―邪炎竜の息吹―
「そうか……。
そんなつまらない理由で、そんな姿にされてしまったのか、あんた達は……」
ザンの顔が怒りで歪む。
邪竜によって人生を狂わされた者達を前にして、彼女は激怒していた。
それは彼女にとって、他人事ではない悲劇であったからだ。
だが今のザンには、その怒りこそが助けとなった。
竜の血に侵された彼らの命を奪うことに対する迷いが、怒りによってかき消されたからだ。
少なくともこれから起こる虐殺とも言える行為の最中に、彼女は心の痛みを感じなくて済むだろう。
もっとも全てが終わった後に、彼女はまた泣くことになるのだろうが……。
「……苦しまないように、一瞬で終わらせてやる。
……出でよ!」
掌の内に出現した剣を、ザンは構える。
相手は臨戦態勢にも入っていない。
彼女にとってそんな無防備な敵を屠ることは、雑草を刈り取るよりも容易い作業となるだろう。
ザンは本当に一瞬で、全てを終わらせるつもりだった。
だがその時、
「オオオオオオーっ!!」
竜の血に侵されし者達が、一斉に吠える。
「な……?」
今まで何処か呆然としたように佇んでいた彼らは、急に野獣の如き凶暴性を発揮した。
ザンは最初、自らが発した殺気に彼らが反応したのだと思った。
しかし――、
「見づげだ!
ようやぐ、ヴリどラ見づげた」
「……!?」
竜の血に侵されし者達は、歓喜とも慟哭ともつかない声を上げた。
それを耳にしたザンの意識は、大きく揺らぐ。
彼女ならば、その言葉の意味を理解することは、さほど難しいことではなかっただろう。
しかし心が、その事実を認めることを拒否した。
それが故にザンの心は、理解しがたい現象を目の当たりにしたかのように混乱し、半ば停止した。
そんな立ちすくむザン目掛けて、竜の血に侵されし者達は口腔から一斉に炎を吐き出した。
彼らの心には、邪竜が与えた「ヴリトラを見つけ出せ」という命令も、確かに生きていたのだろう。
だがそれと同時に、彼らをこのような状況に追いやった元凶ともいえるヴリトラへの憎しみもまた、彼らを動かす原動力になっていたのかもしれない。
だから目の前にある、大きなヴリトラの気配に対して、彼らは襲いかかったのだ。
炎はザンの全身を、包み込んだ──ように見えた。
しかし炎が彼女の身体を焼くことはなく、まるで炎の精霊が彼女を滅ぼすべき敵ではないと認識しているかのようである。
いや、事実はその通りなのだろう。
ザンは無意識下において炎の精霊を支配し、自らへの敵対行為を禁じていたのだ。
もっともそれは、彼女が元々有していた能力ではない。
それはつい最近までは、決して持ち得ていなかった。
おそらく、ヴリトラと戦う前までは確実に――。
「……あいつの体内に逃げたのは、まずかったな……」
呆然とザンは呟く。
この期に及んで認めない訳にはいかなかった。
彼女もまた、ヴリトラの血に寄生されているという事実を――。
かつて彼女は、ヴリトラの放った火炎息によって超高熱と化した空間から逃れる為に、彼の体内へと突入して難を逃れた。
当然その時に、大量の血液を浴びている。
無論ザンは、これまでにも邪竜の血を浴びた経験は幾度もある。
何百という敵を屠ってきたのだから、当然だろう。
だが、その血の影響と思われる身体的異変を、彼女は殆ど経験したことがない。
ザンは、ある意味では竜以上の強大な存在である。
そんな彼女自身の血の方が、竜の血よりも強いのかもしれないし、あるいは邪竜を憎む強い意志が、竜の血の力を封じ込めているのかもしれない。
しかしザンはかつてあれほど大量の、しかも四天王クラスの強力な竜の生き血を浴びた経験は無かった。
正直、今後どのような影響が彼女の体に生じるのか、それは未だハッキリとはしないが、少なくともその血液が、彼女の体内に息づいていることだけは、最早疑いようもない。
邪竜の血に寄生される──。
それは邪竜を憎むザンにとっては、最も認めたくない現実であった。
そして彼女の周囲を囲む竜の血に侵されし者達――彼らと彼女は、いわば同じ存在だと言っても良かった。
しかしだからこそ、ザンの心からは彼らに対する同情心が失せた。
彼らの姿はもしかすると、明日の我が身かもしれない。
ならばなおのこと、その存在を認める訳にはいかない。
「私はヴリトラでもなければ、お前達の仲間でもない!
私はあんた達のように、意識を操られたりなんかしない!
私は、邪竜の天敵だっ!!」
ザンは自らに言い聞かせるように叫んだ。
そんな彼女の激情に呼応するように、未だ彼女の周囲に揺らめく炎は勢いを増す。
やはり炎を自在に操っていたヴリトラの血は、ザンへと大きな影響を与えているようだった。
いかに否定しても、やはりヴリトラの能力は、ザンの体内で確かに生きているのである。




