143 満腹食堂本店クリームコロッケ定食
「お母さんは世間知らずなので大丈夫でしたが、街の人たちの中にはエヴァンジェリンさんを知っている人もたくさんいます。重要なのは普通の女の子に見える変装ですね」
エヴァンジェリンさんの外見を点検しつつ私は言う。
「髪は帽子でまとめ、耳は隠蔽魔法で隠しましょう。あと、メガネで顔の感じも変えて」
おしゃれ知的女子になりたくて買ったものの、気恥ずかしくて一度も付けられていない伊達メガネをつけると、普段と印象の違う大人でクールな印象のエヴァンジェリンさんになった。
「良い感じです。服は私の服を着てもらって」
しかし、ここで問題が発生する。
「これ、私には少し小さいかも」
「…………」
いろいろなところのサイズが全然合っていなかった。
気づかないふりをしていた現実を痛感して、私は悲しい顔をした。
「お母さん、ちょっと服を貸して欲しいんだけど」
私より少し大きなお母さんに服を借りる。
「もう、なにやってるのまったく。ちんちくりんなあんたの服じゃエヴァちゃんには小さいことくらい見ればわかるじゃない。さあ、エヴァちゃん、私の服を使って――」
「これも、私には少し小さいかも」
「…………」
お母さんは悲しい顔をしていた。
残酷な現実に親子二人で立ち尽くしてから、私は次なる作戦を考える。
「そうだ。近くに住んでる王宮魔術師の先輩に借りましょう。よくしてもらってる先輩がたしか徒歩圏内に住んでるはずなので」
『男より猫の方が良い』という思想的主張を持つミーシャ先輩の家を訪ねる。
「ん? どしたの、ノエル。なんかあった?」
目をこする先輩。
靴箱の奥に猫の脱走を防止する柵と『なんだこいつ』という顔の猫ちゃんが見える。
「少し服を借りたくて」
「誰に貸すの?」
「この人なんですけど」
「…………」
先輩はしばしの間エヴァンジェリンさんを見つめてから、言った。
「寝ぼけてるのかしら。なんだか変装してるエヴァンジェリン・ルーンフォレストがいるように見えるんだけど」
「寝ぼけてるんですよ。エヴァンジェリンさんがいるわけないじゃないですか」
「そうね。そんなわけないわね」
先輩は外出用の服と靴を貸してくれた。
「来週までに返してね」
「来週何かあるんですか?」
「この前同窓会で再会したクラスメイトにデートに誘われてるの」
「え、すごい」
「すごいでしょ。今は美術商の仕事をしてるらしいんだけど、運気が格段に上がる壺を扱ってるんだって。すごいよね。私にも特別に紹介してくれるって言ってた」
「…………」
(ほんと、男運ないなこの人……)
先輩が騙されないよう注意しておこうと思う。
借りた服に着替えてもらってから、【認識阻害】の隠蔽魔法をかける。
気配とオーラを消して、目立たないように。
「よし、完成。それじゃ、行きましょうか」
太陽が燦々と輝く午前十一時の王都。
私は、女王様を街へ連れ出した。
◇ ◇ ◇
「良いのですか? 前代未聞ですよ。森妖精の女王が人間の女性に扮して街に出歩くなど」
王都の街路を歩くノエルとエヴァンジェリンを尾行する二つの影。
【認識阻害】の魔法で姿を隠した二人は、エヴァンジェリンの側近であるエステルとシンシアだった。
「止められると思いますか。エヴァンジェリン様がその気になれば、私たちを撒くことくらい造作も無いこと。その上、一晩どころか翌朝までノンストップの愚痴を聞かされることになりますよ」
「……たしかに。それは絶対に嫌ですね」
「健康的で文化的な日常を確保するために、気づかないふりをしつつ見守るのが最善です」
うなずきあう二人。
「しかし、エヴァンジェリン様はどうしてあんなに愚痴を言いだすようになったのですかね。あんなこと今までなかったのに」
「おそらく、初めてできた友達という存在に戸惑っているのでしょう。何せ、エヴァンジェリン様は千年以上友達が欲しいって言い続けてましたからね」
「重いですね」
「ええ。とても重いです。そんな念願叶っての友達なので、どう接して良いか測りかねているところもあるのでしょう。普段周囲の感情とかまったく考えずに生きていた分、他者との距離の測り方には不慣れな部分もあるでしょうしね」
「そういうものですか」
納得した様子で言うエステル。
「とにかく、私たちは問題が起きないよう見守ることにしましょう。折角の機会ですし、人間界の文化に触れてみるのも良いかもしれませんね」
「煩雑で騒々しく低俗な文化に触れる価値が?」
「大森林の常識ではそう言いますね。でも、ここだけの話ですが」
シンシアは耳元に口を寄せて言った。
「人間界の食べ物ってすごくおいしいのですよ」
◇ ◇ ◇
「エヴァンジェリンさんは行きたいところってありますか?」
「行きたいところ?」
「普通の女の子として、ここに行ってみたいって場所とか施設とか」
私の言葉に、エヴァンジェリンさんは考え込んでから言う。
「正直に言うと、人間界のことはよくわからないの。私が女王になる以前はなるべく関わるべきではないという考え方が主流だったし、浅ましく低俗な文化というのが人間界の文化に対する森妖精の一般的な認識だから」
「まあ、そう言われればそこまで間違ってない気もしますけど」
「でも、折角の機会だから触れてみるのもいいかもしれないわね」
エヴァンジェリンさんは目を細めて言う。
「ノエルのおすすめしたいところに連れて行って」
「わ、私のおすすめですか」
これは責任重大。
エヴァンジェリンさんに人間界の文化を楽しんでもらうために、一番良い選択をしなくては。
「では、まずお昼の定番スポットへ行きましょう」
「定番スポット?」
「ええ。たくさんの人で賑わう人気料理店――満腹食堂本店です!」
幾多の大食い自慢が集う満腹食堂の本店はアーデンフェルドにおける大食いの聖地と呼ばれている。
お昼前のお店は、既にたくさんの戦士たちで賑わっていた。
「すごい人気ね。さすが定番スポット」
感心した様子で言うエヴァンジェリンさん。
「あ! ノエルさん! おはようございます!」
大柄な男性が私に気づいて言う。
「おい、ノエルさんが来たぞ道を空けろ」
「いえいえ、お気遣いなく」
あたたかく迎え入れてもらえて頬をゆるめる。
友達を連れてきたお店で常連さんとして扱ってもらえるのは、中々にうれしい。
「満腹定食とクリームコロッケ定食をお願いします」
注文をして、料理ができあがるのを待つ。
十分後、到着した私の満腹定食を見てエヴァンジェリンさんは絶句していた。
「な、なにそれ……」
「私が愛して止まない満腹定食です。これじゃないと食べた気がしないんですよね」
「に、人間ってたくさん食べるのね……」
なんだか間違ったイメージを与えてしまっている気がしたけれど、揚げたてのチキンカツの方が大事なので気にしないことにする。
「これが人間界の料理……」
つついたり、転がしたりしておっかなびっくり点検してから、恐る恐る口に運ぶエヴァンジェリンさん。
さくりと小気味よく響く揚げたての衣の音。
瞬間、エヴァンジェリンさんの顔がぱっとほころんだ。
「すごい! なんかじゅわって出てきたわ!」
「本店のクリームコロッケは逸品ですからね。これを食べるために本店に来る人も少なくないって聞くので」
「こんな料理があるのね。とても興味深いわ」
口に運んで、幸せそうに目を閉じる。
それは、なんだか見ている私までうれしくなってしまうような素敵な表情だった。