―歪んだ理想―
「チッ、勘の良いガキだ……。
殺気を読んだというのか……」
地面から剣を引き抜いた男は、舌打ちして地面に空いた穴を埋めるように踏んだ。
「っ!」
ルーフはその男の声に、聞き覚えがあった。
それは数日前、彼の前で高潔な理想を語った、竜殺しの英雄の声であった。
「やっぱり、あなただったんですね……。
リチャードさん!」
「やっぱり……?
なるほど、お前達もまだ確証は得られていなかったってことか。
だから……リックにも、真実を話す段階ではなかったという訳だな。
おかげで親友をこの手にかけずに済んだよ」
「……その言い方だと、『真実を知られたら親友でも殺す』っていう風に取れますけど……」
「勿論そのつもりだが……。
俺の理想を、こんなところで邪魔される訳にはいかんのだ」
リチャードは戯けたように、両手を広げた。
だがその声音は、間違い無く本気だった。
「り、理想って、何が望みなんですかっ!?」
ルーフは怒りからか、声を張り上げた。
親友さえも犠牲にしなければならないリチャードの望みとは、一体何なのだろうか。
「権力」、「富」、「名声」などと、ロクでもない言葉が彼の脳裏によぎる。
しかしリャードの答えは、あまりにも意外なものであった。
「このチャンダラで、苦しんでいる民を救う……!」
「は!?」
リチャードの行為がどうすればそのような結果をもたらすのか、ルーフには全く理解できなかった。
殺人鬼なんてものは、戦争に行けば英雄になれる可能性はあるが、このチャンダラ市は治安の悪さや極端な貧富の差はあっても、全体的に見れば平和な都市であり、リチャードのような存在はむしろ邪魔なはずだ。
「ほ、本気でそんなこと言ってるんですかっ?
親友までも犠牲にするやり方で、人を幸せにできる訳がないでしょ!?」
「……だが、綺麗事の信念だけで動くほど、世の中は甘くはない。
望みを叶える為には、犠牲が必要なのだよ。
犠牲が大きければ大きいほど、手に入る物もまた大きい……」
リチャードの口元には、どことなく自嘲的な笑みが浮かんだ。
言っている本人でさえ、何処かが間違っているという自覚があるのかもしれない。
しかしそれを認めてしまえば、彼が追い求める理想は、その手からすり抜けて、永遠に失われてしまう。
だからたとえ間違っていたとしても、彼はこのまま突き進むしかないのだろう。
(……その為にこの人は、人間であることを犠牲にしたっていうの?)
『高すぎる理想を持つ者が、道を踏み外すなんて話はよくあることさ』
ザンが言ったその言葉が真実であることを、ルーフは思い知った。
そして、必ずしも真実が正しいという訳ではないということも──。
「あなたは絶対に間違っています……!」
「ふん……。
世の中の道理もよく理解できていない子供と、理想論を戦わせるつもりは無いね。
お嬢ちゃん?」
そんなリチャードの口調には、嘲りの響きがある。
ルーフからだと表情はよく見えないが、その顔にはおそらく人を小馬鹿にしたような笑みが浮かんでいることだろう。
「うううぅ~っ!」
リチャードのその態度がルーフの癪に障った。
確かにリチャードから見れば、自分は何も知らない未熟な子供でしかないのだろう──と、彼自身も思う。
しかしそれでも彼には、自身の考え方が間違っているとは思えなかった。
確かに子供の理想論では、世の中は動かないのかもしれない。
だが、大人達が世の中を動かしてきた結果が、今のチャンダラ市の惨状である。
そんな自分達の責任を棚に上げて、子供は何もできないなどと言う資格があるのだろうか?
そもそも本当に大切なのは、大人だとか子供だとかという立場の問題ではなく、現状をより良くしていこうという、個人個人の意識であるはずなのだ。
ついでに言うと、女装について突っ込まれたこともルーフには腹立たしい。
「ファーブさん!
この人、やっつけちゃってくださいよぉ!」
「……なんとも他力本願なのは情けないが……。
ルーフの気持ちは分からんでもないぞ、うん」
ファーブも、リチャードのような考え方をする人間が大嫌いだ。
リチャードのように、理想の為に他人を犠牲にすることも厭わないやり方と、自身の利益の為に多くの市民を犠牲にしているチャンダラ市の上層部の人間がやっていることと、一体何が違うというのだろうか。
ファーブに言わせれば、どちらも大差無い。
たとえどんなに崇高な理想であっても、他人に犠牲を強いなければ成り立たないようなものは、最早理想とは呼べない。
それは欲望や、野望と呼ぶべきものだ。
そしてそこから生じた結果が、真っ当な物になるはずがない。
最初は良くても、いずれは元の理想とはずれた物へと変質していくことだろう。
その先にあるのは、最悪破滅かもしれない。
しかも、無関係な多くの人々を巻き込むという形で──。
そんな笑えない結末は、ファーブも見たいとは思わなかった。




