174 先輩と後輩
「それじゃ、君たちに取り組んでもらう仕事について説明していこうと思う」
飾り付けが間に合わなかった誕生日会のような装いの執務室の中で、ルーク・ヴァルトシュタインは落ち着いた声で話し始めた。
(この雰囲気の中で仕事の説明するんだ)
心の中で突っ込みつつ見守る新人たち。
淡々と話し始めたその後ろ側で、小柄な先輩が肩を落としつつ飾り付けの撤去作業をしていた。
(片付けるんだ……)
しょんぼりした様子で輪飾りを回収している。その背中には『宴会のファンタジスタ』と書かれたタスキがかけられている。
(後ろが気になって隊長の話が入ってこない……)
集中力が散漫にならずにはいられないシュールなシチュエーションだったが、新人たちは難しい試験を通過した優秀な魔術師揃いだった。
要点が明確なルークの説明を、メモを取りながら聞く。
「君たちに担当してもらう仕事は大きく分けて三つ。ひとつめは大図書館に貯蔵されたアーカイブの整理。人手が足りず後回しになっていた古代魔導書の翻訳作業を重点的に進めてほしい。二つ目は、このリストに挙げた本について過去三十年で借りた人物の記録を資料にまとめること。最後に、リストに挙げた二十七件の裁判と不正事件に関連する記録を整理してほしい」
伝えられた仕事の内容は新人たちにとって少し意外なものだった。
歴代最速、最年少で隊長に就任したルーク・ヴァルトシュタイン。
職務に人生のすべてを捧げ、王宮魔術師団内のあらゆる最速記録を更新し続けている本物の天才。
一緒に働いてみたい憧れの相手ではあったものの、同時に不安も大きかった。
突出して優秀な人間というのは、何らかの点で歪みのようなものを抱えていることも多い。
その上、自分を基準にして高い水準の仕事量と質を周囲に求める例も多く聞いたことがあった。
(ついていくことができるだろうか……)
抱えていた不安。
しかし、大図書館のアーカイブと不正事件資料の整理という仕事の内容には、入ったばかりの新人に対する気遣いが感じられた。
(慣れるまでは難易度の低い仕事を任せようとしてくれてる)
ほっと安堵の息を吐く新人たち。
しかし、そんな淡い期待はすぐに裏切られた。
「まずはこの量を今日中に」
(こ、こんなに……)
アーカイブと資料のリストが書かれた紙の束を見て息を呑む新人たち。
「初日だからまずは少なめ。優秀な君たちならこれくらいはできるでしょ?」
当然のように言うルーク。
感情のないサファイアブルーの瞳。
(怖い……)
数名の新人が無意識のうちに半歩後ずさったそのときだった。
「要求しすぎ!」
すぱーん、と鋭い音が部屋に響いた。
後頭部をはたかれ、よろめくルーク隊長。
その後ろで、小柄な先輩は飾りを折り曲げて作ったハリセンを握っていた。
(なんでハリセン……)
困惑する新人たち。
(というか、ルーク隊長にあんなことして、あの人殺されるんじゃ)
背筋をふるわせつつ見つめる彼らだったが、ルークの反応は意外なものだった。
「痛いんだけど」
と後頭部をさすりながら振り向く。
「今のあんたには必要な痛みだから。まだ初日だよ? 少しずつ慣れていくよう私たちが配慮しないと」
「僕は初日からこれくらいはできたけど」
「あんたは異常だから。そのおかしさを他の人に求めないで」
(ルーク隊長にそんな風な口調で……)
いったい何者なんだろうと思いつつ見つめる。
「それじゃ、ノエルが手伝ってあげて。それなら問題ないでしょ」
(ノエル・スプリングフィールド副隊長……!)
王宮魔術師団に入団後、記録的な速さで昇格を重ね、歴代最速で副隊長になった天才魔法使い。
国別対抗戦では王国を背負って快進撃を記録。
トラブルによる中断で公式記録にはならなかったものの、三魔皇の一人であり帝国領最強の森妖精である《精霊女王》エヴァンジェリン・ルーンフォレストと互角に渡り合ったという噂は、王国魔法界ではちょっとした伝説になっていた。
「わかった。新人さんたちは私が守るから。みんなも、こいつにひどいこと言われたらすぐに言ってきてくれていいからね」
小柄な先輩は言う。
「まずは大図書館に貯蔵されたアーカイブの整理から始めようか。付いてきて」
戸惑いつつも後に続く新人たち。
大王宮の東区画。
王宮が所有する大図書館で始まった最初の仕事。
「古代アルメリア式言語を読める人はいる?」
手を上げたのは八人の新人全員だった。
「すごい。みんな優秀だ」
ノエル副隊長は目を細めてから、「まずはこれを現代語訳していって。十ページ終わったら教えて欲しい。進捗に応じて次の仕事を割り振るから」と言う。
働き始めて新人たちが感じたのは、ノエル先輩は自分たちのことをよく見ているという感覚だった。
「なるほどなるほど。君は堅めの文章が得意なタイプだ。それじゃ、次はこっちの本のここの記述をお願い」
素早く適性と得意分野を見抜き、相性の良い仕事を割り振ってくれる。
がんばると目を輝かせて褒めてくれ、手を抜くと「ここ、ちょっと手抜きしたでしょ」と釘を刺した。
何より驚きだったのは、そういった新人たちへの仕事の割り振りを他の作業と並行して行っていることだった。
新人の二倍以上の仕事をこなしながら、心の中を見透かされていると錯覚するような鋭い観察眼で的確な指摘をする。
(変な先輩だと思ってたけどとんでもない。この人、めちゃくちゃできる人だ)
当然のように異様な量の仕事をこなすその姿。
小柄な背中が不思議と大きく見える。
(さすがノエル。もう新人たちの心を掴み始めてる)
七番隊第三席を務めるミーシャ・シャルルロワは感心しつつ、新人たちと接するノエルの姿を見ていた。
(あの状況把握能力は初見のインパクト強いもんね。加えて、豊富な知識量と仕事への熱意。働き始めたばかりの新人なら、圧倒されるのも自然なこと。十年近く働いてる私でさえ、すごいと思うもの)
それに加えて、気さくでやさしい人柄も新人たちにとっては魅力的に見えているのだろう。
しかし、ミーシャはこの状況がある人物によって作為的に作られたものであることに気づいていた。
(ここまでは君の計算通りでしょう、ルーク・ヴァルトシュタイン。新人たちに冷たく圧をかけ、それを庇うノエルを利用して、飴と鞭の形で新人が積極的に働かざるを得ない状況を作る。加えて自分が嫌われ者になることで、新人たちからノエルが慕われやすい流れにした。ほんと、こっちはこっちで頭が切れる上に変なところで自己犠牲的だから)
計算の奥に見える純粋な感情。
好きな相手に幸せに過ごして欲しい。
そんな甘酸っぱい気持ちの気配を感じて、ミーシャは頬をかく。
(まあ、そういうの嫌いじゃないけどさ)
そんなことを思いながら、新人たちを指導しつつアーカイブ整理に励む。
「よし、午前の仕事終わり! お昼休みはおいしいお肉を食べに行こう! 副隊長である私が、みんなに食べられなくなるまで奢ってあげる」
ノエルの言葉に、目を輝かせる新人たち。
「大丈夫? この人数だと結構な額になるよ」
心配して声をかけたミーシャに、
「問題ありません。私は今既に大金持ちになってるので」
「ん? どういうこと?」
「先輩にも日頃の感謝を込めてプレゼントを贈りますね。楽しみにしてください」
自信に満ちた表情のノエル。
どういうことだ、と思いつつ連れて行かれたのは王宮魔術師団三番隊が使っている演習場だった。
観覧席には他の隊の魔術師と王宮の貴族たちがひしめき、手に汗握りながら目の前の戦いを見つめている。
(なるほど、《血の60秒》か)
恒例となっている、ガウェイン隊長が新人に対して行う力試しの魔法戦闘。
『まったくこの人は』というあきれ顔でガウェインを見つめるレティシア副隊長の姿もある。
おそらく、ノエルは三番隊がやってるギャンブルに参加したのだろう。
(たしかに、あの子の観察眼なら大勝ちする可能性も十分にあるか)
そんなことを思いつつ待つこと数分。
戻ってきたノエルの目には一切の感情がなかった。
「……………………」
黙り込んだまま、人形のような無表情で虚空を見つめている。
「あー、《血の60秒》で有り金全部溶かしたやつの顔が見てえなあ。いねえかなあ」
「いやいや、さすがにいるわけねえだろ。社会人になって有り金全部溶かすとか」
「まあ、そっか。そうだよなぁ。ちくしょう、一度でいいから見てみたいんだが」
会話をかわしつつ歩いて行く貴族たち。
ノエルは全力で顔をそらしていた。
ミーシャは何かを察してやさしい顔になった。
「やっちゃったの?」
「……やっちゃいました」
「いくら残ってる?」
「銅貨一枚も残ってないです」
「お昼は私が奢ってあげるよ。元気出して」
「かたじけないです」
とぼとぼと肩を落としてあるく小さな後輩。
びっくりするくらい仕事ができる一方で、ダメダメで残念なところもあって。
(やっぱり面白いわ、この子)
ミーシャは零れる笑みを手で隠した。