122 核心
その光景は、レティシア・リゼッタストーンにとっても衝撃的なものだった。
他を寄せ付けず圧倒的な強さで勝ち進んでいたエステル・ブルーフォレストを一方的に粉砕する。
何より恐ろしいのはそれが、魔法以外の力によって成立していたことだった。
徹底的な対戦相手の分析と行動パターンのトレース。
未来が見えているようにさえ思える先読みと立ち回り。
(あの子、いったいどれだけの量を……)
その裏にある研究量を思ってレティシアはぞくりとする。
王宮魔術師団の中でもトップクラスの仕事量をこなしている彼だ。
こちらの目を盗んで仕事をする彼を、休ませるために苦労してきたレティシアだからわかる。
時間の余裕なんてほとんどないはずなのに。
狂気の域に達している研究と反復。
彼は人生のすべてをそこに捧げている。
(それが全部片思いしてる相手に近づける自分になるためなのだから、純粋というか阿呆というか)
だけど、だからこそ放っておけないのだ。
せめて、少しでも報われてほしいと思ってしまう。
たとえ儚く消える叶わない恋だったとしても。
なるべく傷つかない幕切れであってほしいと。
そんなお節介なことさえ思ってしまう。
(阿呆なのは私も同じか)
横目で隣に座る彼の思い人を見つめる。
彼女は何を思っているのだろうか。
「ルーク……」
揺れる瞳。
形にならない何かを含んだ表情。
その表情は、少しだけ恋する少女のように見えて、
(あれ? これ、もしかして)
弾む鼓動。
ほのかな期待を胸に、続く彼女の言葉を待った。
「ちくしょう、また先に行きやがってあいつ……許せん、絶対食らいついてやるからな、見てろ……!」
「…………」
どうしてそうなる。
斜め上の反応に頭を抱えてから、くすりと笑った。
愛すべき莫迦な二人の後輩。
負けず劣らぬ莫迦な私は、二人の人生が幸多きものになることを願っている。
「申し訳ありません。負けてしまって」
試合後の控え室。
エステルの言葉に、エヴァンジェリンは言った。
「いいのよ。勝負は時の運。今日は貴方の日ではなかった。それだけ」
カップの紅茶を揺らしてから口づける。
「とはいえ、貴方にとっても学びのある戦いだったでしょう。魔力量と魔法に向かい合った年月も絶対じゃない。あの試合に関して言えば、貴方の千年は彼の一試合に懸ける思いと研究量に敵わなかった」
「そうですね。まさかあそこまで私のことを調べ上げて対策しているなんて夢にも思っていませんでした」
「見事なものね。おそらく、人生のすべてを捧げて準備をしてきたのでしょう。ここまで自分を投げ打てるなら話は変わってくるわ。彼にも、私の域に到達する可能性があるのかもしれない」
「もう一人は、あの小さい子ですか?」
「そうだけど」
こともなげにうなずくエヴァンジェリン。
「恐縮ですが、エヴァンジェリン様。私にはあの子にそこまでの力があるようには思えません。才能ある魔法使いなのは間違いありません。人の世の歴史に名を残す可能性がある逸材であることは理解できます。ですが、エヴァンジェリン様の域に到達できるとはとても」
「貴方のいうこともわかるわ。同じ意見の人はむしろ多いでしょうね。だけど、大切なことは目に見えないの。私は彼女の奥に眠る怪物に期待してる」
「怪物?」
「そう。未だに全容を計りきれない何かをあの子は持っている」
それから、誕生日前夜の子供のように目を細めてエヴァンジェリンは言った。
「引きずり出してみたいのよ。もう、楽しみで仕方ないわ」
◇ ◇ ◇
進む国別対抗戦。
前回大会の準優勝者を圧倒し、準々決勝に進出したルークは一躍、大会の優勝候補として注目を集めていた。
や、やばい……。
置いて行かれてしまう……。
そんな姿を見た私が、焦燥感に駆られていたのは言うまでもない。
他の人に負けるのはいいけれど――いやそれも悔しいからやっぱり嫌だけど――とにかくルークにだけは絶対に負けたくないのだ。
もはや手段を選んでいる余裕はない。
どんな手を使ってもルークに食らいつかなければ……!
魔法パンチ(物理)と魔法頭突き(物理)で格上の魔法使いさんたちの虚を衝くことで私はなんとか準々決勝に進出。
他の魔法使いさんとまったく違う私の戦闘スタイルは『勝つために手段を選ばないやべえ女』として好評で、最近は封印都市の子供たちに「おねーちゃんの頭突きすごいね!」とよく声をかけてもらえる。
いささか不本意なところもあるけれど、気品に満ちた優雅でお淑やかな大人女子である私はそこもあたたかく受け止めてあげることにした。
みんなの期待に応えられるよう、張り切って練習に励まなければ!
今、私が挑戦しているのは総長さんが見せてくれた時を止める魔法。
美しい黄金の魔法式。
私もあんな魔法式を描いてみたくて。
見よう見まねでやってみるけれど、なかなかうまくいかない。
「うーん、たしかにこういう感じの式構造だったと思うんだけど」
魔法式をじっと見つめて点検していると、
「うん、よくできてると思うよ。一瞬見ただけでここまで再現できる魔法使いはそんなに多くないんじゃないかな」
揺れる藤色の髪。睡蓮の香り。
総長さんがすぐ隣にいてびっくりする。
「こ、こんにちは!」
「そんなに固くならないで大丈夫。私のことは気軽にクロノスお兄さんと呼んでくれていいのだよ」
「い、いや、それはさすがに」
「誰もお兄さん呼びしてくれない。寂しい」
しばし悲しげな顔をしてから、総長さんは言う。
「その魔法式が起動しないのは君の魔法式じゃないからだね。そこにある式構造は私が使うために最適化されたものだから。体格、癖、魔力量、魔力操作精度、腕の長さ、魔法式を描くスピード、骨格、筋肉の付き方――そういったすべてを考慮した上で作り上げられている。だから、君が使ってもうまく起動しない」
落ち着いた声で続ける。
「大切なのは君の魔法式を描くことだよ。真っ白なキャンバスに絵を描くように、君だけの魔法式を描くんだ。細部に愛をたっぷり詰め込んで、祈りを込めて君自身を形にする。あとは何度も挑戦してたくさん失敗することだね」
「任せてください! 私、そういう泥臭いの得意です」
「うん、期待してる」
やさしくうなずいてから、総長さんは言う。
「今日来たのは君に少しお願いしたいことがあってね。いろいろ選択肢はあったんだけど、君に頼むのが一番良いかな、と」
「お願い? なんですか?」
「君の相棒であり親友。ルークくんのこと」
「あー、あいつ優勝候補とか言われて調子に乗ってますよね。わかりました。私が締めておきます」
「違う。違うから」
違うらしい。
じゃあ、いったいなんだろう?
そんな風に疑問に思うふりをしながら、どこかで私は気づいていた。
総長さんが気にしているのが何か。
そして、レティシアさんが注意深くルークの練習を見つめているのは何故なのか。
あいつが隠したいのなら、気づいていないふりをしておこう。
そうやって、目を向けないようにしていたこと。
「もしかして、あいつの怪我のことですか?」
「気づいてたんだ」
「長い付き合いなのでそれくらいは」
「うん。おそらく、回復魔法が届かない背中の奥。背骨の負傷だと思う」
魔法医学に詳しくない私でも、それが簡単に考えてはいけない怪我だということは感覚的にわかった。
「今のところ深刻な症状ではないよ。動けているところを見るに、一ヶ月も安静にしていれば問題なく完治するはずだ。でも、戦いの中で悪化させてしまった場合、話は変わってくる」
クロノス総長は言う。
「歩けなくなる可能性があるかもしれない。場合によっては、今のように魔法が使えなくなる可能性もある。王宮魔術師として働くこともできなくなるかも」
ルークが王宮魔術師を続けられなくなる。
その言葉は私を激しく揺さぶった。
落ち着け。
冷静になれ、と自分に言い聞かせる。
感情に身を任せて大切な選択を誤ってはいけない。
親友として、あいつにとって一番良い選択をしないと。
「わかりました。話してみます」
夕食後の宿舎。
私はルークの部屋の扉を叩いた。
「少し話がしたくて」
ルークは少し戸惑っていて。
でも、「大事な話だから」と言った私に何かを感じ取ったらしい。
部屋に通してくれる。
上品で少し甘い石けんの香り。
あいつの匂い。
「ルークさ。怪我隠してるよね」
ルークは少しの間押し黙ってから「うん」とうなずいた。
「気づかないふりをしてた。レティシアさんも同じだったと思う。止めた方がいいのはわかっていて、だけど止められなかったんだ。ルークが、この大会に懸けてるのに気づいてたから。誰よりも努力して、準備してきたのを見てきたから」
私は言う。
「ルークにとって、この大会は何か特別な意味があるんだよね。それは多分前に言ってた何よりも大切なたったひとつ。本当に叶えたい願いを叶えるために」
言葉を選びながら続ける。
「私は答えを決めかねてる。ルークに無理をしてほしくない。怪我が悪化して、取り返しのつかない状況になるのが怖い。ルークが歩けなくなるのも、王宮魔術師を続けられなくなるのも私は嫌だ。でも、叶えたい願いが本当に大切なものなのなら。魔道具師時代の私にとっての魔法みたいに、あきらめたら自分が自分じゃいられなくなっちゃうような願いなら。応援してあげるのが親友としての務めなんじゃないか。そんな風にも思う」
ルークは何も答えなかった。
「だから教えてほしいんだ。答えを出すために。後悔のない選択をするために」
私は言った。
「ルークが手に入れたい、本当に大切なたったひとつって何?」