―闇夜の襲撃者再び―
囮捜査を始めてから3日目の夜。
捜査の現場では特に何事も起きず、良くも悪くも進展が無かった。
この進展が無いということ以外は、問題の無い平安な夜が続いている。
あえて問題があるとすれば、本当にルーフに声をかけてくる男が──しかも複数人いたことと、ルーフが女装をしている自身に対して、違和感を抱かなくなってきたことくらいだろうか。
このままいつまでも犯人が現れずに捜査が続けば、ルーフは新しい自分を発見してしまうことになりかねなかった。
そんな訳でルーフは、「自分はこのままで大丈夫なのだろうか?」という不信感に悩みつつ、犯人が現れるのを「まだか? まだか?」と心待ちにしているという有様だ。
……やっぱり、どこか正常な状態から逸脱しかけているかもしれないルーフ君であった。
ちなみに、ルーフに声をかけてきた男達は、ファーブが気配だけで威嚇して追い払った。
「……毎日のように起こっていた殺人事件が、ここ3日間は1回も起きてない……。
ひょっとして、もう事件は起きないのかなあ……。
囮役って結構大変だから、来るなら早く来てほしいよ……」
ルーフはそうぼやいた。
今夜の彼は、1ヶ所に留まらずに街中をあちらこちらへと――それもリチャードの家の近辺を特に重点的に歩き回っていた。
これならば地理に明るいリチャードも、行動を起こしやすいのではないか、という判断だ。
これは当初の「リックの警護」という目的からは、少々ズレた行動になりつつあったが、事件の犯人を捕らえなければ、何の問題の解決にはならないというのも事実だ。
幸いこちらにはファーブという元(?)竜の強力な仲間がいる。
大抵の敵は、脅威にならないはずだった。
「事件はもう起きないか……。
どうだろうな……。
あのリチャードって奴が、ザンの言葉通りに竜の血の支配を克服しようとしているのならば、事件が起きることはもう無いのかもしれんが……。
だが竜の血は、そう簡単に克服できるものではないからな……」
「う~ん、それならリチャードさんの家を、直接見張っていた方が、話が早くていいんじゃないですか?」
「しかし素人の監視ってのは、案外気付かれるぞ……。
もしも監視に勘付いて警戒されたら、それっきりになるかもしれん。
大体、リックにリチャードの家を監視する理由を、どう説明するよ?」
「う~ん……」
結局、現状を維持するのが1番良いらしい。
しかしそうなると、いよいよ彼らにはやることが無い。
手持ち無沙汰で途方に暮れていたルーフであったが、その時彼らの背後で、何かが倒れたような音がした。
「えっ、リ、リックさんっ?」
ルーフは慌てて、リックがいるはずの場所へと駆け出す。
「バカな……。
リック以外は、何も気配なんて感じなかったぞ。
気配を殺すなんて、少なくとも竜の血で正気を失っている奴には、不可能な技術だ。
これはまずいな……」
「リックさんっ!?」
ルーフは路上に倒れ臥しているリックを発見し、駆け寄った。
そして抱え起こして安否を確かめて見ると、幸い彼は気絶しているだけのようだ。
「生きてる……」
ルーフは安堵の表情を浮かべる。
ファーブもホッとしたように、
「良かった……。
リックの警護を任されていたのに、そのリックをむざむざと殺されてしまったら、ザンに何を言われたもんだか……」
(ファーブさん、なんか安心する理由が微妙にズレてます……)
何かがおかしいファーブの言葉に、ルーフは内心でそう思ったが、今はそれを突っ込んでいる場合ではない。
「これって……あえてリックさんを殺さなかったのは、やっぱり親友は殺したくないってこと……?」
「……となると、犯人の正体はやはりあいつか……」
「!?」
その瞬間、ルーフは背筋が凍るような感覚に襲われて、訳が分からぬまま後方に身を引いた。
その直後に、彼の身体があった辺りを刃が垂直に通り過ぎ、地面に突き刺さる。
「ひっ!?」
「……お前、今のをよく躱したな。
もしかしたら、結界を張るのが間に合わなかったかもしれないぜ。
ちょっと危なかったわ……」
ファーブは、焦りの混じった声で小さく呟いた。
結界が――魔力によって形成される防御の壁が間に合わないということは、ルーフが身をかわさなければ、彼は命を失っていたかもしれないということだ。
「ファ、ファーブさ~ん、しっかりしてくださいよ~!!」
ルーフは顔を青く染め、震える声でファーブに抗議する。
頼りにしている相手がちゃんと働いてくれないと、本気で命の危機に陥る状況なので、彼も必死だった。
「文句は後だ。
お待ちかねの犯人が来たぜ」
ファーブに促されて、ルーフは自身を襲った者へと視線を送った。
先ほどは夜の闇と、あまりにも突然の出来事で、剣と何か黒い塊が頭上から落下してきたようにしか見えなかったが、落ち着いて見ると外套に身を包んだ男が、地面から剣を引き抜いている姿が見て取れた。
「……リ、リチャードさん?」
男は目深に被った外套のフードの奥から、紅い光を灯した眼光をルーフへと向けた。




