―英雄と聖職者と母と―
聖職者は汚れていた。
本来、最も清浄でなければならない者は、今まさに血で身体中を汚していた。
いや、血ばかりではない。
彼らの手は、「罪」でも汚れていた。
信徒の信仰心を利用し、金品を巻き上げて肥え太った醜悪なる者達──。
だからリチャードは、彼らを斬った。
「ヒ……ヒィ……!」
喉に引っかかるような、上擦った悲鳴が漏れる。
それはとりわけ上等な衣に身を包んだ、初老の男のものであった。
今この場には、彼とリチャードしか生きている者はいない。
他は皆、物言わぬ屍となっていた。
「さ、最高司祭の私に、かような真似をして只で済むと思うておるのか!?
今すぐ悔い改めよ、さもなくば天罰がくだろうぞっ!」
最高司祭は、喚き散らすようにリチャードへ告げた。
だが、その表情には、怯えの色しか見いだせない。
威厳も、自尊心も、信仰心すらも無い。
彼自身もリチャードに天罰が降るなどとは、微塵も信じていないのだろう。
彼らにとっての信仰は、只の商売道具でしかなく、本気で神の教えを説いたことなど無い。
だからそれは、単なる命乞いにしか聞こえなかった。
「天罰か……。
確かにくだるであろうな。
ただし、貴様の上にだ……!」
「ひぃ!」
リチャードは剣を振り上げた。
……が、その動きは途中で止まった。
恐怖に脅える司祭の顔に、見覚えがあったらだ。
勿論、リチャードは彼の顔を、これまでに幾度となく見ている。
チャンダラ市の重鎮であり、それ故に警護の仕事で顔を合わせたこともあるのだ。
だが、こんな恐怖に歪んだ司祭の顔を見るのは、2度目であった。
リチャードの顔に狂的な笑みが浮かぶ。
彼は静かに剣をおろした。
司祭は一瞬安堵したが、次なるリチャードの言葉に追いつめられることとなる。
「……聖職者が、女を買っていいのか?」
リチャードのその言葉に、司祭は驚愕で目を見開いた。
「貴様だったのだな……!」
押し殺すような声で呟きながら、リチャードの心は殺意で一杯になった。
リチャードには、父がいない。
何処の誰かすらも分からない。
それは母ですらも同様の認識だろう。
リチャードの母、マリアンヌは娼婦だったからだ。
だから彼女の客の誰かが、リチャードの父であることは間違いない。
だが、それが誰なのかを特定することは、非常に困難なことであった。
結局、リチャードは母が仕事を続けていく過程で、必然的に生まれてしまった存在であり、その誕生は最初から望まれていた訳でも、愛情が伴っていた訳でもなかった。
それでもマリアンヌは、リチャードの面倒をよく見ていた。
たとえ望んだ子ではなくとも、やはり自信の分身であり、死ぬ想いをして産んだ子だ。
愛情は後天的ながらも生じた。
しかしリチャードは、マリアンヌを軽蔑していた。
娼婦というその職を嫌悪していた。
確かに貧民街に生き、しかも子供を抱えているマリアンヌにとって、それ以外の生き方を選ぶ余地は無かったのかもしれない。
だが、男達の性欲処理の為の道具のような扱いを受けている母に、リチャードは我慢ならなかった。
そしてその結果として生まれてしまった、自分自身にも──。
もっともそれは、「母を誰にも取られたくない」という、嫉妬心の裏返しでもあったのかもしれないが……。
ともかくリチャードは、幼い頃から荒れていた。
街で乱闘騒ぎなどを起こしたことも、1度や2度ではない。
また、母の客が出入りする自宅にも、あまり近寄らなかった。
マリアンヌはそんなリチャードを何度も庇い、愛情を注いでくれたが、それが余計に彼を苛立たせた。
母の仕事を軽蔑している彼には、その愛情にどう応えればいいのか、それが分からなかったのだ。
そんなリチャードが11歳になる年の、ある夏の日の深夜。
家には、母の客が訪れていた。
声は幾度と無く聞いたことはあったので、母の常連客であることは分かった。
だがその客の顔を、リチャードは知らなかった。
彼は母の客の顔を、なるべく見ないようにしていた。
見れば、殺意を感じずにはいられなかったからだ。
しかしリチャードは、そのことを激しく後悔することとなる。
その日、マリアンヌと客は情事に及ことはなく、何か口論しているようだった。
狭い家なので、その口論の内容はいやがおうにもリチャードの耳に入った。
もっとも、幼いリチャードには、把握できない部分も多くあったが。
どうやらマリアンヌと何者かの間でトラブルが発生し、その解決の為に金が必要らしい。
おそらくは娼婦間で縄張り争いでもしたのだろうが、その相手の背後に犯罪組織と関わる者がいたのかもしれない。
もしも犯罪組織が本格的に乗り出してくれば、マリアンヌのみならず、リチャードの命も危険に晒される。
だから金で目をつぶってもらおうと言う訳だ。
つまりマリアンヌは、客の1人に金を貸してほしいと、頼み込んでいるようであった。
……だが、その客の男は、彼女を助けようとはしなかった。
むしろ男の行為は、その逆だった。




