―血の躍動―
炎はザンの怒りに呼応するように、激しく燃え盛りながら周囲へと広がり、竜の血に侵されし者達を飲み込んだ。
彼らも竜の血を得ているとは言え、その身に宿した血の量は、やはりザンとは比べものにならないほど少ないのだろう。
故に炎への耐性は、並の竜とさほど変わらないはずだ。
おそらく無事では済むまい。
それでも何体かは、炎の中から脱出することに成功した。
が、それはザンの攻撃の次なる標的になっただけであり、彼らが恒久的な安寧を手に入れることは、もう二度と無い。
ザンは手近にいた一体を、怒りに満ちた視線で射抜く。
それだけで彼は、本能的な恐怖で身を竦ませた。
その隙に彼女は疾駆し、次の瞬間には標的の身体を両断する。
そしてまたその次の瞬間には、新たな標的に視線を移した。
ザンは何か取り憑かれたように、戦いを求めていた。
今の彼女を動かしているのは、ヴリトラの血による破壊衝動なのか、それとも彼女自身の純然たる憎しみと怒りなのか、それは誰にも分からなかった。
ザンは逃げる獲物を追いながら、樹海のなかを疾走していた。
竜の血に寄生された者は、残りあと一体となっていたが、最早仲間がいないことを悟った彼は、逃走することに全力を注いでいた。
こうなるとさすがのザンでも、追いつくには少々手間取る。
しかもザンが向かう先は、心なしか竜の残り香が強くなっているようだ。
(なんだ……?
奴は本能的に、血の主に助けを求めているのか……?
それじゃあ、この先にあるのは……)
やがてザンの視界には、なにか巨大な物体が飛び込んできた。
最初はそれがなんなのか分からなかった彼女だったが、近づくにつれてその正体が把握できてくる。
しかし彼女の顔は、理解からはほど遠い、困惑の色へと染まっていった。
「おいおい……冗談だろ……!?」
その呻くような声は、ザンにとって有り得ない物が横たわっているのを目撃したが故に、発せられたものだった。
「おお! もう傷の具合はいいのかい?」
チャンダラ市の警備隊本部の一室──そこで事務仕事をしていた初老の隊員は、突然の訪問者に対して、明るい声で尋ねた。
「ああ……もうかなり回復したよ。
もうすぐ仕事に復帰できるんじゃないかな」
「それは良かったなあ。
リックの奴も喜ぶじゃろうて」
「そのリック……隊長は今どこにいるんだ?」
「そうだなあ……。
今の時間なら、家で眠っているんじゃないかな?」
その答えを聞いて、訪問者は首を傾げて訝しむ。
「家で? こんな昼間にか?
……夜勤明けってことか?」
「ああ、ここ2日ほど、リックは夜の街で張り込みをして、例の事件の犯人を捕まえようとしているんだ。
……しかしあんな男の子を囮に使うなんて、大丈夫なのかねぇ……。
まあ、リックの話じゃあ、腕のいい魔術士だそうだが……」
その初老の隊員は、リックのことが心配なのだろう。
渋い表情を作った。
「男の子?
確か女もいたはずだが……?」
「あ? ああ……、あの一風変わっているけど、銀髪の奇麗な娘さんだね。
この前の事件の第一発見者だってな。
彼女なら、え……と、ドナウ山脈へ行ったっけかな。
確か入山届も出ているはずだよ」
その隊員は、目の前の男がザン達の存在を知っていたことに対して、特別疑問を抱かなかった。
男がリックの親友だと知っていたから、「本人から聞いたのだろう」と、思ったのだ。
しかし実際には、その男とリックは2週間近くも顔を合わせてはいなかった。
「そうか……。
それじゃあリックは今夜も?」
「ああ、そうだろうね。
晩には1度くらい顔を出すだろうけど……。
何か用があるのなら、伝えておくよ?」
「いや……いいんだ。
リハビリの散歩ついでに寄ってみただけだからな。
じゃあ……悪かったな、忙しいところに」
「構わんよ。
それよりも早く身体を治せよ、リチャード」
「ああ……」
リチャードは挨拶も短めに、警備隊の本部を後にした。
そして難しい顔で思案しながら、家路へと急ぐ。
(そうか……どうやらまだリックには知られていないようだな。
あの女は、まだ俺のことを喋っていないのか……?)
リチャードは、リックに全てを知られている場合を想定して、先手を打つ為に警備隊の本部に訪れた。
必要ならば、あの場で全てを無かったことにする覚悟だったが、どうやら自暴自棄になるのはまだ早いようだ。
少なくとも、警備隊はまだ事件の真相を把握してはいない。
ならば今は、様子見をするべきだろう。
(しかし囮捜査とは、一体どういうつもりだ……?)
リチャードには捜査の目的がなんなのか、それがよく分からなかった。
(罠なのだろうか…………)
だがいずれにせよ、リチャードにはにとるべき手段が1つしかない。
いや、他にも道はあるのだろうが、今の彼は他の道を模索する冷静さを見失っていた。
身体の奥底から溢れる、凶暴な衝動に翻弄されるが故に。
だからもう、決めてしまったのだ。
自身にとって、不都合な存在を全て排除することを――。
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