―竜の血に侵されし者達―
ルーフ達が何の所為かも得られなかった囮捜査を中断し、次の夜に備えて惰眠を貪っている頃、ザンはドナウ山脈の麓に広がる広大な樹海の中にいた。
彼女が上空から山脈中を探った結果、竜の気配が最も強かったのが、この樹海の近辺である。
しかし気配が強いとは言っても、それは残り香が程度のものだった。
(もうこの山脈に、竜はいないのか……?)
残っている竜の気配があまりにも微々たるものであることから、既に竜は別の土地へと移動してしまっているのではないか──と、ザンは判断せざるを得なかった。
あるいはもう、竜が死亡しているか──だ。
(しかし竜が自然死するとは考えられないし、ただの人間に倒されたとも思えんが……)
なにやら腑に落ちない状況だと、ザンは感じる。
どうやら彼女が想定していた事態とは、違う何かが動いているようだ。
しかもザンは先ほど、喰い荒らされた人間の遺体らしきものを発見していた。
遺体はほぼ白骨化していたが、わずかながらも骨に肉がこびりついているのが確認できた。
秋も終わりという季節柄、遺体を漁るような獣や昆虫等が少ないにしても、この辺りには季節に関係なく遺体を漁る魔物が闊歩しており、数日も経過すれば肉などは残らないはずだ。
いや、下手をすれば骨すらも残らない。
つまりその遺体はまだ新しく、食い尽くされる前だったとという訳だ。
おそらくは竜の死骸の噂を聞きつけて、山脈に入った者の成れの果てか……。
(少なくとも、ここら辺に人を襲うような奴がいたのは確かだな……)
おそらくそれは、リックの話の中に出てきた者達なのだろう、とザンは思う。
その考えが正しければ、彼女が危惧した「面倒なこと」は既に現実の物となっているはずだった。
「チッ、来るのが遅すぎたか……ん?」
ザンは悔しげに地面を蹴ったその瞬間、ふと何者かの気配に気づき、彼女は表情を引き締めた。
鬱蒼と生い茂る樹木に阻まれてまだその姿は確認できないが、こんな樹海の中には本来存在しないはずの、人間に近い気配だ。
(包囲されたか……。
数は、6人……いや、7人だな。
それにこの気配……奴等か……)
包囲の輪は徐々に狭まり、やがてその者達の姿が木々の間から現れる。
それはザンの知っている者達だった。
しかしそれは、個人を見知っているという意味ではない。
その者達がどのような境遇に置かれた存在なのか、それを知っているという意味でだ。
それは、竜の血に侵されし者達――。
「……駄目だ、もう救いようが無い!」
ザンは吐き捨てるように呻く。
今、彼女の前に現れたのは、竜の血に寄生された人間達だ。
しかしその姿は、人間のものとは大きくかけ離れていた。
彼らの身長は、2mを大きく越えている。
その巨体は異様に発達した筋肉で覆われており、手足は一般的な女性の胴回りほどの太さがあった。
更にその腕は、ある種の類人猿のように長く伸びており、その先には鋭いかぎ爪が生えた指が確認できる。
歪なバランスの肉体である。
故に彼らの姿は、人型ではあるが、最早人間ではなかった。
いや、それどころか、あらゆる生物に類似しない、異様な特徴を持ち合わせている。
それは皮膚の随所に鱗や角のような突起物が、何の法則性もなくデタラメに浮き出ていることだ。
おそらく竜の血によって暴走した細胞が新陳代謝を狂わせ、その異形を生み出しているのだろう。
つまり、腫瘍のような物だと言える。
そんな異形の彼らは、欠片も理性を宿していない目に紅い光を灯しながら、ザンへと剣呑な視線を送っていた。
彼女のことを獲物だと認識しているのかもしれない。
通常、竜の血に寄生された人間は、これほどまでに大きな肉体的変化を起こさない。
だが、一度人間としての在り方を忘れてしまった場合、その者の肉体は急激な変化を起こすことがあった。
一部の竜が持つ、自らの心の思うままに姿を変えるという能力が、竜の血に侵されし者達にも作用するのだ。
おそらく今ザンの目の前にいる者達は、自らが人間以外の生物となってしまった現実に――あるいは竜の血によってもたらされた狂気の衝動によって、かつての同族であった者を殺し、喰らってしまったという事実に耐えきれず、精神が崩壊してしまったのだろう。
そして後に残った狂気と竜の本能に見合うように、より強靱で、より獲物を捕らえるのに適した姿へと、その肉体を変化させたのだ。
今の彼らは、本能に忠実な獣と大差ない。
最早こうなってしまっては、ザンにも彼らを救う術が無かった。




