】と呼称している」


 ルークは唇を引き結ぶ。


「エニアグラム家は傀儡と化していると?」

「私の見立てではそうだ」

「なかなか一筋縄ではいかない相手のようですね」


 ルークは深く息を吐いて言う。


「【竜の教団】は、この国を掌握するために王宮魔術師団の力を削ぎたいと考えている。そして、そのために王国貴族社会で強い影響力を持つアルバーン家とエニアグラム家に近づき、利用した。この認識で間違いないですか」

「私の認識ではそうだ」

「協力してください」

「協力?」


 怪訝な顔をするグラハムにルークは言う。


「今回、貴方たちが行ったのは王国への背信行為です。このことが明るみになれば、王国貴族社会でアルバーン家の地位は失墜する。しかし、僕は貴方たちを追及しません。協力していただけるなら、味方として手厚く迎えます」


 静かに口角を上げて続ける。


「アルバーン家は王宮魔術師団七番隊に協力し、正体不明の組織を探るため、間者として取引を行っていた。すべては裏切りではなく、王国のための行いだった」

「そんなことをして君にどんなメリットがある?」

「アルバーン家の弱みを握り、大きな貸しを作ることができる。加えて【竜の教団】を罠にはめ、陰に潜む彼らの情報を掴むことができれば僕にとっても非常に価値のある成果になる」

「史上最年少の聖宝メイガス級魔術師の地位も手中に収められる、と」

「そういうことです」

「君が裏切らないという保証は?」

「裏切りませんよ。その方がメリットが大きいですから。それに、貴方はこの話に乗るしかない状況にあると思いますが」


 グラハムは三十秒ほど黙り込んでいた。


 重たい沈黙が流れた。


 部屋の空気はやけに冷たく感じられた。


「わかった。君に協力する」


 グラハムは言った。


「エニアグラム家にも同じ取引を持ちかけるのだろう?」

「そのつもりです」

「彼らは乗ってくるだろうな」


 ルークの形の良い口元が弧を描いた。


「ええ。間違いなく」





 ◇  ◇  ◇


 エニアグラム家への潜入と交渉は、アルバーン家に行ったのと同じ手順で行われた。


 ルークは事前に入念な下準備をしていたし、予想外の事態にも対処できるだけの選択肢を用意していた。


 アルバーン家とエニアグラム家は、七番隊の協力者となり、間者として【竜の教団】と取引をすることになった。


「いつもながら、こういうのほんとうまいよね、あんた」

「あの人達がどういう人間なのかは、よく知ってるからね」


 こともなげに言うルーク。


 用意されていた大量の金貨は、ルークが馬車の荷台に準備していた偽の金貨に入れ替えられた。


 銅を特殊な魔術塗料でコーティングしてあるその偽装金貨は、製造から七十二時間が経つと塗料が揮発し始め、九十時間後には銅の金属片しか残らない。


 さらに取り付けてある追跡用魔道具の位置を追うことで、隠れ潜んでいる敵の拠点と動きについて知ることができるというのがルークの計画だった。


 取引に参加するのは、元々予定されていたアルバーン家とエニアグラム家の関係者と護衛の人たち。


 十五人の中に、変身薬で姿を変えた私たち七番隊の十一人が潜んでいる。


「何よりも優先すべきは戦闘自体を避けることだ」


 出発前にルークは言った。


「レティシアさんの残したノートには、極めて高い戦闘力と魔法技術を持った者たちと接敵したことが書かれていた。三番隊副隊長であるレティシアさんが逃げに徹して、それでも単独では逃げ切ることはできなかった、と。該当するような人間はアルバーン家にもエニアグラム家にもいない。つまり、【竜の教団】の人間が屋敷内に入り込んでいたのだろう。加えて、レティシアさんは彼らが、自分を殺さないように注意を払っていたのではないか、と書いている」

「生け捕りにしたかったってこと?」

「おそらく。拷問か自白剤で情報を聞き出すことが狙いだったのだと思う。そして、それは第三者の邪魔が入らなければ実現していた」

「レティシアさんにそれができる相手……」

「多分、僕らが今まで経験してきた中で最も危険な任務になる」


 ルークは言う。


「危ない状況になったら、何よりもまず自分のことを優先して。いいね」


 できたばかりの七番隊。


 犠牲が出てもおかしくない不釣り合いな難易度の任務。


(不可能なことを考えているのかもしれない)


 私は感覚的にそう感じている。


 しかし、迷いはなかった。


 わがままで欲張りな私には秘めた決意がある。


 思いだされたのは、王宮魔術師団に入って最初の仕事だった《緋薔薇の舞踏会》のこと。


 ガウェインさんが言っていた言葉。


『警護の対象は舞踏会に出席した人たちだけじゃない。彼らを大切に思い、帰りを待っている人たちの気持ちもそこに乗っている』


 かっこいいと思った素敵な先輩。


 私の帰りをお母さんが待ってくれているみたいに、みんなにも大切に思ってくれている人がいるから。


(絶対に七番隊全員を無事に生きて帰らせる)


 私は密かにそう決意している。





 取引の現場は、王都の第十九地区にあるうち捨てられた廃墟の一角だった。


 塗装が剥がれた壁には亀裂が走り、割れた花瓶と照明の破片が転がっている。


 月のない夜だった。


 周囲に光源となるものはなく、すべてが闇に閉ざされている。


 アルバーン家とエニアグラム家の人たちは魔道具の手持ち照明を用意していた。


 馬車の荷台にも魔術照明がつけられ、白い光を放っている。


 しかし、それらの光はどこか心許なく感じられた。


 強い風を前にしたロウソクの火みたいに見えた。


 ルークは身を隠しやすい場所をリストアップしていた。


「で、実際はどこに隠れるの?」

「どこにも隠れない」

「え?」

「そういうところは相手も警戒してる。安全に見える場所が最も危うい。なら、その逆を突く」

「逆?」

「最も危険な場所が一番可能性が高い」


 私は一瞬何を言うべきか迷った。


 私と新人さんを敵の警戒が弱まる少し離れた場所に配置しながら、自分は一番危険な奥深くに入り込もうとしている。


 一見いつも通りに見える自分を省みない無茶なやり方。


 だけど、今回はそれが最善なのだとわかってしまった。


 安全なところなんてどこにもなくて。


 七番隊隊長として、部下の安全を確保しながらこの作戦を成功させるために、考えられる中で一番可能性が高い選択をしようとしている。


「私には自分のことを優先しろって言っておいて……」


 唇を噛む。


 一緒に行く、と言いたかった。


 その方が絶対安全だから、と。


 だけど、私には新人さんたちを守るという仕事がある。


 隣に行くことはできない。


 信頼して任せるしかない。


「生きて帰って来ないと絶対に許さないからね」


 ルークは少し意外そうに目を見開いた。


 それから、やさしく目を細めた。


 寝息をたてる猫を見つめるかのような穏やかな目だった。


「今回の任務が成功して、王国を狙う何者かの情報を入手することができれば、間違いなく七番隊の評価は上がる。君の評価も、そして僕の評価も」

「出世に興味はないんじゃなかったの」

「ないよ。でも、僕は聖宝メイガス級魔術師に昇格することになると思う」


 ルークは言った。


「もし聖宝メイガス級魔術師になったら、君に話したいことがあるんだ。ずっと伝えたいことがあった。だけど、話すのは許されないことだったんだ。でも、やっと伝えられる」


 予感がした。


 ルークは何か大切なことを伝えようとしている。


 多分、聞いてしまったら何かが変わってしまう。


 今まで通りではいられなくなってしまう。


 きっとそういう類いのことを。


 少しだけ怖くて。


 今までと同じ親友同士でいたい私もいて。


 だけど、聞かないといけない、と思った。


 ルークがそれを望むなら。


 私は親友として、一人の人間として。


 その思いに誠実に向き合わないといけない。


「聞いてくれる?」

「聞くよ」


 私は言った。


「だから絶対に怪我せず無事に戻ってくること。わかった?」

「その言葉がどんなにうれしいか、君にはわからないんだろうな」


 ルークは言った。


「帰ってくるよ。絶対に。約束する」





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