134 四重奏
ノエル・スプリングフィールドのその提案は、無謀を通り越して困惑さえ生みかねないものだった。
西方大陸で最上位に位置する二人の魔法使い。
アーデンフェルドの王宮魔術師団総長クロノスと大森林の《精霊女王》エヴァンジェリンの魔法は、尋常な魔法使いのそれとは次元が違う。
解放しただけで周囲の人間を失神させる規格外な魔力量を持つ二人の魔法を重ね合わせるには、異能の域まで達した魔法制御力が必要になる。
クロノスとエヴァンジェリンでさえ実現させることは叶わない超高難度の芸当。
しかし、クロノスは彼女の無謀を笑わなかった。
ここまで彼女が見せてきた力の本質。
常人の域を超越した適応能力。
自らが数百年かけて作り出した《時を停止させる魔法》を不完全起動ながら数日で再現したその力をもってすれば、不可能を可能に変えられるかもしれない。
他の魔法使いには無理でも、彼女なら――
「わかった。任せる」
クロノスの言葉に、笑みを浮かべてエヴァンジェリンは言う。
「私とノエルの合体攻撃というわけね。親友パワーは闇をも切り裂くのよ」
展開する魔法式。
「ドラゴンさん、力を貸してください。反動の相殺は任せます」
『心得た。反動についてはなんとかする。我の纏う魔素をすべて其方に集中しよう』
「ありがとうございます」
そして、ノエルは精神を研ぎ澄ませる。
世界から音が消える。
その目には、もう目の前の魔法式しか映っていない。
「最初は彼女が耐えられる出力から。段階を踏んで出力を上げていく」
クロノスの言葉に、エヴァンジェリンはうなずく。
「わかってるわ。ノエルの適応能力に賭けるのでしょう」
起動する二つの魔法式。
ノエルの身体に異常が無いことを確認してから、出力を上げていく。
しかし、規格外の魔力量を持つ二人の魔法は一介の魔法使いが耐えられる域をはるかに超えていた。
歪む空間。
軋む魔法式。
彼女の白い手袋が血に染まる。
(これは、さすがに……)
クロノスが出力を弱めようとしたそのときだった。
光を放つ若草色の魔法式。
肌を焼く感触。
(魔力量が上がった――)
高速展開する魔法式。
ひとつの魔法式で処理しきれないなら、多重展開による力業で必要な処理能力を実現させる。
それを可能にしているのは、彼女が得意とする固有時間を加速させる魔法と異常なまでの集中力。
もしほんの一瞬でも両手の出血に気を取られていたら、魔法式は破砕し作戦そのものが崩壊していたはず。
加えて、暴力的な出力を持った二つの魔法を制御し重ね合わせるには、それぞれの魔法式が持つ特性を計算した上で最適な接点を見つけ出す必要がある。
1パーセントの誤差も許されない精緻なバランス感覚。
感嘆しつつクロノスは魔法式を起動する。
黄金色の光を放つそれは、飛竜種の体躯を超えてさらに大きい。
蜃気楼のように揺らぐ空間。
近くにいるだけで意識が飛びそうな異常な魔力量。
異なる時間軸から送り込んだ魔力を収束させて放つその魔法は、常人の理解を超越している。
《光刻閃》
《空間を創造する魔法》
千体の高位精霊が放つ破壊の光がそこに重ねられる。
衝撃。
飛竜種でさえ一歩間違えれば彼方へ吹き飛ばされてしまう強烈な反動。
太陽よりも眩しく闇を染める閃光。
光の雨が古竜種の巨体に降り注ぐ。
幾重にも重ねられた熱線。
強固な装甲が一瞬で蒸発する。
肌を焼く熱風。
光に染まる瞼の裏。
鼓膜を殴りつける轟音。
そして、そこにあったのはあまりにも理不尽な蹂躙だった。
ぽかりと空いた大穴。
マグマのように赤黒く溶融した細胞組織。
目の前の巨大な何かは、その体躯のほとんどを喪失している。
「すごいすごい! さすが私の親友!」
限界以上の力を出し切って意識を失ったノエルを揺らすエヴァンジェリン。
(完全な出来ではなかったとはいえ、このレベルの出力を持った二つの魔法を制御し反作用を抑えて重ね合わせる、か)
クロノスは思う。
(それも、連戦で消耗した状態で。私が今の彼女の域に達したのは三十代の後半)
眠る彼女を静かに見つめた。
(この子は、今までいたすべての魔法使いを超える存在なのかもしれない)