118 個人的な趣味
「シンシア見た? 頭突きよ、頭突き!」
観客席の中央に用意された特別観覧席。
興奮した様子で言うエヴァンジェリンに、
「一線級の魔法使い以外には見えない速さでのことだとは言え、魔法大会で頭突きというのはさすがにどうなのだろう、と思いますが……」
シンシアは困惑した顔でそう答えた。
「いいじゃない。前例に囚われない自由な発想は、良い魔法使いになるには大切なことよ」
「ですが、そもそも魔法でもないですし……」
「私が良いと言えば良いの。この世界の女王である最強美しい私が言ってるのだから」
「それ、エヴァンジェリン様が勝手に言ってるだけですからね」
「面白ければ良し! あー、可笑しかった」
けらけらと笑うエヴァンジェリンに、シンシアは深く息を吐く。
「あの、お願いですから少しは自重してください。昨夜もアーデンフェルド王国代表選手団の宿舎に忍び込もうとして、刻限の魔法使いに止められていたみたいですし」
「だって、強い魔法使いと戦うの楽しいもの。あの子と遊びに行ったら止めに来てくれるから、呼び出すのも楽だし」
「そんな軽いノリで戦わないでください」
「でも、あの魔法莫迦も私と戦うの楽しいって言ってたわよ?」
「……なんで魔法の世界は上に行けば行くほど常識がない人が増えていくのでしょう」
遠い目をするシンシア。
一人の男が特別観覧席に姿を見せたのはそのときだった。
どことなく不気味な空気を纏ったその男は低い声で言う。
「お話ししたいことがございます」
「アーデンフェルド王国代表三選手を私に潰してほしい、と。そう言ってるの?」
エヴァンジェリンの言葉に、男はうなずいた。
「アーデンフェルドの魔法技術は西方大陸の国々にとって脅威になりうる可能性があります。我々は愛国者として自らの国を守るために彼の国に向けて様々な工作を行ってきました。今回もその一環です」
「それで、貴方に協力することで私にどんなメリットがあるのかしら?」
「お望みになられている以上の報酬を約束します。加えて、風の噂によると貴方はノエル・スプリングフィールドと戦いたいという意向を持っておられるとか」
「へえ、それをどこで聞いたのかしら?」
「我々は世界を隅々まで見通せる優れた目を持っているので」
男の言葉にはたしかな確信があった。
両手の指を組み替えて続ける。
「抽選に細工をし、ノエル・スプリングフィールドと戦えるよう手配をいたしましょう。貴方は、貴方の望みを叶え、私は私の目的を果たす。これは、我々両者にとってメリットしかない取引なのです」
「なるほど。話はわかったわ。たしかに、うなずかない理由のない取引ね」
満足げに微笑んでエヴァンジェリンはティーカップを揺らす。
小さな真紅の海が波紋を作る。
甘く爽やかな香りがするそれを、テーブルに置いて言った。
「お断りするわ」
部屋に緊張がはしった。
静寂。
やがて、男は言った。
「理由を聞いても?」
「ひとつ。この世界の女王である私を利用しようとする、その発想が気に入らない。ふたつ。対等な条件で私と交渉できると思っているその傲慢さが論ずるに値しない。みっつ。相手が同意すると確信している相手に、思い切りお断りしてやるのが私の個人的な趣味なの」
エヴァンジェリンは言う。
「それじゃ、ごきげんよう」
ひらひらと手を振って退室するエヴァンジェリン。
沈黙。
凍り付いた空気。
誰も何も言わない。
(え、ええ……)
あっけにとられ退室するタイミングを逃したシンシアは思う。
(さ、さすがにこれはやりすぎでは……帝国外交局の方からもアーデンフェルド代表を倒してほしいと言われていますし、敵を作らないためにもあまり無下に扱うのは……)
残されたシンシアが気まずそうに小声で耳打ちする。
「ねえ、お願いできる?」
「仕方ありませんね」
響いたのは、凜と澄んだ声だった。
「アーデンフェルド王国代表選手。エヴァンジェリン様が興味を持たれている小さい子以外の二人なら、私が相手をしても構いませんよ」
水色の長い髪に、木の葉のような形の耳。
「それなりにできる相手でないと、暇つぶしにもならないので」
前回大会の準優勝者。
帝国領大森林においてエヴァンジェリンの後継者と目される存在。
帝国が形作る西方大陸魔法界において、精霊女王に次ぐ実力者と称される怪物――エステル・ブルーフォレストは言った。