156 強制捜査
「レティシアさんに協力してもらうことはできませんでした。本当に情報を盗み出した犯人なのか確信が持てなくて」
執務室で話した結果を伝えると、
「構わない」
シェイマスさんはさして気にしてない様子で言った。
「作戦決行に備えろ」
作戦準備のお手伝いをする。
慌ただしく過ぎていく時間。
準備を手伝う中で感じたのは、今回の強制捜査が本来予定されていなかったイレギュラーなものであるということだった。
とても万全とは言えない準備。
それでも強行することになったのは、おそらく第三王子殿下の容態が悪化したから。
ひしひしと感じる緊張感。
絶対に失敗は許されない。
ひりついた空気に、私も頬を叩いて気合いを入れる。
そして三時間後、私はヴィルヘルム伯の別邸の前で待機していた。
最後の日差しが山向こうをかすかに照らしている。
濃い群青の中、一番星が小さく瞬いていた。
「魔法不適切使用取締局だ。第三王子殿下暗殺未遂事件の嫌疑で強制捜査を行わせてもらう」
荘厳な両開きの門が開く。
別邸に踏み込むのは取締局に所属する二十一人の魔法使いさん。
事前の計画通り、別邸の主要な部屋を手際よく踏み込んで押さえていく。
「ノエルさん、ここの書庫の資料を確認してもらえる?」
「了解しました!」
素早くたくさんの仕事をこなすのは私の得意分野。
加えて、文字を早く読むことについては四番隊の助っ人をする中でも経験している。
《固有時間加速》を起動して、見つかった資料に片っ端から目を通していく。
(不正や第三王子殿下の事件に関わる証拠は――)
しかし、なかなか有力な証拠資料は見つからない。
一見怪しそうなものも、よく読んでみるとまったく関係のないものばかり。
(これだけの量の資料があるんだから、無理もないか)
さすがは王国有数の権力を持つ悪徳貴族様の邸宅、なんて思いながら読んでいた私だけど、次第にそこにかすかな違和感があることに気づき始める。
(あまりにも不正に関係する資料が少なすぎる。まるでこの日のために準備していたみたいに)
強制捜査が行われることを想定して、あらかじめ対策をしていたのだろうか。
(いや、それにしたって出来すぎな気がする)
素早く資料に目を通しながら考える。
(ヴィルヘルム伯は強制捜査が今夜行われることを予期していた?)
嫌な予感がした。
とにかく、感じたことをシェイマスさんに伝えに行こう。
「あの、シェイマスさん。少し気になることが」
感じた違和感を伝えると、シェイマスさんは眉間の皺を深くしてうなずいた。
「俺も同じ事を考えていた」
「となると有力な証拠資料は既に持ち出されている可能性もありますか?」
「いや、それはない。第三王子殿下の事件の後、この屋敷には監視をつけていた。少なくとも、回復阻害の魔法式を微少化した際に使われた迷宮遺物と魔法式の資料は間違いなくこの敷地内にある」
「なら、絶対に見つけなきゃですね」
それを見つけられれば、絶望的な状況を覆し、第三王子殿下を救うことができる。
再び屋敷内の捜索に戻ろうとしたそのときだった。
「シェイマス・グラスさんですね」
言ったのは、高貴な身なりの男性だった。
「私はこの屋敷の主人であるヴィルヘルムです。今回の強制捜査は高等法院で制定した法律に反している。よって私は貴方たちが行った法を犯した捜査を取り締まらなければなりません」
「我々はこの国の法に則って捜査しています。言いがかりはやめてもらいたい」
「いいえ。本日高等法院で制定された新法に反しているのです」
「そんな話は聞いていないが」
「今し方決定しましたからね」
「手を回すのが早いな。今回はいくら積んだ?」
「我々は法の正義に則って我々は貴方たちを拘束しなければなりません」
ヴィルヘルム伯の私兵が私たちを取り囲む。
洗練された動きと所作。
彼らが訓練された手練れ揃いであることは一目でわかった。
(こうなることを予期して準備してた、か)
数の上では明らかに向こうが多い。
戦いに備えて補助魔法を起動しようとして、気づいた。
(魔法が使えない――)
私とエヴァンジェリンさんを襲撃する際にも使われた範囲内の魔法使用を制限する遺物。
そこでようやく私は理解する。
今夜の強制捜査はすべてヴィルヘルム伯の手のひらの上。
この状況を作るための罠だったということを。
(何か、何かこの状況を切り抜ける方法は――)
目だけ動かして周囲を見回す。
視界の端で見えたのは、シェイマスさんが後ろ手にポケットから何かを取り出しているところだった。
小さなボトル状の大きさのそれは――発煙弾。
ピンを抜かれた発煙弾がゆっくりと回転しながら床に落ちる。
白い煙が舞うのと同時に、シェイマスさんは私の手を引いた。
「退くぞ。奥の地下室に逃げ込め」
取り囲んでいた兵士の一人を投げ飛ばして、地下室の扉を開けるシェイマスさん。
追いかけてくる私兵たちを懸命に押し返しつつ、地下室に逃げ込む。
「どうする! どうするよ、これ!」
「数が多すぎる! 耐えられませんよシェイマスさん!」
混乱した様子の先輩たち。
「落ち着け! 今は目の前の敵だけに集中することだけ考えろ!」
鋭い声で指示してから、小声で私に言う。
「お前、あの通風口通れるか」
地下室から地上に続く通風口。
かなり狭そうだけど、小柄で人より少しだけスレンダー気味の私なら、通れる可能性はあるかもしれない。
「わかりませんけど、可能性はあると思います」
「俺たちで時間を稼ぐ。お前はあれで脱出しろ」
「でも、シェイマスさんたちが――」
「既に逃げられるような状況じゃない。可能性があるとしたらお前だけだ」
シェイマスさんは言う。
「お前にすべて託す。手がかりを見つけ、殿下を救ってくれ」
もう考えていられるような状況じゃなかった。
埃かぶった通風口に身体を突っ込んで懸命によじ登る。
「信じろ。お前ならできる」
後ろから聞こえた声。
響く鈍い音に、歯噛みしつつ地上を目指した。
窮屈な通風口。
明らかに人間が通ることを想定して作られていないその中を、なんとか身をよじって進んでいく。
錆び付いた金網を体当たりで外して、外に転がり出た私は、周囲から響く足音に愕然とした。
(囲まれてる……! もう追っ手が……!)
狭い路地に飛び込んで逃げるけれど、見つかるのも捕まるのも時間の問題。
「探せ! この近くにいるぞ!」
すぐ背後から聞こえる声に、心臓が止まりそうになる。
飛び出そうとした路地の前方から誰かの足音。
(まずい、見つかる……!)
息ができなくなったそのとき、不意に路地の物陰から飛び出してきたのは別の誰かだった。
「静かに」
私の手を引いて、口元を押さえる。
黒いフードを目深にかぶった長身の男。
反射的に殴り飛ばそうとした私は、その声の響きに寸前で手を止めた。
「おい、発煙弾だ!」
「東側に逃げたぞ! 追え!」
追っ手の私兵さんたちの声。
狭い空間で二人、息を殺す。
足音が通り過ぎてから、私はフードの男をじっと見上げた。
少しだけ甘いバニラの香り。
その匂いを私はたしかに知っていた。
(え、でも……)
その人はここにいるわけがなくて。
だけど、間違いない。
混乱と戸惑いの中で、私は言った。
「ルーク、なにやってんの?」