―世界変動の兆し―
ちょっと痛い?描写があります。
「それは本当かっ!?
隻腕って、どっちの腕が無かったんだっ?
その人は今、何処にいるんだよっ!?」
ザンは酷く狼狽した様子で、リチャードを問いただす。
彼女がこれほど取り乱した姿は、約180年もの付き合いがあるファーブですら、殆ど見たことが無かった。
そして彼にとってもリチャードの言葉は衝撃であり、絶句している。
「ほ、本当だ……。
いつの間にか消えていたから何処へ行ったのかは知らないが、確かに黒い鎧に身を包んだ左腕の無い男だった……」
「左……腕……」
ザンの表情が驚愕の形のまま固まる。
彼女にはリチャードが言う通りの容姿をした人物に、心当たりがあった。
黒い鎧に身を包んだ男が、巨大な竜に左腕を喰い千切られる――それは幼いザンが200年前のあの惨劇の日に、遠見の水晶の中で見た最も衝撃的な映像の1つだ。
それは今でも鮮明に憶えている。
そして更なるリチャードの証言で、ザンは自身が思い浮かべていた人物と、それが同一人物だという確信に至った。
「そういえば……あいつの持っていた剣、お前の紅い剣に似ているな……。
もっとも、その剣よりもずっと大きかったが……」
「――王神剣……!!」
リチャードの言葉にザンは愕然とした。
最早間違い無い。
おそらくこの世界で最強の切れ味を誇るであろうその剣の持ち主を、彼女は知っている。
そして彼女以外に、闇竜を一撃で倒すほどの能力の持ち主は、その人物くらいしか考えられなかった。
だが彼は、200年前に死亡したと思われていた人物だ。
(そんな……生きているの……?
でも、何故……?
今まで一体何処に……?)
ザンはあまりのことに、茫然自失となっていた。
それはリチャードにとって、逃走する絶好の機会でもあったが、彼はその事実にまだ気付いてはいない。
その時だ――。
『お逃げなさい……』
突然、リチャードの頭の中に声が響く。
おそらくは、若い女の子声だ。
(な……!?)
戸惑うリチャードに構わず、その声の主は更に話を続けた。
『今、その女は隙だらけだわ。
逃げるのなら今がチャンスよ。
色々とあたしが協力してあげるからさぁ……』
(しかし、どうやって……?
いくら隙を突いても、簡単に逃げられるような相手ではないぞ……)
『だから、あたしが協力してあげるって言ってるでしょぉ。
まず、あなたの身体をあたしが操ってね……』
リチャードの頭の中に響く声は、逃走の手順を説明し始める。
彼はほんの数瞬の間迷った末に、その声に従ってみることにした。
正体の知れぬ相手に従うことには不安も伴ったが、このままではどうせ目の前の女に斬り殺されるか、捕縛されて断頭台にかけられるか──それ以外の道は、もう残っていないだろう。
だから、リチャードは決断した。
突然彼は、空中へと大きく跳躍する。
しかもその身体は、そのまま落下することが無かった。
彼の背からは1対の黒い翼が生えて羽ばたき、更に高く舞い上がって行く。
「リチャードぉ!」
夜空に響くリックの叫びに、一同はハッとして空を見上げた。
「なっ!? 馬鹿な。
こんなにも早く、肉体変化の技を身につけるなんて、有り得ない!!」
そう、いかに竜の血の能力としてそれが可能だったとしても、元々その神体機能を持たない人間が、それを自由に操れる訳が無い。
本来ならば、年単位の訓練を積まなければ、能力を発動させることすら困難なはずだ。
(何者かが手引きしているのか!?)
ファーブはそんな可能性に思い至ったが、その確証を得る為の材料は何1つ無かった。
「今回は俺の完全な敗北だ。
だが、いつか必ずお前以上の力を得えて、今度は俺が勝つ!
その時を楽しみにしていろ!」
と、リチャードは高らかに宣言し、夜空の闇に吸い込まれて行った。
だが、既に普通の人間には視認も難しい状態になっているが、ザンにとってはまだ十分に姿を捉えられる範囲だ。
「チッ、いくらヴリトラの血を引いているからって、あんたまで逃げるかぁ?
でも、このまま逃がす訳は無いだろうがっ!」
ザンが衝撃波によって、リチャードを撃ち落とそうと剣を振り上げたその瞬間――、
「危ないっ、ザンさんっ!!
下ーっ!!」
どういう訳か、この場にいる者達の中で真っ先に異変に気付いたルーフの悲鳴が上がった。
ザンはその声に反応しようとしたが、その時にはもう遅い。
「ガァっ!?」
突如、ザンの足下の地面が槍のように鋭く伸びて彼女の腹に突き刺さり、そのまま背中にまで突き抜けた。
「な……?」
ザンは何が起こったのか理解できなかったようで、一瞬キョトンとした表情を浮かべた。
だが、それはすぐに苦悶の表情へと変わる。
「…………っ!!」
それは、邪竜四天王ヴリトラと戦った時ですら経験したことの無い、大きなダメージであった。
左腕の件は、モデルが某『ベルセルク』だから……ではなく、某叙事詩の方がモデルで、それを紹介していたとある本の挿絵で、左腕が竜に噛まれていたことが由来です。




