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179 夢の残滓


 スレイン魔道具師ギルドについて、王宮魔術師団の中に彼以外の出身者はいなかった。


 登録されていた情報によると、地方の中規模な魔道具師ギルドとのこと。


 他のギルドに比べて、際立って安価な魔道具を売り出すことで急成長していたのが三年前のこと。


 しかし、そこから業績が悪化し、彼が辞めてすぐに資金繰りの問題によって業務停止状態になったということだった。


(王宮内でこれ以上の周辺情報を集めることは難しい。関係者に話を聞ければいいんだけど、ルークから任されてる仕事のことを考えるとそこまでしてる余裕はないか)


 大図書館のアーカイブと裁判記録を整理する中で、私はルークが追っている何かについて、なんとなく当たりがつき始めていた。


 付き合いの長い私だからわかるあいつの狙い。


(多分、貴族社会で影響力のある誰かが王国に敵対する何かと関わりを持っている)


 それが事実なのかどうかはわからない。


 しかし、ルークはかなり深刻な状況まで想定して動いているようだった。


(レティシアさんにも力を貸してもらってるみたいだし)


 執務室の机に積まれていた資料のことを思いだす。


 ストイックで人に頼ることを避けるところがあるあいつだから、協力をお願いするなんて普通ならしないはずで。


(それだけ、大きな何かがあると考えてる)


 近頃、ルークは七番隊のスケジュールの中で、魔法戦闘訓練の時間を明らかに増やしていた。


 それも実践的で実用的な内容のものを。


(危険な現場に踏み込まないといけない可能性がある。新人さんたちの練度は徹底的に上げておかないと)


 安全が最優先なので、ルークの指示以上に新人たちが身を守れるようにトレーニングメニューを増やしていたのだけど、その分私が担当しないといけない資料の整理と確認は目に見えて増えていた。


(あまり時間をかけることはできない。マイルズくんの問題は、正面から最短距離で片をつける)


 決意した私は、終業前にマイルズくんに声をかけた。


「ねえ、マイルズくん。少し話したいことがあるんだけど、今日の仕事終わった後とか予定あるかな」

「行きたくないのでお断りします」

「しょ、正直すぎる……」


 いろいろ通り越して感心してしまった。


 これが現代っ子というやつなのだろうか。

 年齢は一つしか変わらないはずなんだけど。


 田舎育ちで古めな価値観に慣れ親しんだ私と、都会育ちの彼という違いもあるのかもしれない。


(だが、ここまでは想定済み。仕事に対して誰よりも冷めてるマイルズくんが簡単に乗ってくるとは私も思ってない。だからこそ、とっておきのカードを用意している)


 私は不敵に笑みを浮かべてマイルズくんに言った。


「ねえ、マイルズくん。付き合ってくれたら、奢ってあげてもいいよ――霜降りお肉」


 それは私が持っている中で最強のカード。


《血の60秒》における賭け事で有り金を全部失った私が、コツコツ貯めてきた貯金を切り崩して用意した切り札。


 霜降りお肉の圧倒的魅力の前には、マイルズくんも理性を失って陥落すること間違いなし。


 勝利を確信する私に、マイルズくんは少しの間考えてから言った。


「興味ないです。食べるの好きじゃないので」

「ば、バカな……」


 信じられない。


 霜降りお肉の誘惑をはねのけられる人間がいるなんて。


 まったく想像していない状況に愕然とする私だったけど、先輩とごはんに行きたくない人は多いと聞いたことがある。


 就業時間外の過ごし方は人それぞれだし、強要するのはやり方として間違っている。


(就業時間内に話す方法を考えるか)


 作戦を立て直そうと知恵を絞っていたそのときだった。


「話ってどういう内容ですか?」

「え?」


 振り向く。


 マイルズくんが私を見ている。


「何か話があるんですよね」

「うん。少し魔道具師時代の話を聞きたくて」

「魔道具師時代の話……」


 マイルズくんは零すみたいに言った。


 その言葉は彼にとって、今でも何らかの意味を含んでいるように感じられた。


「でも、行きたくないなら大丈夫だよ。自分の時間は大切にするべきだし。無理して合わせる必要はないから」


 断りやすいように言った私に、マイルズくんは少しの間押し黙ってから言った。


「行きます」

「…………え?」


 自分の耳が信じられなくて聞き返す。

 マイルズくんは言った。


「行きます」






 二十分後、私はマイルズくんと王都のステーキ店で向かい合っていた。


 入団してすぐ、ガウェインさんに奢ってもらったのが思い出深い最高級店。


 私の金銭感覚からすると、自分のお金ではとても行けないところなのだけど、だからこそガウェインさんに奢ってもらった日のことは、私の中に先輩との素敵な思い出として強く焼き付いている。


 私も後輩に同じことができたらな、と思ってこのお店に連れて来たかったのだった。


(あ、でもマイルズくんだけ連れてくるのは贔屓みたいに思われちゃうかも)


 一人だけに奢って贔屓しているように見えるのは、先輩としてあまり良くないかもしれない。


(他のみんなにも奢ってあげてバランスを取らないと。でも、八人か……)


 なくなっていくお金。


 後輩に奢りすぎて借金を重ねていたガウェインさんの気持ちが少しわかってしまった。


(先輩って大変だ)


 減っていくお金にこめかみをおさえてから、私は首を振って意識的に笑みを浮かべる。


「遠慮なく食べて良いからね」


 それは心からの言葉でもあったけど、同時に少し遠慮してくれたらうれしいなって気持ちもないわけではなかった。


 良い先輩でありたい私と、貧乏性の私による葛藤。


 そして、マイルズくんが選んだのは一番お高いメニューだった。


(なんという遠慮のなさ……これが現代っ子……!)


 空気を読まずに、最も自分にとって価値の高い選択をためらいなくできる。


(恐ろしい子だ)


 底知れない何かを感じつつ、店員さんを呼んで注文を済ませる。


 最初に届いたのは赤ワインだった。


 グラスを揺らし、香りを楽しんでからそっと口に運ぶ。


 目を閉じてしっかりと味わってから思った。


(わかんない……)


 大人女子に強い憧れを持つ私は、おしゃれで素敵な響きに誘われて何度もワインに挑戦しているのだけど、未だにその魅力を見つけることができずにいた。


 苦いしあんまりおいしくないし、他のお酒やブドウジュースの方がいいのでは、というのが正直な感覚。


 みんな大人なおしゃれ感を出すために、我慢して飲んでいるのだろうか?


 あるいは、私がまだ飲み慣れていないだけで、繰り返し飲んでいるとおいしく感じるようになってくるのかもしれない。


(もう少し我慢して飲んでみよう)


 神妙な顔でワインと向き合う私に、マイルズくんが言った。


「どうして誘ってくれたんですか?」

「君と話したかったから。ほら、私たち元魔道具師っていう共通点あるでしょ。愚痴とか悩みとか共有できることあるかもって」

「そうですね。俺もノエル先輩とは少し話してみたかったです」


 意外な言葉に内心驚く。


「そうなの?」

「はい。魔道具師から転職して活躍してる先輩の話は、業界では有名になってるので。俺もそれがきっかけで王宮魔術師団の入団試験を受けましたし」


(う、うれしいこと言ってくれるじゃん、この子!)


 ゆるみそうになる頬をおさえるのが大変だった。


 大人な先輩としての表情をなんとかキープしつつ言葉を返す。


「そ、そうなんだ」

「しかも、地方の魔道具師ギルド。労働環境もかなり悪いって噂のところだったので」

「たしかにいろいろと大変なところではあったかな。田舎だし、他のギルドもあんな感じのところが多いと思うけど」

「どういう感じでした?」

「えっとね。元同業者ってことで詳しく話すと――」


 私はマイルズくんに魔道具師時代の労働環境について話した。


 月の残業時間が四百時間を超えていたこと。家に帰れずお風呂になかなか入れなかったこと。


 床で眠ってたから身体の節々がずっと痛かったこと。


 寝心地が悪い分眠りが浅くて三時間で起きられるからたくさん働けること。


 固有時間を加速させる魔法を何時間も使ってなんとか仕事を回していたこと。


「じ、地獄過ぎませんかそれ……」

「なかなか大変だったよ。今から振り返るとあれはあれで良い経験だったかなって思うけど。でも、どんなにお金を積まれてももう一度あの環境で働くのは避けたいかな」

「誰でも思いますよ、それは」

「何より、全然評価してもらえないのがきつくてさ。『役立たず』とか『平民女は使えない』とか、言葉がちくちく痛くて。私って才能ないのかなって落ち込んだこともあったなぁ」

「先輩もそんなことがあったんですね」

「うん。その分、今の環境がありがたすぎて本当に幸せだけどね」


 良くしてくれた先輩達を思いだして目を細める。


 たくさんやさしくしてもらった分、今度は私の番。


 後輩たちにとって良い先輩になれるようにがんばらないと。


「マイルズくんのところはどうだった?」

「……………………」


 マイルズくんは何も答えなかった。


 話していいのかどうか迷っているみたいだった。


 店員さんがステーキを運んで来た。

 熱された鉄板と肉が焼ける音。


「とりあえず食べようか」


 言ったのは、話しづらい何かがそこにあるように感じたからだった。


「マイルズくんが話したいタイミングでいいよ」


 カットされてあるステーキをフォークで口に運ぶ。


 濃厚な肉の甘み。

 マイルズくんも黙々と食べ始める。


 肉が焼ける音が響いている。


「クソみたいなところでした」


 独り言みたいにマイルズくんは言った。


 前職の話だと気づくまでに少し時間がかかった。


「クソみたいな人たちがクソみたいなものを作ってました。規格も品質も無茶苦茶で、みんなお金のことしか考えてなくて。必要な素材を省いた粗悪品を作ることを強制されて。おかしいと思ってギルド長に言ったんです。先輩達は利益のために王国法違反をしてるって。その日から、俺に対するいじめが始まりました」


 マイルズくんは言う。


「不正はギルド長が主導していたんです。告発したら業界で働けなくしてやるって脅されて。魔道具師は夢だったから、辞めることもできなくて。殴られたくないから指示通り粗悪品をたくさん作りました。自分がどんどん嫌いになって、好きだった仕事もまったく楽しいと思えなくなって。気がつくと俺も染まってました。仕事は金のためにやるものなんです。好きとかそういう甘いことを言えるのは選ばれた人だけ。凡人は生活のためにあくせく働くしかない。そういう気持ちってわかりますか」


 マイルズくんは何かに怒っているように感じられた。


 引きちぎられた夢の残滓がそこには残っていた。


 働き始めた彼の夢には大きな期待があったのだろう。


 念願だった魔道具師の仕事。


 最初はうまくいかないこともあるかもしれない。


 苦労することもあるかもしれない。


 しかし、耐えて乗り越えてきっといつか――


 そんな彼の希望は裏切られた。


 世界は彼が思っているより汚れていて。狂っていて。


 純粋だった彼はぬかるみに足を取られた。


 深く底のないぬかるみはゆっくりと彼を飲み込んで破壊していった。


「王宮魔術師団に入ったのは金のためです。生活のために最低限の仕事をする。結局世の中金ですから。先輩が何をしようと俺は変わりません。先輩は選ばれた人だった。運が良かっただけなんです。誰もが先輩みたいに好きなことを好きなまま仕事にできるわけじゃない。俺は先輩が嫌いです」


 マイルズくんは言った。


 明確な敵意がそこにはあった。


 きっと、他にもいろいろな気持ちがそこに込められている。


 怒りとか嫉妬とか憎しみとか、そういう綺麗じゃない感情。


 知っている、と思う。


 私はそういう気持ちを知っている。


『つい比べちゃって、心からお祝いできなくて。ごめんね、私ダメなやつだ』


 再会したルークに拾われた日。


 社会の厳しさと理不尽に打ちのめされていた。


 今、目の前にいるのはきっと、あの日の私だ。


「大変だったね……つらかったね」


 視界が涙でにじむ。


「マイルズくんは何も悪くない。否定するやつは私がぶっ飛ばしてやる」

「いや、だから俺は先輩が嫌いで」


 マイルズくんは戸惑った顔で言った。


 私は目元を拭って言う。


「それでも、私は君の考え方を支持するよ。君はそのスタンスを変えなくていい。今の仕事ぶりじゃ合格点は出せないから、もう少しだけ丁寧にやってほしいけど。あとはそのままでいいからさ」


 私は続ける。


「君は君の心の声を聞いて、君がやりたいようにやってほしい。でもね、全部が全部今のままやろうとしなくてもいいよ。時々で良いから、学院時代の君も大事にしてほしい。一生懸命やるのが楽しいってことを君は知ってると思うんだ。私は今の君も好きだけど、昔の君もすごく好きだから。これは個人的なお願いであり、わがままだから無理して聞く必要はないんだけどね」


 にっこり目を細めて私は言った。


「何を選んでも、私は先輩として君を応援してる。ちゃんと見てるからね。期待してるから」


 私の言葉がどのくらいマイルズくんに届いたのかはわからない。


 翌日のマイルズくんは今までと何も変わらないように見えたし、もしかしたらめんどくさい先輩と思われただけかもしれない。


 それでも、私は彼のことを大切に見守っていこうと思った。


 一週間後、新人さんたちが翻訳したアーカイブをチェックしていたミーシャ先輩は言った。


「ん? あれ? ほんとに?」


 困惑した表情。


「どうかしましたか?」

「いや、マイルズ・ノックスの担当したやつチェックしてたんだけどさ。ほら、あの子手抜きするから細かい部分の訂正で紙が真っ赤になるでしょ」

「なりますね。まだ慣れてないっていうのもあると思いますけど」

「今回ミスがほとんど見つからなくてさ。私、今日疲れてるのかも。念のためノエルにチェックを――ってなんでにやにやしてるの?」

「いや、『私が育てた』ってこういう気持ちなのかなって」

「は?」


 こぼれる笑みを頬杖で隠しながら、私は彼が翻訳したアーカイブに視線を落とした。




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