165 業炎の魔術師
「動くな。一歩でも動けば二十一人の同僚が粉微塵になるぞ」
起爆装置を手に、鋭い目で見つめるヴィルヘルム伯。
張り詰めた空気の中を、ガウェインは無言で歩いていた。
脅しに対しても聞こえていないかのように歩みを止めない。
色のない瞳。
一切の感情が抜け落ちたかのような表情。
「いいのか。本当に起爆させるぞ」
「…………」
ガウェインは答えない。
ただ淡々と歩き続ける。
想定外の状況。
動揺と混乱。
ヴィルヘルム伯は決断を迫られる。
人質として閉じ込めてある王宮魔術師たちは、この状況においてヴィルヘルム伯が持つ最も強いカードだ。
火薬を起爆させると脅すことで相手の行動を制限する。
身内に甘いと言われるガウェイン・スタークに対しては、他の相手よりもさらに効果的なはず。
しかし、現実としてガウェインは止まらない。
(脅しとして使いたいこちらの意図を読み、実際には起爆させないと考えているのか)
迷いと葛藤。
ここでこのカードを切るのは、明らかに最善の選択では無くて。
だが、脅しが意味をなさないとなるとヴィルヘルム伯は選択せざるを得ない。
(わかったよ。そこまで仲間を失いたいなら、失わせてやる)
起爆装置のスイッチを押す。
しかし、その瞬間そこにあるのはドロドロに融解し液状と化した何かだった。
「ッ!」
強烈な痛みに頭が真っ白になる。
高温の物体に触れた事による脊髄反射。
溶け出した起爆装置が床に落ちる。
焼け爛れた手のひら。
起爆装置はコポコポと気泡を作りながら蒸発していく。
(今、何が……)
まるで想定していない状況。
右手をおさえながらヴィルヘルム伯は鋭く言った。
「撃て! こいつを撃ち殺せ!」
放たれる弾丸。
対して、ガウェインは何もせず歩き続けるだけだった。
弾丸の雨がガウェインへと疾駆する。
しかし、それは恒星に触れたかのように煙を立て、溶け出し、液状になって蒸発し霧散する。
残ったのは金属が焼ける匂いだけだった。
(ありえない……魔力を十分の一に制限されているんだぞ……)
自身が誇る私設兵団の精鋭。
最新鋭の魔法武器を使って、それでもかすり傷ひとつつけられない。
(でたらめすぎる……なんだ、なんなんだこいつは……)
絵画と調度品。赤い絨毯。水晶のシャンデリア。
その一切が泡立ち、煙をたなびかせて蒸発していく。
ヴィルヘルム伯は知らなかった。
《業炎の魔術師》と対峙する際、絶対に犯してはならない禁忌。
ガウェイン・スターク相手に人質を取ってはならない。
もし禁忌を犯してしまえば――
血管が切れたガウェインは、誰にも止められない怪物と化す。
(何か……何か手は……)
懸命に周囲を見回すヴィルヘルム伯。
背中を撃たれ、拘束されているレティシアの頬に銃口を押し当てる。
「この距離なら、銃を溶かすこともできまい。女の顔に消えない傷を残すことになるぞ」
ガウェインの瞳がかすかに見開かれる。
身に纏う魔力がさらにその力を増す。
皮膚が焼け付く強大な魔力圧。
もはや認識することさえ叶わない。
その力は、常人が測れる域をはるかに超えている。
しかし次の瞬間、目の前に広がったのは誰も予想していない光景だった。
目にも留まらぬ速さで起動する氷魔法。
両腕を拘束していた兵士は、一瞬で意識を刈り取られゆっくりと倒れていく。
鼓膜を裂く銃声。
放たれる弾丸の先にレティシアはいない。
レティシアは一瞬で体勢を入れ替え、ヴィルヘルム伯の身体を引き倒す。
マイナス150度の低温で強度を失った手錠だったものの残骸が、手首でブレスレットのように揺れている。
ヴィルヘルム伯の身体を赤い絨毯に叩きつけ、左手を極めて銃を奪い取ってから、氷の刃をその後頭部に向けて振り下ろした。
人間の身体をゼリーのように裂く氷の刃。
しかし、振り抜かれたそれは割り込んだ誰かの右手によって、ヴィルヘルム伯の耳をかすめただけだった。
「こいつには殺す価値もない」
静かに言うガウェイン。
手首を掴む大きな右手。
レティシアは歯を食いしばる。
氷の刃を握る右手がふるえる。
ずっと追いかけ続けた先生の敵。
殺してやりたい。
衝動。
しかし、手首を掴む大きな手はびくともしない。
何より、レティシア自身がそんな自分の弱さを許せなかった。
「…………そうですね」
静かに言って目を伏せる。
ずっと地獄に落としてやりたかった憎き相手。
復讐が無益なのはわかっていた。
そんなことは最初から知っていて。
それでも、他に何もできないから追いかけ続けた。
多分、先生が知ったら怒られるだろう。
何をしてるんだ。
そんなことに人生を使ってどうする、と。
(だけど、私にとっては大切なことだったんです)
許されたいとは思わない。
理解されたいとも思わない。
これは私の人生で、私が選んだ道だから。
それでも、いつか私が人生を終えるときが来て、どこか違う世界で先生に会うことができたなら――
昔みたいにやさしく叱ってほしいなって。
そんな子供じみたことを思った。
見つけてくれて、ここまで読んでくれて、本当にありがとうございます。
物語はここからエピローグとなります。
また私事ですが、拙作『「君を愛することはない」と言った氷の魔術師様の片思い相手が、変装した私だった』の書籍版が本日発売されます。
発売記念SSがweb版の掲載ページに。
(https://ncode.syosetu.com/n4058hw/37/)
書き下ろしSSがSQEXノベル公式サイトに掲載されています。
(https://magazine.jp.square-enix.com/sqexnovel/special/2023/kimiwoaisuru01_ss.html)
よかったら楽しんでいただけるとうれしいです!