140 女王様との距離
「さすがの私もあのときは死んだと思ったわ。でも、女王である私に今まで尽くしてきてくれたエステルとシンシアは絶対に守らないといけないじゃない? あと、ノエルとまだ全然遊んでないことを考えたら、『こんなところで死んでたまるか』って気持ちになったの」
襲撃者騒ぎが落ち着いた後、エヴァンジェリンさんはこうなった経緯を私に教えてくれた。
「そこから気合いと根性と死んだふりでなんとか二人を抱えて生き延びることには成功したんだけど、魔力は残ってないしもうボロボロで。そんなときに声をかけてきたのが、アーデンフェルド王国の方だったの」
「よかった。すごい偶然ですね」
「それが偶然ではなく私を探してたみたいなの。襲撃事件が起きるという情報も事前にどこかから嗅ぎつけてたみたい。第一王子の指示だって。なんかうさんくさいし、一度はお断りしようと思ったんだけど、アーデンフェルド王国ってノエルの国だなって思いだして。これは、公務と称して遊びに行くチャンスだな、と知的で聡明な私は思い至ったわけ」
「もしかして、そのためにアーデンフェルドに?」
「そのためだけに来たと言っても過言ではないわね」
力強い断言だった。
「ちなみに、三魔皇の一人がアーデンフェルドを訪問するのは歴史上初めてのことなんだって。外交官の方が感極まった感じの顔をしてたから、ノエルに感謝するように言っといたわ。そのうち感謝状とか届くんじゃないかしら」
興味なさそうに言うエヴァンジェリンさん。
なんだかとんでもないことになってしまっている気がしたけど、疲れそうなので深く考えないことにした。
ストレス社会では自分の身を守ることが何より大切だからね、うん。
自分を責めすぎず、できればほどよく甘やかしながら生きていきたい私である。
「でも、王国に着いたら今度は王国に襲撃者が入り込んでるって話になってね。ノエルを囮にして誘い出す作戦を開始してるって言うから、慌てて協力を申し出たわけよ。剣聖も参加してるし殿下の指揮だから大丈夫って外交官の方は言うけど、やっぱり危険なのは間違いないし」
「……あー、たしかに言われてみれば心当たりがあるような」
改めて考えると、ルートの選び方に敵を誘っている感じがあったような気がする。
「申し訳ありません。騙すような形になってしまって」
同行してくれていた騎士さんが頭を下げる。
「いえ、大丈夫です。お役に立てたのなら、むしろ光栄というか」
「本当に助けられました。攻撃時の敵の動きが予測以上に速く、私は反応できてなかったので。無傷でいられるのはノエルさんのおかげです」
褒めてもらえて頬をゆるめる。
「後の処理は私の仲間に任せて、ノエルさんはお帰りください」
念のため、引き続き騎士さん二人が同行してくれるとのこと。
帰ろうとした私に小走りで駆け寄ってきたのは、エヴァンジェリンさんだった。
「あ、あのね、ノエル。よかったら……」
何か言いかけて視線をさまよわせる。
少しの間押し黙ってから、言った。
「な、なんでもないわ! またね!」
なんでもなくないのは、感覚的にわかって。
だけど、私に背を向けたエヴァンジェリンさんを呼び止めることはできなかった。
大森林で暮らす森妖精の女王であるエヴァンジェリンさんはきっと、私には想像もつかないようないろいろな事情を抱えていて。
その彼女が自分の意志で選んだのだから、尊重するのがきっと正しいはず。
『なんだかもう少し一緒にいたそうだった』なんて、曖昧な理由で呼び止めてはいけない。
庶民な私と女王であるエヴァンジェリンさんは違うのだから。
間違いの無い選択をしたはずで。
なのに、なんだか間違えたような後味が残った帰り道。
「ノエルさん、お話があります」
私の後を追いかけて、声をかけてきたのは木の葉の耳をした美しい森妖精の女性。
エヴァンジェリンさんの側近――シンシアさんだった。
「お時間を取らせてしまい、申し訳ありません。実はノエルさんにひとつお願いがありまして」
エヴァンジェリンさんの側近として大森林で実務を担当していると聞くシンシアさんは、私が想像していたよりずっと腰が低かった。
私より地位も立場もはるかに上のはずなのに、丁寧な物腰と言葉使い。
真剣な表情。
なんとなく、彼女がお願いしようとしているのがなんなのか、わかった。
「エヴァンジェリンさんに関わらないでほしい、と。そういうお願いですか?」
シンシアさんは少しの間黙り込んでから、言った。
「……どうして?」
「自分たちの女王が人間と仲良くしてるのは、側近の方としては好ましくない状況なんじゃないかなって」
それに近い出来事を私は経験していた。
『平民とは遊ぶなってパパが言ってるから』
生徒のほとんどが貴族である魔術学院では、そんな風に言われて悲しい気持ちになったこともあって。
人間同士でもそうなのだから、違う種族となるとさらに障害は大きくなる。
でも、だからこそ私の答えは最初から決まっていた。
「お断りします。私はエヴァンジェリンさんと今後も仲良くしたいと思っているので」
相手は女王様だから、簡単に踏み込んではいけない部分もあるとは思うけど。
でも、だからって周囲の都合で距離を置かないといけなくなるのは間違っている。
「お考えはよくわかりました」
シンシアさんは表情を変えずに言った。
「それで、お願いしたいことなのですが」
「くどいです。私は受け入れませんから」
「エヴァンジェリン様をお家に泊めてあげてほしくて」
「だから私は――って、ん?」
なんか、話の流れが思ってるのと違うような。
「えっと、今なんと?」
「エヴァンジェリン様をノエルさんのお家に泊めてあげてほしいんです。アーデンフェルド王国訪問が決まってからずっとエヴァンジェリン様は『ノエルさんと遊べる!』とうるさくて。お泊まりしたい、お買い物したい、食べ歩きしたい、とそれはもうエンドレスで夢を語り続ける始末。あまりに終わらず眠れないので、エステルなんか馬車の隅っこで耳をふさいでうずくまり始めるほどで」
「そ、そんなことが……」
「ところが、肝心の誘うタイミングになって、あの人はおひよりなさって言えなかったのです。迷惑だったらどうしよう、断られたらどうしよう、とそんな思考が頭をよぎったのでしょう。おかわいい話ではありますが、しかし側近である私たちにはたまったものではありません。なぜならこの後あの人は私たちに対して、『一緒にお泊まりしたかった』と一晩中愚痴を言い続けるに違いないのです。エステルは既に死地に向かうような遠い目をしていましたが、私はまだ諦めたくありません。どうかノエルさん、私たちを助けると思って」
お願いの方向性が思っていたのとは全然違った。
完全に真逆だった。
「……私がお断りしますって言ったとき、どんな風に思ってました?」
「なんか勘違いしてかっこいい感じのことを言われているな、と」
「…………」
早とちりして真剣に自分の意志を伝えた結果、恥ずかしいことになってしまった残念な女がそこにいた。
私だった。
「……泣きたい」
「泣きたいのはこっちです! どうか、どうかお泊まりをさせてあげてください」
聞いていた騎士さん二人のやさしい笑みに、顔が熱くなるのを感じつつ、元来た道を引き返してエヴァンジェリンさんの元へ。
「エステル聞いて! 私お泊まりすごくしたかったのに、勇気が出なくて言えなくて! でも、いきなりお泊まりとか迷惑かもしれないし、友達との距離の詰め方とか私全然わからないから困らせちゃうかも、とかいろいろ考えちゃって、それから――」
「…………」
怒濤の愚痴を放つエヴァンジェリンさんと、死んだ目のエステルさん。
戻ってきた私に気づいて、翡翠色の目が見開かれた。
「え、ノエル!?」
なんだか少し気恥ずかしくて、
頬をかきながら私は言った。
「あの、よかったらうちでお泊まりしませんか?」
「うそ……」
エヴァンジェリンさんは信じられないという顔で言ってから、
「いいの!? お泊まりしていいの!?」
と上気した顔で言った。
隣で、エステルさんが救われたみたいな顔をしていた。
その表情がやけに印象的に、私の中に残っている。