158 潜入作戦
魔法を封じる遺物の範囲外に出てから、隠蔽魔法を使って慎重に移動する。
ルークが向かったのは、敷地の南側にある別館だった。
主としてヴィルヘルム伯の息子が使っているこの建物。
そして、ルークが伯爵の弱点だと考えているのもこの息子だった。
「ヴィルヘルム伯は一人息子を溺愛している。結果、息子バルドゥールはわがままで傲慢な性格に育った。使用人を下に見て、無茶なことを言ってよく困らせているとか。つまり、彼になりすませば厳重な警備態勢の中でも比較的自由に動くことができる」
「でも、なりすますってどうやって」
「これを使う」
ルークが取り出したのは、小さな小瓶。
ふわりと香る柑橘系の香り。
二角獣の角、魔女草、マンドラゴラの根、魔晶石とベルガモットの実を調合して作るその薬は――
「変身薬」
「まずは別館の倉庫に忍びこもう。バルドゥールが使っている馬車がある」
馬車の座席から、落ちている髪を採取する。
変身薬に沈めて待つこと三分半。
完成した薬を飲むと、ルークの身体はみるみるうちにわがままそうな貴族男性のそれに変わった。
「待ってて。中から窓の鍵を開ける」
屋敷へ歩いて行くルーク。
玄関に佇む警備の人を、見下したような態度でやり過ごす。
(意外と演技派だな、あいつ)
感心しつつ待っていると、鍵が回って裏手の窓が開いた。
「ここから中に入れる?」
「余裕」
雨樋をよじのぼってから、小窓に左足をかけ、身体を押し込んで中に入る。
昔から木登りと虫取りでは誰にも負けなかった私だ。
こういうのは得意中の得意技。
眩しいシャンデリアの光に目を細める。
そこは、衣装室のようだった。
赤い絨毯と美しい調度品。
色とりどりのドレスが並んでいる。
「バルドゥールは三つ年上の恋人に入れ込んでる。ここは彼が彼女のために作らせた衣装室」
落ちていたブロンドの髪の毛をつまんで言う。
「私はその恋人に変身する、と」
「そういうこと」
「でも、大丈夫なの? 本物の息子もこの中にいるんじゃ?」
「大丈夫。今眠らせてきた」
「仕事が早いね。さすが」
変身薬に恋人さんの髪を入れる。
「僕は外の様子を見てるから」
少し気まずそうに言うルーク。
(そっか。着替えないといけないから)
同い年の男子がいる空間での着替え。
別に気にしない方ではあるのだけど、封印都市で抱きすくめられたことを思いだすと少し意識しちゃうというか。
(いけない。今は仕事に集中!)
自分に言い聞かせながら、恋人さんの服に着替える。
美しい刺繍のきらびやかなドレス。
しかし、そこにあったのは絶望そのものの光景だった。
余りまくった袖。
ぺたんとなった胸元。
長すぎるドレスの丈。
(考えるな……何も考えるな……!)
変身薬を飲む。
身長が伸びて、ドレスのサイズはぴったりになったけど、釈然としない何かが頭の中に残った。
「着替えたよ、ルーク」
「うん……ってなにその顔」
「大丈夫。痛みを乗り越えて大人になっただけだから」
「痛み……?」
ルークはよくわかっていないようだった。
それでいい。わからない君でいてくれ。
悟りを開いた顔でうなずいてから、私は外の様子を伺う。
「それで、これからどうするの?」
「横暴な息子と恋人の演技をしつつ、屋敷の資料を探す。息子は相当恋人に入れ込んでるみたいだったから、恋人に頭の良いところを見せたいって感じの演技で行こう」
「私はどうすればいい?」
「そんな年下の恋人をかわいがってる感じかな」
「なるほど。余裕ある大人のレディだね。任せて」
知的で落ち着いた大人女子である私にとっては得意分野だ。
「証拠資料を隠してそうな場所の心当たりはある?」
ルークの言葉に、私はうなずく。
「多分、普通に探しても見つからない場所にありそうな気がする。ヴィルヘルム伯は強制捜査があるのをわかってたみたいだから」
「なるほどね。それなら、まずは本館の書庫に向かおう。読みたい資料がある」
横暴そうな貴族の顔でルークは言った。
「潜入作戦開始だ」
こうして始まった、ヴィルヘルム伯別邸潜入捜査。
大丈夫かな、とおっかなびっくりな私に対して、ルークの演技は堂々としたものだった。
「おい、どこにいるワードワース!」
鋭い声で執事を呼び出し、
「本館の書庫をエルザに見せたい。靴を用意しろ」
「し、しかしバルドゥール様……今は王宮魔術師団の強制捜査が行われた直後。兵士の方々の邪魔をしてはいけませんし」
「そんな都合は関係ない。俺に刃向かうのか、貴様」
「しょ、承知しました。少しお待ちください」
慌てた様子で準備する執事さん。
私はびっくりしつつ、小声でルークに言う。
「え、演劇経験がおありで?」
「無いよ。ただ、僕の場合は幼い頃からずっと演じてるところあったから」
「そうなの?」
「うん。父親が望む理想の息子。誰もがうらやむ完璧な優等生」
「なるほど」
見事なまでの仮面優等生だった出会った頃のルークを思いだす。
この演技力はそこで培われたものというわけか。
加えて、貴族社会で育ったルークだから、横暴な振る舞いをする姿を目にした経験も多くあるのだろう。
いいね、素晴らしい。
天性の大女優である私の相手役としては申し分なし。
私も、手加減することなくお風呂掃除の時間にミュージカルごっこをして磨いた演技力を発揮することができる。
「さすがね、あなた。知的で素敵だわ。うふ、あはーん」
「……なに、その異常に粘着質な口調」
「天才女優である私による大人びた女性を表現した完璧な演技だけど」
「…………」
ルークは感情のない目で私を見て言った。
「ノエルは何も言わず黙って僕についてきて」
戦力外通告されてしまった。
なぜだ。
(すごくいい演技だと思うんだけどな)
納得がいかない。
どうしてだろう、と理由を考えていた私は、はたと気づく。
(なるほど。ルークのやつ、大人の女性な私が魅力的すぎて、ドキドキしちゃったんだな)
それなら、すべてつじつまが合う。
「わかった。黙っておいてあげるよ。私って罪な女」
「ん? まあ、いいけど」
案内してくれる執事さんに続いて、二人で屋敷の敷地内を歩く。
鮮やかな青紫色のサルビアとデルフィニウムが咲く庭。
慌ただしく行き交う兵士さんたち。
逃げた私のことを探しているのだろう。
ヴィルヘルム伯がいる本館の周りは一際厳重な警備態勢が敷かれていた。
豪壮な四階建ての建物を見上げる。
(やっぱりここが一番あやしい感じがする)
橙色の照明が照らす正面玄関。
二人の兵士さんが門番のように周囲を見回していた。
「どういったご用件ですか?」
落ち着いた口調で言う兵士さん。
前を歩いていた執事さんが答えた。
「バルドゥール様が本館の書庫を見たいと」
「ダメです。明日にしてください」
有無を言わさぬ鋭い言葉。
強制捜査を警戒していた兵士さんたちからすると、なるべく中に人を入れたくないのだろう。
しかし、ここで入れないと私たちは大変困ったことになってしまう。
(どうにかして、中に入らないと)
考える私の隣で、ルークが言った。
「明日だ? ふざけるな。俺に楯突くのか」
「楯突いているわけではありません。今は誰も入れるわけにはいかないのです。まだ捕まっていない王宮魔術師も一人、いるようですし」
「そんなことは関係ない。俺が見たいと言っているんだ。この意味がわからないか」
「明日にしてください」
「父に言ってクビにするぞ」
鋭い言葉。
兵士さんは息を呑み、黙り込んでから言った。
「…………承知しました」
開けてくれた扉をくぐって、お屋敷の中へ入る。
執事さんの後に続きながら小声で言った。
「今からでも役者の仕事始めたら?」
「クビになったら考えるよ」
きらびやかな廊下を歩く。
美しい調度品と絵画も、私たちが偽物だということにまるで気づいていないようだった。
「どうぞごゆっくりお過ごしください」
恭しく頭を下げる執事さんの脇を通って、書庫の中へ。
本館で最も大きい一階の書庫は、強制捜査において重点的に探索された場所でもあった。
「どうしてここに来たかったの?」
「この建物についての資料が読みたかった。設計図とか施工図とか」
「なんでそんなものを?」
「見ればわかるよ」
二人で書庫を探索する。
学生時代は毎日のように図書室で本を探していた私なので、棚から本を探すのは得意中の得意。
「これとかどうかな?」
「完璧。さすが」
床に大きな施工図を広げてのぞき込む。
事細かに書かれた寸法の数字を確認してルークは言った。
「この数字違うね。ここの数字も違う」
「どうしてわかるの?」
「さっき歩きながら測ったから」
「なにその特殊技能」
「僕の歩幅は72センチだから歩数を数えれば大体の距離は測れる」
「いや、普通歩幅ってずれたりするし」
「僕は小さい頃から美しい歩き方をたたき込まれてるから」
施工図に目を走らせながら、淡々と言うルーク。
「おそらく、東区画の廊下。このあたりが怪しいかな」
「何があるの?」
「隠し部屋」
ルークは口角を上げて言った。
「ヴィルヘルム伯の心臓が見えてきた」