120 励ましと証明
「嘘だろ……なんなんだよ、あれ……」
エステル・ブルーフォレストの圧倒的な強さが、アーデンフェルド王国代表選手団に与えた衝撃は大きかった。
皆一様に深刻な面持ちで黙り込んでいる。
ライアンの放った最高の出来に近い連続攻撃を、魔法障壁さえ使わずに完封する。
(ありえないだろ、そんなの……)
受け入れがたい現実。
言葉を失う代表選手団の魔法使いたち。
さすがのノエル・スプリングフィールドにとっても衝撃だったのだろう。
口をぽかんと開けて、心ここにあらずという感じで虚空を見上げている。
とはいえ、そんな動揺してる中でも他国の強豪選手を拳でノックアウトしていたので、こちらもまた違う意味で規格外なのだが。
(スプリングフィールドは心配ないようだな)
周囲の魔法使いたちのあっけにとられた顔を見てライアンは苦笑する。
(問題はヴァルトシュタインだ。勝ち進めば次戦でエステル・ブルーフォレストに当たる……)
治療を受け目覚めたライアンが、重たい身体を引きずって控え室に戻ってきたのは、後輩へのサポートをするためだった。
思いだされたのは大会前の記憶。
『俺が主将ですか?』
『一番適任だと判断した。お前が一緒なら、あいつらもやりやすいだろうしな』
同じ炎熱系魔法の使い手として、憧れていた三番隊隊長ガウェイン・スタークからの言葉。
何より、ライアンの心を揺さぶっていたのは、代表選手に主将として選ばれたという事実だった。
(出来損ないと言われていた俺が代表選手……それも主将に……)
喜びと達成感。
そして、胸の奥で灯る小さな期待。
(今の俺なら、あの人達も認めてくれるかもしれない)
十五歳の時、兄たちが通う魔術学院に合格できなかったライアンを、両親は見捨てた。
衰退しつつあるアーチブレッド家を建て直すために、自分は不要な存在だと判断されたのだろう。
一族に代々伝わる水魔法の伝統。
家名を守る責任。
重圧の中で両親は次第におかしくなっていった。
過度な期待はやがて、暴力になった。
虐待のようなトレーニングと体罰。
良い思い出なんてひとつもなくて。
それでも、報告しに行こうと思ったのは、心の奥にある満たされない何かに突き動かされたからだったと思う。
父と母に認められたい。
褒められたい。
もしかしたら、自分がここまでがんばってきたのは二人に認めて欲しかったからじゃないか。
そんな風にさえ思えるくらいに。
『お久しぶりです。父上、母上』
しかし、十一年ぶりに再会した両親からかけられた言葉は、期待していたものとは違っていた。
『没落する私たちを笑いに来たのでしょう!』
『アーチブレッドの水魔法を捨てた裏切り者め』
思いは正しく伝わらない。
本当に叶えたい願いは叶わない。
生きていくのは大変で。
うまくいかないことも理不尽なこともたくさんあって。
それでも、前を向くのだ。
人生の課す試練に負けないように。
「ヴァルトシュタイン。話がある」
人気の無い空き部屋で話をした。
先輩としての務め。
自分が負けても、後輩の若い芽は摘ませない。
「お前は俺より強い。何より、誰よりも考えて練習と準備をしている。自分の力を出すことだけに集中しろ。そうすれば、必ず結果はついてくる」
痛みを堪えつつ、思いを言葉にする。
「お前なら勝てる。絶対大丈夫だ」
ルークは何も言わなかった。
しばしの間押し黙ってから、息を一つ吐いて言った。
「ほんとお人好しですね。先輩」
サファイアブルーの瞳でライアンを見て続ける。
「言われなくても勝ちますよ。そのためにここにいるので」
落ち着き。
揺るがぬ自信。
(あの戦いを見た後でも変わらないとは)
頼もしい後輩の姿にライアンは口角を上げる。
(杞憂だったな)
安堵の息を吐くライアンに、ルークは言った。
「先輩も落ち込まないで良いですから。敵は取ってあげます。諦めない姿に少しだけ勇気をもらいましたしね」
予想外の言葉。
いつもそっけない猫が、励ましてくれたような衝撃。
ライアンは一瞬息を飲んでから言った。
「ソウルフレンド――!」
「ソウルフレンドじゃないです」
(仕方ないか……できれば決勝まで当たりたくなかったが)
その抽選結果は、ルークにとって不運以外の何物でもなかった。
今大会最強格の一人である森妖精の魔法使い。
治りきっていない大迷宮での負傷を考えると、消耗を避けるためにも戦いを避けたいのが本音だった。
(もっとも、この組み合わせにもどこか作為的なものを感じるけれど)
アーデンフェルドの魔法技術は西方大陸でもトップクラスのものがある。
帝国を含む一部の周辺国からすると、目立った結果を残されて評価を高められるのは避けたいに違いない。
出る杭を打ち、若い芽は潰す。
それが既得権益を持つ側の思考であることを、名家に生まれたルークはよく知っている。
(いいよ。立ち塞がるなら乗り越える。それだけ)
ルークが覚悟を決めるのにさして時間はかからなかったが、選手団の同僚たちは別だった。
『ヴァルトシュタインまで当たってしまったか……』
苦戦を予期した空気。
もちろん、先輩たちも大人だ。
前向きに戦いに向かえるよう、配慮してくれている。
それでも、隠しきれない不安がそこに滲んでいた。
明らかに格上だと誰もが感じていた。
魔法使いとして重ねてきた実績がまだ若いルークとは明確に違う。
(まあ、誰にどう思われようと関係ないけど)
必要な準備をいつも通りするだけ。
決意と覚悟はもう十分すぎるくらいに足りていて。
だからこそ、彼女とはあまり話したくなかった。
左右されてしまうのがわかっているから。
他の人とは違う特別な声。
本当に大切なたったひとつ。
彼女以外のすべてと比べても迷わず選び取れてしまう存在。
心を整えて試合に臨むために、彼女と話さないように意識して試合までの時間を過ごした。
「よっ」
なのに、そっちから声をかけてくるから困ってしまう。
「何?」
「なんだか大一番みたいだから。励ましてあげようと思って」
彼女は言う。
「でも、顔を見て気づいた。あー、必要ないなって」
「どうして?」
「あんたなら勝つでしょ。対戦相手を研究して本気で対策したときのあんたの強さは、ライバルだった私が一番知ってる」
にやりと笑みを浮かべてノエルは言った。
「見せつけてやりなよ。事前対策してるときのルークは最強だってこと」
ただそれだけの言葉が、こんなにも力をくれるのは何故なのか。
(まったく、君は……)
口元を覆うルークに、ノエルはあわてた様子で付け足した。
「まあ、私も同じくらい強いけどね! 全然負けてないけどね! うん!」
負けず嫌いなのは相変わらず。
少し上ずっている声も微笑ましい。
きっと、彼女は自分と同等以上の存在として僕のことを捉えてくれている。
信じてくれている。
だったら、僕も証明しなければいけない。
彼女の見立てが正しいことを。
僕ら二人が最強だということを。
不可能だって可能にできる。
無謀な壁だって乗り越えられる。
空も飛べるくらい無敵だって。
もちろん、簡単にできることじゃない。
数千年にも及ぶ寿命。
積み上げた量では森妖精の魔法使いにはとても及ばなくて。
だけど、相手に対する研究量勝負ならこちらに分がある。
大会が始まる前から密かに進めてきた事前対策。
確信を持って言える。
障害になり得る有力選手への研究を自分以上にしている魔法使いはいない。
――【主として使うのは水魔法】【他属性の魔法も使えるが、重要な場面になるほど水属性への依存度が高くなる】【一番の武器は四大精霊のひとつ。ウンディーネの力を行使する精霊魔法】【汎用性の高さが特色】【応用が利く分、未知の状況への対応力も高い】【周囲への関心は少なめ】【思想と思考に何らかのバイアスあり】【口数は少ない】【無表情】【感情が表に出づらい】【幼児期から過度な期待をされ続けた子特有のバランスの悪さ】【視力は良い】【歩く速度は遅め】【姿勢の良さに厳しく教育された形跡があり】【手や身体を使って表現することは少ない】【淡々とした口調】【冷たいと思われるのを気にしている傾向】【他者への強い警戒】【一人を好む一方で寂しがり】【贅沢と飲酒に罪の意識を抱いている】【性への嫌悪】【安定と調和を好む】【音感はあまりよくない】【愛情へのかすかな怯え】【現実への諦観】【死を忌避しない】【完璧主義者】【強い理想と自罰的傾向】【まるで自分が負けないことを知っているかの余裕】【用途がわからない魔法式が複数使われている】【高難度の魔法式を展開する際、右腕の位置がわずかに下がる】【単純な能力差以上の優位を作っている何かがある可能性】――
自室に積み上げた膨大な資料と研究ノート。
不可能を可能にするための準備は積み上げてきた。
あとは、用意してきた勝ち筋を現実のものにするだけ。
いざ、怪物退治――
ルーク・ヴァルトシュタインの戦いが始まる。