152 四番隊隊長ビセンテ・セラ
第三王子殿下の私室は、無数の魔法式と特殊な魔道具によって外の世界と隔絶された異界と化していた。
外に比べはるかに高い酸素と魔光子濃度。
細菌と微生物を自死させ取り除く七重の結界。
すべてが患者の容態を安定させるために最適化されている。
(これが王国一の回復魔法使い……)
感動しつつ、部屋の中へ進む。
まず見えたのは奥で横になる第三王子殿下の姿だった。
八歳にしては小さく華奢な身体。
整った顔立ちは中性的で、少年のようにも少女のようにも見えた。
シルクのナイトウェアを着た身体は痩せ細り、鶏ガラのように筋張っている。
荒い息づかいと言葉にならない喘鳴。
腫れたように赤い顔と、浮かぶ汗はその子が高熱にうなされていることを示していた。
(何の罪もない子供に、こんな苦しい思いをさせるなんて)
湧いてくる怒り。
許せない、と思った。
犯人にも理由はあるのだろう。
もしかしたら正義だってあるのかもしれない。
だけど、どんな理由があったって、何もしていない小さな子を苦しめるなんて絶対に間違っている。
「ノエル・スプリングフィールドさん、ですね」
やさしい響きの声だった。
男性と女性のちょうど間くらいの高さ。
振り向いた私の目に映ったのは、美しい長髪の魔法使いさんだった。
その人のことを私は知っている。
一見女性にしか見えないその人が、生物学的には男性であることも。
「近くで見ると本当にお綺麗ですね」
「ありがとうございます」
ビセンテ隊長はにっこり目を細めて言った。
「私はビセンテ・セラ。回復魔法に関しては、王国で一番を自負している魔法使いです」
「早速ですが本題に入りましょう。ノエルさんをお呼びしたのは、それが第三王子殿下を救うために最善だと判断したからです」
ビセンテ隊長は落ち着いた声で言った。
「得意ではない魔法医学の分野。優秀ですがその分、協力するという考え自体なかった寄せ集めチーム。様々な障害に屈することなく状況に於ける最善手を選択し、チームをまとめ上げ私がまるで予想していない作業速度を実現しました。さすが、噂通りの状況判断と適応能力というところですか」
「いや、たまたまみなさんがいい人達だっただけでそんな大それた話じゃ……」
「では、そういうことにしておきましょう」
ビセンテ隊長は目を細めてから言う。
「今、私たちは厳しい状況にあります。神経毒に織り込まれた未知の魔法式によって回復魔法は阻害され、その97パーセントが無効化されてしまっている。殿下を救うために、なんとしてでも魔法式を無害化する方法を見つけなければなりません。そんな状況下で先ほど、ひとつの情報が入ってきました」
「ひとつの情報?」
「二番隊、魔法不適切使用取締局が犯人につながる手がかりを入手したそうです。犯人を捕縛し、押収した証拠資料から使われた魔法式を特定することができれば――」
「魔法式を無害化し、殿下を救うことができる」
私の言葉に、うなずくビセンテ隊長。
「ノエルさんは、歌劇場で犯罪組織のアジトを誰よりも早く突き止めたと伺っています。貴方の力なら、タイムリミットまでに証拠資料を押収して問題の魔法式を特定できるのではないか。貴方に賭けるのがこの状況に於ける最善だと私は判断しました」
じっと私を見つめて続ける。
「時間は私が稼ぎます。王国一の回復魔法使いとして、第三王子殿下の命は簡単に散らせはしない。どんな手を使ってもつなぎ止めてみせる」
私の肩に手を添えて言った。
「お願いします。殿下を救うために、貴方の力を貸してください」
ビセンテさんとの会話の後、すぐに荷物をまとめて王宮の外へ出る。
緋薔薇が咲き誇る庭を走りながら、思い返すのは先ほどの会話。
(私の力が必要だってあんなに真剣に)
なんだか全然実感が湧かなくて。
でも、今は喜んでいられるような状況じゃない。
刻一刻と迫るタイムリミット。
でも、ビセンテ隊長はどんな手を使っても時間を稼ぐと言っていた。
(私も、私にできる全力を尽くそう)
第三王子殿下を絶対に救ってみせる。
決意を胸に、向かったのは王宮魔術師団本部の二番隊が使っている東区画だった。
私が一人でできることには限界があるし、犯人についての情報もわからない。
手がかりをつかんだという魔法不適切使用取締局に協力するのが、一番良い選択のはず。
「三番隊所属ノエル・スプリングフィールドです。取締局の人とお話ししたいんですけど」
「三番隊……」
声をかけた二番隊の魔術師さんは、警戒した様子で私を見つめた。
「帰れ。お前たちの相手をしている時間は無い」
(三番隊に警戒してる……?)
どうしてだろう?
賑やかで変わった人が多いとか言われることもある三番隊だけど、他の隊から嫌われてるみたいな話は聞いたことがない。
(私が知らない何かがあるのか?)
疑問を心の内に仕舞いつつ、私は言う。
「捜査に協力させてください。力になれると思うんです」
「戦力は足りている。追加人員は必要ない」
「ビセンテ隊長に言われて来てるんです。どうか、話だけでも」
「ビセンテ隊長に?」
予想外の言葉だったのだろう。
信じられないという顔の魔術師さん。
(チャンス……! 動揺してるうちに一気にたたみかける……!)
「ここで無下な扱いをすると、ビセンテ隊長が怒って後で責任問題になるかもしれません。隊長相手となると事態は深刻。私は貴方が責められるのを見たくないんです。どうか、取締局の方に話を通してもらえませんか」
「わ、わかりました」
(よし、言いくるめ成功!)
心の中でガッツポーズ。
奥に消えていった魔術師さんが帰ってくるのを待ちつつ、次の作戦を考える。
(三番隊は警戒されてるみたいだし、ビセンテ隊長の名前で押していこう。あと、チャンスがあればなんで三番隊が警戒されてるのかも聞きたいけど)
魔術師さんが戻ってくる。
落ち着かない表情。
その動揺は、奥に話しに行く前よりも大きくなっているように見えた。
(奥で何かあった?)
いくつかの可能性を考えつつ、魔術師さんの話を聞く。
「私もまだ状況をうまく整理できてないんですけど」
困惑した様子で魔術師さんは言った。
「局長がノエルさんと話したいと言っています」