―リチャードという男―
ほどなくしてザン達は、目的の人物が住むという家へと辿り着いた。
その家は貧民街の中にありながらも、他の住居よりも幾分質の良い造りをしているように見えた。
勿論それは、貧民街の中では比較的良いというだけで、市の中心部の富裕層が住む家から比べれば、物置小屋のような物である。
それでもこの貧民街の中では、隙間風や雨漏りなどの心配が無いように見えるだけでも、随分とマシな造りだと言えるし、それなりに資金をかけて建てられているのだろう。
だがそれも当然のことで、家の主はリックと同じ警備隊の隊員という、真っ当な職も地位も持っている。
収入に関しても、他の貧民街の人々の何倍もあるはずだ。
むしろ未だに貧民街に居を構えていることの方が、不思議になるような立場の人物だと言えるだろう。
そんな家の主だが、現在は竜との戦闘による負傷が故に、長い休職期間に入っているとのことだった。
建前上は怪我で動けないことになっているので、在宅はしているはずである。
ザンが玄関のドアに手をかけてみると、鍵はかかってはいなかった。
彼女はドアを開け、家の中へと大声で呼びかける。
「ごめんくださーい!」
するとやや間を置いて、家の奥から返事が聞こえてくる。
「誰だ……?」
まだ若い――20代後半くらいの男の声だ。
ザンが「話を聞かせてほしい」という旨を告げると、最初は難色を示していた男だったが、彼の同僚で友人でもあるリックの名を出すと、あっさりと家の奥へと招き入れてくれた。
一同が家の中に足を踏み入れると、そこは家具の類が殆ど見られない、シンプルな印象の部屋だった。
それでも男性の住まいとしてはよく整理されている印象で、家主の几帳面な性格が伝わってくる。
そしてそんな部屋の隅に設置されたベッドの上には、男性の姿がある。
「こんにちは、リチャードさんですね。
私はザンといいます。
こっちの可愛いのはルーフ。
一応、男の子」
「……いちいちそんな注釈をつけなくてもいいです。
こんにちは、ルーフです」
ザン達が部屋に入って挨拶をすると、男はベッドからゆっくりと上半身だけを起こして会釈をした。
しかし、黒く長い前髪に隠れそうな切れ長の鋭い目は、あまり客人を歓迎していないように見えた。
「ああ、俺がリチャードだ。
傷の具合がまだ良くなくてな……。
こんな姿で失礼するよ。
そこの椅子にでも腰を掛けてくれ」
リチャードは、細身ながらも引き締まった筋肉質の体付きをしていたが、そのあちらこちらに包帯を巻いていた。
が、よく注意して見れば、そのどれもが真新しい物だということが分かる。
少なくとも出血の跡などは確認できない。
(その包帯の下に本当に傷があるか怪しいものだな……。
いや、たぶん右手には傷があるのかもしれないけどな)
ザンは内心でそう思いつつ、リチャードへと質問を投げかける。
「それがドナウ山脈に出没したという、竜と戦った時に負った傷ですか?」
ザンがリックから聞いた話によると、2ヶ月半ほど前に市から東のドナウ山脈を越える街道で、旅人や行商人達が行方不明になるという事件が起こったのだそうだ。
そんな街道を無事に抜けてきた人間の中には、空を舞う竜の姿を目撃した者がいたという。
おそらく行方不明になった人々は、その竜に襲われたのだろうと、まことしやかに囁かれた。
その結果、幾人もの戦士達がドナウ山脈へと向かった。
竜を倒せば富と栄光を手に入れることができる──と、欲に目が眩んだのであろうが、その多くは現地で何があったのかし定かではないが、二度と帰還することができないという、大きな代償を支払ったようだ。
ただ、唯一の例外となるリチャードだけは、見事に竜の討伐に成功して、このチャンダラ市に戻って来た。
「……リックが話したのか?
あまり他言はしないようにと、言っているのだがな……」
リチャードの顔がわずかに険しくなった。
そんな彼の反応を受けたザンは、リックを弁護する。
「リックさんは御友人のあなたが竜を倒したことが、余程嬉しかったのでしょうね。
自分のことのように自慢してましたから。
でも、別にリックさんは、吹聴してまわっているという訳ではないのですよ。
私が『竜のことで何か知っていることはありませんか?』と聞いたところ、あなたのことを教えてくれたのです。
それにしても、これほどの偉業なのに、噂になるとなにか不都合なことでもあるのですか?」
そう問うザンの隣では、彼女が丁寧な口調で喋っているのが可笑しいのか、ルーフが微妙な表情をしていた。
だが、彼女も伊達に200年以上も生きていない。
必要最低限の礼儀は、なんとか持ち合わせているということなのだろう。
とはいえ、普段から傭兵然とした格好の彼女がそんな喋り方をしても、胡散臭さは消えなかったが。
そのことにリチャードが気づいているのかどうか、それは無愛想な彼の表情からは分からなかったが、それでも質問にはしっかりと答えてくれた。
「ああ、確かに俺が竜を倒したが、今はそれを証明するものが殆ど無いのでな……」
リチャードはばつが悪そうに、頭をかいた。




