―シグルーン―
「そう……あなたはリザンというのですか。
私はシグルーン・アースガル。
このアースガル領の前代領主です」
シグルーンと名乗った女性は、不可解な発言をした。
「前代……?」
つまり現在は、領主ではないということだ。
「ええ、長期間1人の人間が同じ役職に就いていると、なにかと不都合がありましてね。
今はこのフラウヒルデ・アースガルに、領主を任せています。
……とはいっても、彼女はまだまだ未熟故に、実権は未だに私が握っているようなものですがね」
「はあ……」
ザンは納得したんだかしてないんだかよく分からない、曖昧な表情をした。
護衛だと思っていた者が、実は領主だったという事実には意表を突かれたが、それ以上に何か釈然としないものをシグルーンから感じる。
彼女の言う、「長期間」の意味がよく分からない。
シグルーンの年齢からすれば、領主を務めていた期間は長くても精々10年足らずであろう。
通常領主は終身制であり、就任してから寿命が尽きるまでの間、その任を勤め続ける者が殆どだ。
それらの者達から比べれば、10年はあまりにも短過ぎる。
そう、わずか10年にも満たない期間では、悪政ならいくらでも行えるかもしれないが、逆に領主としての立派な業績を残す為には、時間が足りないと言ってもいい。
街道や運河の整備のような、膨大な時間と資金を要する公共の事業には手も着けられないだろうし、法制度の改革にもやはり時間がかかる。
領主などの政治に携わる者にとって、在任期間が長過ぎて腐敗するのも困るが、短い期間で何もできないのも問題であると言えた。
何かシグルーン自身に問題があり、領主を辞めざるを得なかったのだろうか?
しかしそれでは、明らかにシグルーンの身内であるフラウヒルデが後任に着き、そして未だに実質的な領主としての権限をシグルーンが維持しているのは、おかしな話だ。
そんなことは、国や民が許さないだろう。
「そういう訳ですので、領主に対しての何らかの御用向きがあるのでしたら、このシグルーンが承りますが?」
ザンの疑問を余所に、シグルーンは話を進める。
「あ、いえ。
領主様に特別な用は無いんです。
ただ、亡くなった私の母の血筋がアースガルの発祥だと知り訪れたところ、領主様が私や母と同じ銀髪の紅い目だと聞きましたもので……。
それで何か関係があるのではないかと思い、お話を聞かせてもらおうと伺った次第です」
ザンは多少の嘘を交えながらも、訪問の理由を説明する。
その説明を聞いたシグルーンは、表情をわずかに強ばらせた。
「お母様が亡くなった……。
それはいつのことですか?
お父様はどうなされたのですか?」
ザンは何故そのようなことをシグルーンが聞くのか、それを訝しく思いながらも素直に答える。
「……母は私が幼い頃に…………。
父は……やはり同じ頃に、生死不明となりました……」
「そうですか……。
……それでは、あなたが我々のことをよく知らないのも、仕方がありませんね……」
シグルーンはそう呟いたまま沈黙する。
彼女はザンの語った事実に衝撃を受けて茫然としているようでもあり、あるいは何事かの思案に耽っているかのようでもある。
そんな彼女の様子をザンは勿論のこと、身内であるはずのフラウヒルデさえも不思議に思いつつも、次の言葉を待つ。
やがてシグルーンは、大きく溜め息を吐きつつ言葉を継ぐ。
それは重い口調だった。
「……分かりました。
確かにあなたの言う通り、200年ほど前にこのアースガル家から離れた者には心当たりがあります。
その者について詳しくお話しいたしましょう」
(200年前……やっぱり母様だ!)
「ありがとうございます!」
ザンは喜びを隠しきれない様子で礼を言う。
母の過去を知ることができる──それが嬉しかった。
しかし、次なるシグルーンの言葉で、彼女は混乱することとなる。
「ただし――。
その前にあなたの父母がいかなる経緯を辿り、どのような末路を迎えたのか──私はそれを知りたい。
どうかお聞かせ願いませんか?」
「え……?
でも、何故あなたがそのようなことを……?」
全く訳が分からないといった様子のザンに対して、シグルーンは穏やかな口調で告げる。
「それはね、リザン・ベーオルフ・ベルヒルデ。
あなたの母が、私の姉だからです」
「――――!?」
あまりに衝撃的なシグルーンの言葉に、ザンの脳細胞の活動は瞬時に停止状態へと追いこまれた。




