166 エピローグ1
それから、助けに来てくれたガウェインさんに、第三王子殿下を苦しめている回復阻害魔法の構造式を託したあたりで私の記憶は途切れている。
回復魔法で応急処置はしていたものの、少なくない血を失った状態で戦っていたことで、貧血状態になって気を失ってしまったらしい。
目覚めた私は、四番隊が運営する魔法診療所のベッドの上だった。
清潔な白いカーテンの隙間から射し込む透き通った日差し。
壁掛け時計は六時を指していた。
朝と夕方のどちらだろう、と首を傾ける。
この透明感ある光の感じは多分、朝かな?
「目覚めたみたいですね」
にっこりと目を細めて言ったのは、長い艶やかな髪を揺らす女性――にしか見えない外見の男性。
四番隊隊長を務めるビセンテ・セラさんだった。
「かなり無茶をされたみたいですね。普通なら二週間は入院が必要な傷でしたよ。とはいえ、私の技術なら五日で退院させてあげられますが」
ビセンテさんはいたずらっぽく笑って言う。
「ガウェイン隊長には全治二週間と伝えておいたので、残りは臨時休暇だと思ってゆっくり休んでください」
「ありがとうございます」
「お礼を言いたいのは私の方です。貴方のおかげで第三王子殿下を救うことができた。正直に言って想像をはるかに超える活躍でした」
「よかった。お助けすることができたんですね」
ほっと胸をなで下ろす。
「ええ。先ほどまで付きっきりで治療していたので少々眠たいですが」
目をこすりながら言うビセンテさん。
「王妃殿下もすごく喜ばれてましたよ。是非直接会ってお礼を言いたいっておっしゃられてました」
「い、いや、それはうれしいんですけど粗相してしまいそうでお腹が痛くなりそうなんですが」
「そんなに怯えなくて大丈夫ですよ。こちらノエルさんに渡してほしいとのことでお預かりしたお手紙です」
走り書きながら美しい字が並んだ便箋。
時間が無い中、どうしても書きたくて書いてくださったとのこと。
そこに並んでいたのは幼い息子を大切に思う母親の言葉だった。
苦しみを代わってあげられるなら、迷いなく代わってあげたいと思える自分以上に大切な存在。
まだまだ子供な私には、その感覚はきっとちゃんとはわからなくて。
それでも、絶対に失いたくない大切なものを失いそうになったときの気持ちはわかるから、助けることができて本当によかったと思う。
末尾には、子供らしい字で『ありがとう』と書かれていて思わず頬がゆるんでしまった。
「よかったですね」
ビセンテさんは微笑む。
春の日だまりみたいなあたたかい気持ちになる笑みだった。
「あと、取締局のシェイマスくんも褒めていましたよ。貴方のおかげで、ヴィルヘルム伯の悪事を暴くことができたって」
「いやいや、そんな」
「でも、三番隊の連中はやっぱり嫌いだって言ってましたけどね。また、やつらに手柄を持って行かれたって」
「あー、それはちょっと申し訳ないです」
「いいんですよ。彼の憎まれ口はそれだけ認めてるってことですから」
それから、ビセンテさんはじっと私を見つめて言った。
「しかし、優秀とは聞いていましたが、これは想像以上の逸材ですね」
「え?」
「うちに来ません? 副隊長は無理ですけど、第三席くらいまでならあげられますよ」
「だ、第三席ですか?」
予想外の言葉にびっくりする。
じょ、冗談だよね、と思う私だけど、ビセンテさんは真面目な顔で続けた。
「第三席になるとお手当がつきます。お給料上がりますよ」
「お、お給料あっぷ……」
「アットホームな職場環境です。魔法医師関係の資格も取れます。資格があると強いですよ。何があっても食いっぱぐれません」
「資格……! 食いっぱぐれない……!」
「何より、ノエルさんは魔法が大好きと聞いています。四番隊に伝わる回復魔法の神髄、興味ありませんか?」
「回復魔法の神髄!?」
「少しだけお話ししますと、この魔法式のここをこうするとこうなって」
「わわっ!」
「この線をこちらにするとこういう不思議な反応が」
「おおっ!」
「実は重要なのはここの第二補助式で――と、入隊していないのでここまでしか教えられません。ここからは四番隊の人限定です」
「う、うう……」
魅力的な提案。
回復魔法の分野は勉強が足りてないし、魔法使いとして生きていく上でプラスになるのは間違いない。
(知りたい……めちゃくちゃ知りたい……!)
あふれ出そうになる欲望。
垂れそうになるよだれ。
それでも、私にとってはどうしても譲れないことがあって。
残念だけど――本当に残念だけど。
答えは最初から決まっていた。
「ごめんなさい。私はまだルークに拾われた恩を返せてないって思いがあるので」
「律儀ですね。なるほど、引き抜きたいならルークさんごとやれ、と」
「え?」
「作戦を考えておきますね。ひとまず今後ともよろしくお願いします」
手を振って、部屋を出て行くビセンテさん。
(なんだかとんでもない話を聞いてしまった気がする……)
衝撃のあまり、しばらくの間フリーズしていた私だけど、次第にこみ上げてくるのは褒めてもらえた喜び。
(引き抜きたいって言ってもらえた……!)
大好きな魔法を使える仕事で評価してもらえ、必要としてもらえた。
私にとって、こんなにうれしいことは他にない。
しかも、今回は知識に足りない部分もある回復魔法の分野。
少しずつできることが増えてる。
成長してる。
その手応えが何より元気をくれる。
花の匂いがするタオルケットをぎゅっと胸に抱える。
「何かいいことでもあった?」
顔を上げるとそこにいたのはルークだった。
入院患者が着る水色の病衣。
「大丈夫なの? 寝てなくて」
「うん。もうほとんど完治してるようなものだから。誰かさんに見張り付きで監禁されてたおかげというのはちょっと悔しいけど」
「……見張り? 監禁?」
「気にしないで。こっちの話」
深い闇を感じる言葉だった。
封印都市の療養所でいったい何があったんだ……。
「ノエルは大丈夫?」
「もちろん。私、頑丈だからね。小さい頃からおやつ代わりにその辺の草とか食べてたし」
「相変わらずやばいよね、君の幼少期エピソード」
「ちょっと派手な色のキノコがおいしいんだよ。舌がピリピリして」
「二度と食べないで。お願いだから」
それから、私はルークがいない間にあった出来事を話した。
話したいことはたくさんあって。
ルークは目を細めたりあきれ顔をしながらやさしく聞いてくれて。
私はそんなルークが好きだなぁ、と思った。
この気持ちが恋なのかどうかはわからない。
友達としては大好きだけど、そこにそういう気持ちが混じってるのか私にはまだわからなくて。
そもそも、ルークが私のことを恋愛的な意味で好きなのかも謎のままで。
だけど、今はそれでいいんじゃないかって思ったんだ。
友情とか恋愛とか、無理してそんな風に名前をつけなくても。
世界中すべての友達や恋人が、その人達にしかないたったひとつだけの特別な関係であるように。
私とルークの関係っていうただそれだけでいいんじゃないかって。
要領の良いあいつのことだから、そのときが来たらきっと教えてくれる。
他の誰とも違う、あいつの中にしかない気持ち。
それがどういうものなのかはわからないけれど、私たちならきっと大丈夫だって。
根拠は無いけれど、そんな風に思ったんだ。
「よっ。今日退院でしょ。手伝ってあげに来たよ」
退院の日、手伝いに来てくれたのはミーシャ先輩だった。
「聞いてよ、ノエル。この前街で一目惚れしましたって連絡先を渡されちゃってさ」
「え、すごいじゃないですか、先輩」
「うん。『やっぱ良い女だわ、私』って思いつつ、まあ前向きに検討してやるかって思ってたんだけど、二回目のデートで『君は神を信じてる?』って怪しい宗教の本を売りつけてきてさ。金貨三千枚だって」
「ええ……」
「ムカついたから、ぶっ飛ばしてやったわ。やっぱり猫が良い。間違いない」
「かっこいいです、先輩」
荷物をまとめつつ、楽しくお話しする。
「そういえば、ノエル言ってたじゃん。友達としての好きなのか恋愛的な好きも入ってるのか、自分の気持ちがわからない相手がいるって」
「言ってましたね」
「答えは出た?」
「出ましたよ」
うなずいた私に、先輩は前のめりになって言った。
「え、ほんと? どっち? どっちだったの?」
「どっちでもない感じでした」
自分の答えを伝えると、先輩は納得いかない様子で言った。
「煮え切らないなぁ。年頃の女なんだし、したいこととかないの? デートに行きたいとか、ロマンチックなキスとか」
「したいことはもちろんありますよ」
「何? 何がしたいの?」
「魔法がもっとうまくできるようになりたいです。今の私よりもっともっと」
「…………」
先輩はしばしの間硬直してから、頭を抱える。
「だ、ダメですかね?」
不安になって言った私に、
「いや、大変だなって誰かさんに同情しただけ」
先輩は笑って言った。
「あんたらしいわ。私は好きだよ」