183 嫌疑
翌日、レティシアは王宮魔術師団三番隊隊長執務室を訪れて言った。
「昨日のあれ、隊長ですか?」
部屋は普段より少し散らかっていた。
ガウェインは細かい作業を好まない。
しかし、隊長就任時にマリウスから命を受けたレティシアが、執務室を美しく保つことを厳命した結果、概ね綺麗と言って差し支えない執務室が維持されるようになっていた。
わずかな変化をレティシアは記憶する。
「何のことだ?」
ガウェインは怪訝な顔をした。
特に違和感はない。
顔を上げてすぐに持っていた新聞に視線を落とした。
「今は忙しい。後にしてくれ」
「何してるんです?」
「この国の未来を左右する重要な案件について考えている」
「重要な案件……?」
「具体的に言うと、週末の国王杯でどの馬に賭けるかを考えている」
レティシアは感情のない目でガウェインを見つめた。
それから、言った。
「それアーデンフェルドタイムズですよね」
「そうだが」
「アーデンフェルドタイムズに国王杯の記事は載りません。同紙は王室が公営ギャンブルを主催することに対し否定的なので」
「俺くらいになると、出馬表は頭の中に入っているのさ」
「昨日の夜、二十三時から二十四時の間何をしていましたか」
「ヘンリーと飲んでた。嘘だと思うなら確認してみてくれ。日付が変わるまで一緒にいたから」
「そうですね。たしかにヘンリーはそう話してました」
「だろう? ここでは言えない話でつい盛り上がって――」
「お店に確認して、隊長とヘンリーが来ていないことを確認しました。そのことを話すと、『隊長に飲んでいたことにするように言われた。本当は一人で週末の合コンに向けて筋トレをしていた』と自供しました」
「……最近腹が出てきたの気にしてたなあいつ」
「本当は何をしていたのか話してください。正直に言わないと今隊長に貸してる全額を利子付きで即刻返済させる訴えを起こします」
レティシアの言葉には、有無を言わさない鋭い響きがあった。
「わかった。話す。話すから」
ガウェインは言う。
「レティシアとルークが危ない橋を渡ろうとしているのに気づいたのは数日前だ。レティシアに怪しいそぶりはなかったが、ルークは俺が気づくだけの材料を残していた。おそらく、意図的に」
「そんなことを……」
「ルークは明らかに俺の力を借りたいと伝えてきていた。そういうのは嫌いじゃない。動向を探っていると、レティシアが危険な潜入捜査に踏み込んだ。敵の一人のふりをして忍び込み、不意を打って死角から奇襲をかけた」
ガウェインは頭をかいて言った。
「魔法を使わず、特定される痕跡をなるべく残さないように行動したかったんだろ。意図をくんで、一応狙っていた結果は出せたと思ったが」
「本当に、貴方は……」
ため息をつくレティシア。
身内に甘いのは相変わらず。
同時に、浮かんでいた気の迷いとしか思えない考えを思い返してこめかみをおさえる。
(あれがあの日の彼なんて、ありえるはずがないでしょうに)
恋愛に関するあれこれを視界に入れずに生きてきたからこそ、そういった現実的で無い発想をしてしまうのだろう。
経験の浅さから来る理想主義的すぎる想像。
自分の頭の悪さに深く息を吐いたそのときだった。
執務室の扉が二度ノックされた。
不穏な何かを伴った響きだった。
入ってきたのは針金細工のように線が細い長身の男だった。
両脇に五人の兵士を従えている。
「突然お邪魔して申し訳ありません。私は高等法院の司法官を務めるクロウ・アーリングです」
司法官は身分証を提示して言う。
「王宮魔術師団三番隊副隊長レティシア・リゼッタストーンさんですね」
「そうですが」
「貴方にはヴィルヘルム伯の一件における違法捜査の嫌疑がかけられています。ご同行をお願いできるでしょうか」
小さく目を見開くレティシア。
「待て」
低い声で言ったのはガウェインだった。
「先の一件でレティシアに指示を出したのは俺だ。責任はすべて俺にある」
「隊長――」
「黙ってろ」
言葉には有無を言わさぬ響きがあった。
「承知しています。この件については、隊長として指揮権を持っていたガウェイン・スタークさんについても嫌疑がかけられている。つきましては、貴方にもご同行いただきたいと思っています。拘束期間は二週間の予定ですが、状況によってはもう少し長くなるかもしれません」
「誰に指示された?」
「何を言っているのかわかりませんね」
魔法の使用を封じる抗魔石の手錠が、ガウェインとレティシアにかけられる。
(昨夜の潜入の中で、特定されるような痕跡は残していないはず。何より、いくらなんでも動きが速すぎる。おそらく、前々から私と隊長の行動を封じるために動いていた)
拘束を振り切って逃走するという選択肢を考える。
しかし、正式な手順を踏んで司法官が行動している以上、下手な行動をすると王宮魔術師団全体が少なくない傷を負ってしまうことになる。
おそらく、それこそが裏で動いている者にとって最も理想的な展開だろう。
敵の狙いは、アーデンフェルド王国を崩す上で邪魔な存在である王宮魔術師団の力を削ぐこと。
隙を見せれば最悪の場合、王宮魔術師団が解体される可能性さえある。
(信じて託すしかない、か)
レティシアは思う。
(貴方なら気づく。見つけられるでしょ)