171 協力
「ノエルに対する王の盾筆頭魔術師としての指名を撤回してください」
七番隊の創設が発表された会議の二週間後のことだった。
ミカエル第一王子殿下の執務室。
ルークは静かな声でそう言った。
「断ると言ったら?」
「もちろん殿下がノエルを手元に置きたいという強い希望を持っていることは理解しています。通常であれば、殿下のご意向に反する行動を取ること自体、王宮魔術師としての職責に反した行いかもしれません。しかし、私は最善の判断が指名を撤回することだとお伝えしたいのです。それが何よりも殿下のご意向に応えられる選択だと」
「なるほど。それは興味深いね」
目を細めるミカエル殿下。
「聞かせてもらえるかな?」
「殿下がノエルを手元に置きたいのは、その力と将来性に高く期待してくださってのこと。そして、アーデンフェルド王国を狙う何者かの存在に対処する必要があるという考えがその前提になっている。ヴァイスローザ大迷宮を筆頭に、未踏領域における多くの貴重な資源を潜在的に持っているこの国の価値に気づいた者たちがこの国を揺るがそうと動いている。その兆候が見える」
「続けて」
「脅威に対処する効果的なカードのひとつとして、ノエルを手元に置き、自らの手で育てる。若き天才を王国史上最高の魔法使いにする。それが殿下の狙いでしょう」
「いいね。筋は悪くない」
ミカエルは目を細める。
「君が述べた意図を私が持っていると仮定しよう。君のやり方でどうやって私の意向に応える?」
「私が殿下の計画に協力します。ノエルを誰よりも知る友人として、彼女を導く。最も適したやり方で王国史上最高の魔法使いを育て上げる。加えて、私が殿下と連係して行動することにもメリットがあります」
「ノエル・スプリングフィールドだけでなく、ルーク・ヴァルトシュタインと新たに創設される七番隊も事実上指揮下に置くことができる、と。そう言いたいのかい?」
ミカエルの言葉に、ルークは静かにうなずいて言った。
「最大限の協力をお約束します。とはいえ、あくまで決定権は私にあるというのが前提ですが」
「興味深い提案だね。だが、ひとつだけ確認が必要な事柄がある」
「なんでしょうか」
「君と七番隊にそれだけの価値があるのか。前例を大きく更新する最年少での隊長と副隊長。王宮内で疑問の声があがっていることは君も知っているだろう。果たして、この逆風を君たちは乗り越えられるだろうか」
部屋を沈黙が浸した。
ルークは少しの間押し黙ってから言った。
「先日あったヴィルヘルム伯の一件。魔法式の起動を封じる特級遺物《魔術師殺し》はエヴァンジェリン・ルーンフォレスト襲撃に使われたものに極めて近かった。入手経路を探られてましたよね。王の盾の精鋭を使って」
「そうだね。いくつか興味深い情報を入手することができた」
「だが、彼らには掴めていない事実もある」
「何かつかんでいる、と?」
ルークは一枚の資料を殿下の机に置く。
視線を落としてミカエルは押し黙った。
「君はこれについてどう思う?」
「殿下の考えている通りだと思います。ヴィルヘルム伯はアーデンフェルド王国を狙う何者かと通じていた。この入手経路の先にはすべての黒幕がいる」
「このことを誰かに話したか?」
「アーネストさんにはお伝えしました。もう一人、ある人には伝えて協力を要請しようと思っています」
「ノエル・スプリングフィールドには?」
「もう少し状況が見えてきてから伝えようと思っています。彼女は隠し事が得意なタイプでもないので」
ミカエルは少しの間押し黙ってから言った。
「王宮魔術師団総長クロノス・カサブランカスは、二ヶ月前に時間遡行魔法の実証実験を開始している。四度目となる本格的な実験だ。過去の三回では未知の異空間に飲み込まれ、戻ってくるまでに数年がかかった。そして、今回も実験開始日以降彼の連絡は途絶えている」
「数年単位にわたって戻ってくることができない状況下にある可能性があると」
「そういうことになる。あるいは、そこまで察知して敵は動いているのかもしれない」
ミカエルは静かにルークを見て続ける。
「新設直後の七番隊には手に余る案件であるように見えるが」
「殿下が子飼いにしてる人たちよりは僕の方が頼りになると思いますよ」
「自信がある、と?」
「そう考えていただいて構いません」
ルークは言う。
「私が結果で証明します」
「では、楽しみにしておこう」
ミカエルは言う。
「良い報告を心待ちにしているよ、ルーク・ヴァルトシュタイン」
会談の後、王宮の特別区画を歩きながらルークは思う。
(ノエルは絶対に渡さない)
しかしその一方で、自分が想定以上に難しい立場に置かれていることにも気づいていた。
王宮貴族が参加する会議で向けられる冷ややかな視線。
『王室の財政が芳しくない状況下で、王宮魔術師団に新しい隊を作る必要があるとは思えない』
『貴族への税制改革を検討する前に、もっとするべきことがあるのではないか』
『小規模の仮設部隊とは言え、経験が浅い最年少の隊長と副隊長。副隊長に至っては、入団から一年も経っていないという話じゃないか』
『結果が出なければどうなるか、聡明な君はわかっているのだろうね』
反発は想定していた。
弱みを握り、手駒にしている貴族達を使って裏工作も行っていた。
それでも、現実として王宮貴族の八割以上が七番隊創設に反対の声をあげている。
まるで、誰かが前もって手を回していたかのように。
(ミカエル殿下という線も考えていたが、あの反応を見るにおそらくは違う。より可能性が高いのは、貴族社会において殿下に匹敵する影響力を持つ別の存在)
ルークは唇を噛みつつ、思考を続ける。
(御三家、か)
王国貴族社会において絶大な影響力を持つ三つの名門貴族家。
アルバーン家とエニアグラム家。そして、――ヴァルトシュタイン家。
(ヴァルトシュタイン家の人間である僕が隊長になったことに、アルバーン家とエニアグラム家が反発している、と見るのが一番現実的な線だろう)
御三家の二つを敵に回したとなると、半数以上の貴族が敵に回るのは必然の帰結。
加えて実家と関係が悪く、ヴァルトシュタイン家の支援も期待できないルークは、四面楚歌とも言える難しい状況に置かれている。
しかし、だからといって諦めるという選択肢は彼にはなかった。
他のものすべてを犠牲にしても手に入れたい、何よりも大切なたったひとつ。
許されない願いを叶えるために。
王国一の魔法使いと称される立場――聖宝級魔術師になって、ヴァルトシュタイン家が何も言えない状況を作る。
彼女を幸せにできる自分になる。
隣にいられる未来をつかみ取る。
そのためなら、どんなことでもする。
世界中すべてを敵に回しても、前に進む。
サファイアブルーの瞳に迷いはない。
顔を上げ、向かったのは王宮魔術師団本部だった。
(協力してくれる可能性があるとすれば――)
「珍しいわね。貴方が私のところを訪ねてくるなんて」
王宮魔術師団三番隊副隊長の執務室。
レティシア・リゼッタストーンは、意外そうにルークを見て言った。
「力を貸してほしいんです。王国貴族社会の裏側に詳しく、王宮魔術師団で最も高い捜査能力を持つレティシアさんに、協力をお願いしたい」
ルークの言葉に、レティシアは首を振る。
「買いかぶりすぎよ。私より優秀な人はたくさんいる」
「少なくとも、僕が子飼いにしている貴族達は貴方を誰よりも恐れてました」
「褒め言葉として受け取っていいのかしら」
「僕が頼れる相手の中で一番優秀な一人が貴方です」
「人の動かし方がうまくなったわね」
「本心ですよ」
「本心の使い方がうまくなったって言ってるの」
「そこは貴方とガウェイン隊長を見てきたので」
その言葉にも嘘はないように見えた。
最初から隊長になることを見据えて、意識的に自らの能力を向上させてきたのだろう。
叶えたい願いが彼を急速に成長させている。
入団当時の、他者を一切必要としない刃物のような姿とはまるで別人。
十分に隊長を務め上げられるだけの人との関わり方を身につけているように見える。
(だけど同時に、危ういところも多い。経験のない新人との新しい部隊。どう転ぶかは未知数)
そして誰よりも、彼自身が置かれている状況の難しさを認識しているようにレティシアは感じていた。
王国貴族のほとんどを敵に回している状況。
味方になってくれる人は極めて少ないはず。
徹底した不正捜査の結果、恨みを持たれている王国貴族も多いレティシアにとっても、ルークに協力するのは賢明な判断とは言い難い。
それでも、決断するまでにさして時間はかからなかった。
(ヴィルヘルム伯の一件では助けてもらったしね)
レティシアは言う。
「わかったわ。貴方に協力する」
「ありがとうございます。助かります」
「それで、どうやってこの状況を覆すつもりなの?」
ルークは懐から出した資料の束をレティシアに渡して、状況を説明する。
未踏領域における多くの貴重な資源を、潜在的に持っているアーデンフェルド王国を狙って、暗躍する何者かの存在。
《緋薔薇の舞踏会》での暗殺未遂事件を首謀し、《薄霧の森》でのゴブリンエンペラー発生と西部辺境で起きた《飛竜種》暴走の原因を作った。犯罪組織《黄昏》を作り上げ、ヴィルヘルム伯に裏で支援をしていた。
「信じられない。いくらなんでも陰謀論が過ぎると思うんだけど」
「僕だってそう思いたかったですよ。でも、実在する証拠が出てきた。ミカエル王子殿下も部下を使って彼らを追っている」
「実在するとすれば、この国を揺るがす一大事よ」
「だからこそ、正体を突き止めれば貴族社会の反発を一気に抑え込める」
レティシアはしばしの間押し黙ってから言う。
「実在すると仮定して話しましょう。問題は、敵がどこまでこの国の中に食い込んでいるのか。高等法院で大きな影響力を持つヴィルヘルム伯ともつながりがあった。他の地方貴族ともつながりがあると考えるのが自然でしょう。加えて、王宮内の有力貴族に接触している可能性も十分にある」
「間違いなく接触しているでしょうね。特に危険なのは王室に近い王政派貴族です。向こうにとっては最も近づきたい相手。つながりを持つメリットが大きい。その意味で、一番危険なのは――」
ルークの言葉に、レティシアは息を呑んだ。
「まさか、御三家」
「そういうことになります」
「ありえない。いくらなんでもそこまで深く食い込んでいるなんて」
「常識的に考えればそうでしょうね。でも、御三家の中で育った僕の見立ては違う」
ルークは静かな口調で続ける。
「最初から違和感があったんですよ。あまりにも動きが早すぎた。王宮魔術師団の力が増せば、王国の敵と関係を持っていることが知られてしまうかもしれない。そういう畏れがあったのだと考えれば筋が通る」
レティシアは言葉を失う。
提示された可能性について検討する。
王国貴族社会において絶大な影響力を持つ御三家。
一介の王宮魔術師が手を出していい相手ではない。
加えて、御三家が王室を敵に回すリスクを負ってでも協力する価値があると判断した未知の敵。
首筋を冷たいものが伝う。
「もしそれが事実だとすれば、これは貴方が経験してきた中で最も危険な捜査よ」
「望むところです」
ルークは言った。
その声には、少しの揺らぎもない。
止めることはできないと一瞬でわかってしまう、そういう声だった。
(本当に危なっかしい)
心の中で嘆息しつつ、レティシアは考える。
今からでも、協力を断るのが理性的な選択なのだろう。
しかし、レティシアの中には誰よりも尊敬していた人の真っ直ぐな姿が刻まれている。
大好きだった《先生》なら、きっと彼に協力する。
どんなに危険な相手でも、自分が正しいと思う道を進む。
「分担はどうする?」
「アルバーン家とエニアグラム家の調査をレティシアさんにお願いします」
「ヴァルトシュタイン家は?」
「僕がやります」
有無を言わさぬ響きがそこにはあった。
「いいの? 近しい人だと判断も難しくなる。対処を誤れば、身内をかばい立てしたと捉えられる可能性も高い」
「しませんよ。その逆はあるかもしれませんけど」
ルークは首を振って笑った。
入団当初の鋭さと危ういものを感じる笑みだった。
「何か見つかったらすぐに相談して」
「わかっています」
「ガウェイン隊長には協力を頼まないの?」
「レティシアさんに手伝ってもらうことだけ伝えようと思ってます。そうすれば、あとは勝手に動いてくれるのがあの人なので」
「ほんと……悪い意味で人を動かすのがうまくなったわね」
「ガウェインさんにとって貴方は特別な存在ですからね」
「……私が特別?」
その言葉の意味が、レティシアはうまくつかめなかった。
「たしかに長い付き合いだけど、あの人が身内に甘いのは誰に対しても同じ。それは貴方もよく知ってるでしょう」
「先輩はもう少し、自分の周囲に目を向けた方がいいですよ。絶対に叶えたい願いのために、他の一切を犠牲にしてきた同じ穴の狢からのアドバイスです」
ルークは小さく口角を上げて言った。
「頼りにしてますよ、先輩」
ルークが部屋を後にしてから、レティシアは口元に手をやってその言葉の真意について考える。
はったりや冗談という線も考えたが、彼の言葉にはたしかな根拠と説得力があるように感じられた。
(隊長について、私が知らない何かがある?)
静かな部屋の中で、残された問いかけ。
レティシアはその意味をじっと考えている。