150 情熱という名の才能
《固有時間加速》を使っての超高密度の学習。
必要な魔法医学の知識を頭に入れながら、第三王子殿下の体内にある医療魔法を阻害する魔法式の構造を探っていた私が突き当たったのは、自身の持つ処理能力の限界だった。
可能性があまりにも膨大すぎる。
問題の魔法式を特定するには、明らかに情報が足りない。
しかし、この限られた情報で解答を導き出すことが今の私たちに求められていること。
第三王子殿下を救うために越えなければならない大きな壁。
(とにかく、ひとつずつしらみつぶしに検証していくしかない)
ありえそうな可能性を精査して確認していく。
ノートはあっという間に文字と式構造で黒く染まる。
(やばい。わかんない。これ合ってるの?)
こんがらがる思考回路。
自分が理解できているのか、理解できていないのかもわからない。
(落ち着け。冷静に少しずつ)
深呼吸して心を落ち着かせる。
(聖宝級魔術師さんたちが解けない難問だ。難しいのは当たり前。それでこそ燃えてくるってもんよ)
時間はあっという間に過ぎていく。
一日が過ぎた。
三日が過ぎた。
一週間が過ぎた。
ひとつの可能性を完全に検証し終わって、自分の中に生まれたのは確信にも近い感覚だった。
(私はこの問題が解ける。解けると思う)
難度は理解できた。前提知識が不完全な部分もあるけれど、都度補っていけば対応することは十分にできるように思う。
(でも、どれだけの時間がかかるかわからない。百年、いや下手したら千年以上かかるかも)
《救世の魔術師》さんが未だ解けずにいる理由がわかった。
時間がかかりすぎるのだ。
検証すべき可能性をすべて潰すには気の遠くなるような作業量が必要になる。
(でも、それじゃ第三王子殿下は……)
扉の隙間から見えた、痩せ細った小さな男の子の姿を思いだす。
今のやり方では時間が絶望的に足りない。
私が問題を解き終わっても、そのときにはすべて手遅れになっている。
(私の力では王子殿下は救えない)
導き出された結論。
悔しいと思う。
力不足を嘆きたくなる。
でも、そんな時間は無い。
(私の力でもなんとかできる方法を考える)
意識を思考の海に沈める。
◇ ◇ ◇
用意された研究室には重たい空気が漂っていた。
助っ人として集められたにもかかわらず何の成果も出せていない。
のしかかる重圧。
「お願いします。どうか、どうか殿下をお救いください」
悲痛な声で言う侍女さんたちの顔を見ることができなかった。
残酷な現実。
骨身に沁みる無力感。
(あの子は、多分助からない)
誰もが実感としてそう感じていた。
すべては、敵対者の狙い通り。
いつ最愛の家族を失うかもわからない。
恐怖という鎖で繋がれた国王陛下は牙を折られ、王国の権威は失墜する。
(こんな外道そのもののやり方に屈するなんて……)
悔しさとふがいなさ。
拳を握りしめることしかできずにいた魔術師たちの中で響いたのは、一人の女性魔法使いの声だった。
「作戦があります」
ノエル・スプリングフィールド。
規格外の速さで昇格を続ける新人魔法使い。
「作戦?」
「私に協力してほしいんです。みなさんの力を貸して欲しい」
小さな魔法使いは言う。
「ここにいるのは各隊を代表する精鋭揃い。だからこそ、今までは個人単位で解決するために動いていました。能力の高いみなさんですから、協力するより一人でやった方がうまくいくと考えるのは自然な感覚だと思います。でも、だからこそ今だけは協力してほしい。そして、私にみなさんを支援させてほしいんです」
「支援させてほしい?」
「はい。一通り詰め込みはしましたが、私の知識は付け焼き刃ですから。魔法医学関連の座学では、経験豊富なみなさんには及ばない部分も多い。だったら、私はみなさんの作業をサポートします。それぞれの得意分野に作業を割り振り、分担して得意なことだけできる状態を作る。力を合わせて、この問題に挑みましょう。そして、そのお手伝いを私にさせてください」
「君の意見はわかった」
冷ややかな声で言ったのは、二番隊の王宮魔術師だった。
「だが、理想論であって現実的でないというのが私の意見だ。膨大な選択肢と可能性。まだ問題の全体像さえ見えていない現状で、これだけの人数を制御、統率するというのは到底不可能なことのように思える」
「まだ不完全ですが、私なりにこの問題で検証すべき可能性を六通りに分類しました」
会議室の前方にかけられた大きなボードに何やら書き始める小さな魔法使い。
しかし、その動きが不意にぴたりと止まる。
「……あの、脚立とか台とかありませんか?」
身長的にボードの上まで届かなかったらしい。
特別区画で執事を務める男性が脚立を運んでくる。
「ありがとうございます。これなら大丈夫です」
しかし、その言葉とは裏腹に、彼女の身長はボードの一番上に届いていなかった。
つま先立ちで、身体をふるわせながらなんとか上の方に文字を書く。
「大丈夫ですか? 書きづらいなら梯子をお持ちしても」
「大丈夫です。私、大人の女なので」
どうやら、彼女なりの意地があるらしい。
(大人と言い張ってるその感じが子供にしか見えない……)
漂う不穏な空気。
(この子、本当にこの難問のことがわかってるのか?)
疑わしく思いつつ見ていた彼らの前で、彼女は手際よくボードに文字を書いていく。
小気味よく響くペンのはしる音。
書き綴られる文字と魔法式。
(……待て。なんだ、それ)
息を呑む。
(どうやってそこまで精緻に分類と場合分けを)
次第に変わり始める部屋の空気。
少しずつ、彼らは気づき始める。
目の前にいるのが、規格外の存在であることに。
戸惑い。
広がる信じられない光景。
(どれだけの時間をかければこれだけの量の検証を……)
広いボードを埋め尽くすように書かれた情報の洪水。
絶句する魔術師達を余所に、ペンのはしる音は止まらない。
止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。
誰もが言葉を失って見入っていた。
目をそらすことができない。
書き込まれた異常な量の思考と作業の跡。
(なんなんだ、この子は……)
口の中がからからに乾いている。
そこにあったのは、畏怖さえ感じる異常な量を迷い無く積み上げることができる、常軌を逸した情熱という名の才能だった。