―幕間 超越者達の会合―
夜の帳が下りる頃、王城は静寂に包まれていた。
そんな王城の、荘厳な造りをした王の間では、1人の男が玉座に鎮座し、瞑目している。
男は全身を鎧で包み、更にその上に真紅のマントを羽織るという、少々物々しい出で立ちをしていた。
そして玉座の傍らには、人の身の丈はあろうかというほど巨大な――それでいて複雑な形状の剣が立てかけられていた。
男はある種の近寄り難い雰囲気を醸し出していたが、それは彼にとっては特別なことではなく、彼が持つ王者としての風格がそうさせているに過ぎなかった。
男の若く整った顔は、常に不機嫌そうな表情に固められ、その切れ長の目には「憂い」、「悲しみ」、「怒り」と、様々な感情が見て取れる。
しかし今宵の彼は、いつになく渋い表情を作っていた。
それは不愉快な気配が、彼に忍び寄りつつある所為だ。
「…………何用だ、エキドナよ?」
男はその端整な顔立ちからしてみれば、意外と低い声音で正面の床に呼びかける。
すると、床がまるで水面のように揺らぎ、そこから若い女が生えてきた。
「ハァーイ!
お久しぶりね、テュポーン。
元気してたぁ?」
エキドナと呼ばれた女は、間延びした――人によっては神経を逆撫でさせられてしまうような口調で、テュポーンという名の男に呼びかける。
そんなエキドナの身体は、露出度の高い革製の衣装で包まれていた。
また、顔にはどんな意味があるのか、得体の知れぬ模様の入れ墨が施されている。
その異様な風貌といい、先ほどの出現の仕方といい、彼女が只者ではないことと、この荘厳な王の間に相応しくない存在であることが、容易に知れた。
しかしテュポーンは、突然の無礼な侵入者にはさほど動じる気配を見せなかった。
それは彼が寛容で慈悲深いからではなく、「関わるのも面倒だ」というある種の諦観からくるものであるらしい。
その証拠に彼は、更に不愉快そうに表情を歪め、エキドナの挨拶を完全に無視して用件を急かす。
「何用かと聞いている……」
「んもぉ~、せっかく妻が会いにきてやったと言うのに、挨拶も無しなのぉ~?」
エキドナは拗ねた表情を見せたが、テュポーンは冷たく言い放つ。
「我が妻は、170年以上前に死んだ…………」
「まっ、それじゃあ、あたしの立場は何なのよぉ~!」
「エキドナ。
私は先ほどから、何用かと聞いておるのだ。
これ以上貴様の巫山戯た声を聞いている暇は無い。
用が無いのならば、さっさと失せろ……!」
表情こそさほど変わらぬが、不機嫌が極きわまりつつあるテュポーンの様子に、エキドナは少々怖じ気付いた。
「わ、分かったわよぉ……。
単刀直入に報告するわね。
この前に拾った人間から聞いたんだけど……どうやらヴリトラが死んだらしいわぁ」
「ほう……」
テュポーンは一応驚きの声を発したが、表情は微塵も動かさない。
さほど関心は無いといった感じだ。
「ほう……って、それだけぇ?
同じ四天王の仲間が死んだのよぅ?」
「……私には関係の無いことだ」
「つれないわねぇ……。
それでね、どうやら斬竜剣士が、2人ほど生き残っているみたいなのよ」
「ほう……?」
ここで初めてテュポーンは、興味ありげに表情を動かした。
「ねぇ……どうするぅ?」
「どうするも何も、私には関係の無いことだと言ったであろう……」
「ちょっとぉ、相手は斬竜剣士よぉ?
あたし達の宿敵なのよぉ!?
放っておける訳ないじゃないのよぉ!」
エキドナは慌てたように語気を荒らげる。
テュポーンが動かない──彼女にとって、それでは困るのだ。
「……斬竜剣士だろうが何だろうが、我が目的の邪魔にさえならないのであれば、我が手を下す必要は無い」
「あ、あたしだってそうよ。
でも、万が一にもあたしの邪魔をされると困るのよ。
今が大事な時期なんだからぁ」
「大事な時期……?
また何を企んでいるのかは知らぬが、私の邪魔だてをするのなら、斬竜剣士よりも先に貴様を消すぞ……エキドナ?」
テュポーンはただでさえ吊り目がちな目を、更に鋭く吊り上げた。
辺りには凄まじい威圧感が漂い、その波動を受けた彼の長い黒髪が、うねるように揺らいだ。
「ううっ……分かったわよぉ。
ケチ! 折角昔のよしみで声をかけてあげたのにさ……。
いーもん! リヴァイアサンのおじ様にお願いするからぁ。
ふーんだぁ!」
エキドナは幼い子供のように悪態をつく。
そんな彼女に対してテュポーンは、心底呆れたような視線を向けた。
「私が駄目なら、次はリヴァイアサンに頼るか……。
少しは自らの手を汚そうとは思わぬのか、貴様は……」
「ふふーんだ、思わないよぉーだっ!
そんなこと、あなたが1番分かってるでしょぉ?
あははははははははははははははははっ!」
エキドナは哄笑を上げ、出現した時と同様に足下から床に潜り込んでいく。
「じゃあね、バイバ~イ!」
そしてエキドナの姿が完全に消えた後も、王の間には彼女の笑い声が暫しの間響き渡っていた。
だが、テュポーンはそれを無視して黙り込み、何ごとかを思案する。
しかしそれも、何者かの声に中断させられることとなった。
「お父様……今し方、あの者達の気配がありましたが……?」
王の間の入り口にはまだ若い、いや少女と呼んでも差し支えのないような容貌の女性が、浴衣姿で佇んでいた。
そんな彼女の両目は、何故か常に閉ざされている。
「メリジューヌか……。
大事無い。
しかし、なんだその姿は、大臣共に見られたら叱られるぞ……」
テュポーンは娘に対して注意を促すが、本気で怒ってはいない。
僅かながらも苦笑を浮かべているのが、その証拠だ。
「しかし……今の気配は、今まで訪れた者の中で最も禍々しかったもので……。
つい居ても立ってもいられずに、寝室から駆けつけて参りました」
「心配するな。
私はもう、あの輩と関わるつもりは無い……。
何度来ようと追い返すまでだ……。
そして我らに危害を及ぼすようならば、何人であろうとも……潰す!」
「……はい。
でも何故か不安でなりません。
お父様に限って、もしものことなど起ころうはずもありませんが……。
何か嫌な予感がします」
と、メリジューヌは表情を曇らせてうつむく。
(…………嫌な予感か。
エキドナの企んでいることと、何か関係があるのだろうか……?)
テュポーンは一抹の不安感を覚えたが、すぐにそれを振り払った。
「何も心配は要らない。
さあ、もう眠りなさい、メリジューヌ。
もうすぐ再び戦が始まる。
……また忙しくなるぞ。
休めるうちに休んでおいた方がいい」
「…………はい、お父様」
メリジューヌは少し寂しげな表情を見せてから、王の間を退室した。
そんな娘の姿を見送った後、テュポーンは独りごちる。
「それにしても、斬竜剣士に生き残りがいようとはな……。
あの女の呪いを受けて、一体どのようにして……。
だが、その生き長らえた命も、リヴァイアサンが動けば消えるしかあるまい……。
哀れなことだ……」
テュポーンの瞳には、これから死すべき運命を持つ者への哀れみに満ちていた。
この時、世界を覆う暗雲に気付き始めている者は、ごく少数に過ぎない……。
エキドナとテュポーンは、ギリシア神話でも有名な怪物夫婦ですね。メリジューヌは、フランスの伝承にある蛇女・メリュジーヌから名前を拝借しました。
で、次回から第3章です。
あと、本日は『おかあさんがいつも一緒』も更新しています。
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