―初めての戦い―
「どうだザン?
ファーブニルは面白い奴だろう」
ザンの反応が楽しみなのか、カンヘルは楽しげに笑う。
そんな彼に対して、ザンは、
「……私がイメージしていた邪竜とは違う……。
変な奴だな……。
父様のことを悲しんでくれているのか……?」
その表情にこそ現れなかったが、父の死に対するファーブニルの反応に、彼女は困惑しているようだった。
一方、ファーブニルは、
『何!? お前は斬竜王の娘なのか!
……それなら少しは楽しめるかもしれんな……。
よし! 戦いの相手なら、俺が引き受けてやろうじゃないか』
ファーブニルはニヤリと口角をつり上げる。
彼にとって強者と出会い、そして戦うことが生きる目的であり、喜びなのだ。
しかしザンにとっては、そんなことは関係ない。
「……多少風変わりだが、相手が邪竜なら容赦はしない。
全力で叩き潰すから、覚悟しろ」
ザンのその言葉は静かだったが、ファーブニルは凄まじい威圧感を覚えた。
感情として現れていなくとも、その身の内から溢れ出す巨大な力の片鱗は見えていた。
(こいつは……本物だ!)
オオォ――――――ン!
ファーブニルは昂揚するあまり、甲高い雄叫びを上げる。
それが戦いの始まる合図となった。
──ザンとファーブニルの戦いは、互角であった。
ファーブニルは10mあまりの、人間から比べればかなりの巨体を持つが、竜としては小柄な方だ。
その小柄で、豹を思わせるしなやかな肉体が、他の竜――いや、他のいかなる生物よりも、はるかに高速で小回りの効く動きを可能としている。
しかしザンの動きは、ファーブニルのそれに匹敵していた。
その結果お互いの攻撃は悉く回避され、決定的なダメージを与えることができない。
当然のことながら戦いは、長期戦の様相を呈し始めている。
ファーブニルは、驚愕を禁じえなかった。
本来斬竜剣士というものは、3~4人のグループ1つで上位の竜と互角以上に戦うのだ。
絶大な能力を持つが故に、集団で戦うことがまず無い竜にとって、斬竜剣士達による連携攻撃に対応することは難しく、多くの竜が逃走することすらできずに狩られていた。
しかしザンはたった独りで、ファーブニルと互角に戦っている。
いかに休眠から覚醒したばかりとはいえ、彼には自らが並の上位竜よりも劣るとは思えなかった。
それにも関わらず、互角なのだ。
(本当に実戦は始めてなのか……?
これならば斬竜王の娘という話も頷ける……。
しかし……)
ファーブニルには、この戦いが気に入らなかった。
それはザンが、全く感情というものを見せないからだ。
まるで心の無い人形と戦っているかのようで、彼はいまいちこの戦いにのめり込めないのだ。
そう、人形相手に勝ったとしても、勝利の喜びを得られるとは思えない。
負けるにしても、全力を出し切ったと、充実感を得られるとは思えない。
ファーブルがしたいのは、好敵手との技の競い合いだ。
ただ目的の為に動く、道具の相手ではない。
だからファーブニルにとってこの戦いは、小賢しく卑怯な手段を使う者達の相手をすることの次につまらなかった。
ただ、虚しいだけだ。
(いつか感情のあるこいつと、全力で戦ってみたいものだな。
そうすれば実力が近い分、斬竜王との戦いよりも楽しめるかもしれない……)
そんなことをファーブニルは、切実に思う。
ザンが何故このようになってしまったのかは知らないが、できることならば彼女の感情を取り戻した上で、もう1度戦ってみたいと願った。
だがまずは決着をつける必要があるだろう。
それにはまだ、30分近い時間の経過を待たねばならなかった。
「ハーッ、ハーッ!」
ザンは荒く肩で息をしていた。
そんな彼女の顔には、珍しく変化が生じている。
さすがに呼吸が乱れれば、感情を表すことができなくとも、苦しげに顔は歪むのだろう。
そんな彼女の全身は、汗で濡れていた。
戦いはザンの勝利という結末を迎えていた。
二十数年間にも及ぶ眠りから覚めたばかりのファーブニルにとって、長時間の戦闘はやはり無理があったらしい。
結果、彼の動きが衰えたところへ、ザンは奥の手「斬竜剣」を打ち込み、その肉体を無数の肉片へと破砕していた。
「終わったな……」
遠くから戦いの行方を見守っていたカンヘルは、戦いの終結を悟ってザンに歩み寄る。
だが、ザンはある一点をじっと見つめ続けたまま、警戒を解こうとはしなかった。
「いや、まだだ…………」
「……?」
カンヘルがザンの視線の先へと目を向けてみると、そこには直径50cmほどの球体が浮いていた。
それがソロリソロリと、彼らから離れていくのだ。
「ファーブニルの目玉か!?」
確かにそれは竜の眼球であった。
おそらくファーブニルは、最も損傷の少なかった眼球内に、脳や心臓等の重要な器官を形成して生き延びているのだろう。
しかし完全に脳を破壊されて、全身の機能が停止した瞬間が確実にあったはずである。
それでもなお記憶を維持し、思考や肉体的活動を可能にするとは、いかなる仕掛けによるものなのだろうか──?
それは全くの謎であった。
ひょっとしたら脳のスペアにあたる器官が、身体中にいくつも存在するのかもしれない。
いずれにせよ、彼はこの眼球から長い時間をかけて、また元の竜の姿へと再生するのだろう。
ザンはそんなファーブニルの目にスタスタと足早に歩み寄り、剣の側面で地面に叩き落としてから、片足で踏みつける。
「おおうっ!?」
「このまま逃がすと思っているのか?
潔く死ね……」
無表情にそう言い放ち、ファーブニルへと剣をつき立てようとするザン。
そんな彼女を、カンヘルは制止した。
「待て、ザン。
もう終わりだ」
「…………何故、止める?」
表情こそ変わらないが、何処となく不満げな様子で、ザンは剣を止めた。




