168 エピローグ3
「レティシアとの話はうまくいったみたいですね」
しばらくして、ガウェインの執務室をノックしたのは二番隊隊長であるクリス・シャーロックだった。
ガウェイン、レティシアと同期入団で同い年になる彼は二人の関係をよく知っていた。
レティシアが元二番隊王宮魔術師――《先生》の仇討ちのためにヴィルヘルム伯を追っていたことも。
そして、彼女自身が知らないひとつの事実についても。
「言わなくていいんですか。貴方が《先生》に教わっていた生徒の一人だったってこと」
「別に言う必要ねえだろ。俺は孤児院育ちの不良で、レティシアは領主の娘だった。住む世界が違ったしあいつは覚えてないだろうさ」
ガウェインは窓の外を見つつ、思いだす。
二人がまだ少年と少女だった頃のことを。
その昔、ガウェインは手の付けられない不良少年として知られていた。
親は無く、金も無く、愛情を注いでくれる大人もいなかった。
彼にとっては孤児院の仲間だけがすべてだった。
彼は仲間達のためならどんなことでもした。
どんな相手でも、仲間に手を出せば容赦はしなかった。
仲間が罪を犯せば、それをかぶって代わりに罰を受けた。
彼は救いようのない乱暴者として恐れられるようになり、人々は怯えた目で彼を見るようになった。
「面白い。君には才能がある」
そんな彼を気に入り、毎日のように声をかけてきたのが《先生》だった。
元王宮魔術師だと言う彼は、貧しい子供たちに魔法を教える私塾に彼を誘った。
当初は相手にしていなかったガウェインだったが、しつこい勧誘に負けて魔法を教わるようになった。
《先生》は教えるのが上手だったし、彼が言った通りガウェインには才能があった。
それも、元王宮魔術師を魅了するほどの強固で規格外の才能が。
ガウェインはすぐに周囲の子供たちよりはるかに卓越した魔法使いになったが、一人だけ勝てない相手がいた。
レティシア・リゼッタストーン。
この辺りの領主である貴族家の娘である彼女は、ガウェインより二年長く魔法を教わっていた。
聡明で家庭教師に貴族の娘としての教育を受けながら、魔法でも誰よりも優れた能力を発揮する彼女をガウェインは密かにライバル視していた。
(いつか、あいつをぶっ倒してみんなの度肝を抜いてやる)
ガウェインは時間があれば魔法の練習と勉強に打ち込むようになった。
彼の上達に、先生は目を細めた。
「本当に飲み込みが早い。君はすごいね」
それなりにできる方ではあったが、天才だったというわけじゃない。
ただ、先生が褒めるのがうまかっただけだ。
「別に。普通だろ」
斜に構えて、ぶっきらぼうに言った照れ隠しの言葉。
褒められるのがうれしくて、もっともっと精力的に魔法の練習と勉強に打ち込んだ。
多分、俺は《先生》が好きだったのだろう。
大人から認められ、褒められたのは生まれて初めてだったから。
《先生》に呼び出されたのはそんなある日のことだった。
「君にあの子のことを頼みたい。もし何かあったら助けてあげてほしいんだ。とても難しいことを頼んでしまったから」
それは、密かにライバル視している少女のことだった。
(なんで俺が)
しかし、先生は真剣な目をしていたし、言葉にはいつものそれとは違う何かが含まれているように感じられた。
聞き逃してはいけない大切なことを伝えようとしているような、そんな気がした。
(仕方ない。助けてやるか)
赤い空の向こうを見ながら思った帰り道。
(うまいことやって、いっぱい褒めてもらおう)
だけど、それが先生と過ごした最後の時間だった。
翌日、先生は死んでいた。
悲しいという言葉の本当の意味をガウェインは初めて知った。
今にして思うと、先生が『助けてあげてほしい』と言ったのは友人として彼女に声をかけてほしいというようなことを期待していたのだと思う。
彼女は積極的に人と関わろうとする性格ではなかったし、家柄ゆえの『しなければいけないこと』に追われ、同世代の友達や話し相手は少ないように見えたから。
魔法という共通言語がある自分に、その立ち位置を頼みたかったのだろう。
しかし、先生が亡くなってから彼女と話す機会は失われてしまった。
元々育ちの悪い孤児院の少年と貴族家の娘なのだ。
私塾が無くなると、接点なんてないし、そもそも住む世界が違いすぎる。
(先生が最後に残した頼みだ。とにかく、できることは全部やろう)
まずは彼女を助けられる自分になることから始めた。
能力を売り込み、魔法の才がある子供を探していたスターク家の養子になって、名門魔術学院に通った。
貴族が大多数を占める学院は居心地が悪かった。
「俺の家は、何人もの大臣を輩出してる名家なんだ。お前達平民とは住む世界が違うんだよ」
理不尽で筋の通らないことを言う上級生も多かった。
平民出身のルームメイトは毎日のようにいじめられ、そのたびに俺は上級生をぶっ飛ばして教師に指導された。
「今月もう三度目だよ、君……」
「間違ったことをしたとは思っていません。先に手を出してきたのは向こうです」
幸い、俺は学院の誰よりも喧嘩慣れしていたし、人として筋の通った行いを続けていれば、認めてくれる人がいることを知っていた。
「いいわよ、ガウェインちゃん……! 権威に屈しない心の強さ……! それでこそうちの子だわ……!」
「いや、問題を起こすのはさすがにダメなような」
「貴方は黙ってて」
「はい……」
スターク家の人たちもそんな自分のことを認めてくれた。
婿養子である父は、大分肩身が狭そうではあったが。
めきめきと力をつけ、実技では学院トップの成績を記録するようになった。
座学ではクリスとレティシアにまったく勝てなかったが。
それを口実にして話しかけ、それなりに仲良く話すようになった。
だけど、あくまで友人の一人として。
レティシアはスターク家の子になった俺が、あのときの男の子だとは気づかなかったし、それならわざわざ自分から話す必要も無い。
当時のレティシアは誰もが認める優等生だったが、裏ではかなり危ない橋を渡っていた。
王国の裏側で蔓延る貴族と聖職者の不正を調べるために、不法侵入や違法調査を繰り返す。
「あいつ誰よりも不良だよな」
「やってることの規模が違いますからね。我々も人のことを言えないですけど」
悪徳貴族が所有する屋敷の屋根の上で、クリスは白い目でガウェインを見て続ける。
「というか、なんで私は付き合わされてるんですか」
「仕方ないだろ。何かあったとき気づかれないように助けるには、俺だけじゃ力不足だ。学院一の秀才であるクリス様のお力があってこそ」
「そんなこと言って、実技では自分の方が上って思ってるのはわかってますからね」
「だって、事実だし」
「ただ一回負け越してるだけです。今ここで五分に戻してやりましょうか」
「待て。レティシアが出てきた。追われてる」
「……仕方ありませんね。今日のところは見逃してあげます。あと、こういうのはこれが最後にしてくださいね」
「ああ。もちろんわかってる」
それからも、クリスは毎週のようにガウェインに引きずられて悪徳貴族邸巡りに参加することになった。
不思議な関係は王宮魔術師になってからも続いた。
レティシアは人生を捧げて貴族の不正を追い、そんな危なっかしい彼女の後ろ姿をガウェインとクリスは追った。
今思えば、あれが青春だったのかもしれない。
普通のそれとは随分違う形ではあったが。
「あれはあれで楽しかっただろ」
懐かしげに言うガウェインに、
「そうですね。刺激的で悪くは無かったです」
クリスはうなずいて言う。
「ただ、どうして貴方がそこまでするのかはずっと疑問でしたけどね」
「別に、普通じゃねえか? 困ってる仲間を助けるのは」
「いくらなんでもやりすぎだと思いますよ。まあ、貴方がそういう人だって言うのは長い付き合いだからわかってますけどね」
西にいじめられているクラスメイトがいれば、行っていじめている上級生をぶっ飛ばし、東に金に困っている学生時代の後輩がいれば、詐欺にかかったふりをして金を分け与える。
そんな彼だからこそ、人々は言う。
かすかなあきれと尊敬を込めて。
――ガウェイン・スタークは身内に甘い。