―竜を倒すということ―
貧民街の一角をザンとルーフ、そして小さく縮まってザンやルーフのマントの陰に隠れて飛んでいるファーブが進んでゆく。
路地には薄汚れた服に身を包んだ痩せた子供や、まだ働き盛りの年齢にも関わらず、無気力な表情で道端に蹲っている大人の姿が見受けられる。
そんな人々の姿をなるべく見ないように、ザン達は道を進む。
無遠慮に好奇の視線を向けては失礼になると思ったからだが、見て見ぬふりをするのも躊躇われる光景ではあった。
リックの話によると、目的の人物はこの貧民街に居を構えているらしい。
「それにしても……竜を倒せる人間なんて存在するんですか?」
「……それは遠回しに、私が人間ではないと言いたいのか?」
ルーフの言葉を、ザンはちょっと拗ねたように返す。
「あ、いえ……そういう訳じゃあ……。
……ごめんなさい」
少しだけ悲しげにうつむくザンの様子に、ルーフは慌てた。
彼女は人間としては少々――いや、かなり特殊な存在で、並以上の竜が相手でも軽々と倒してしまう。
しかし人間の範疇から大きく逸脱してはいるが、彼女は一応人間の血を引いているのだ。
(今のは言葉には、配慮が足りなかった……)
と、反省しきりのルーフである。
だが、ザンはそんな彼の様子を見て、クスクスと笑いだした。
拗ねていたのは、どうやら演技であったらしい。
「あっ……。
またからかいましたね~!」
最近のザンは、ルーフをからかうという行為がお気に入りのようだった。
彼の反応が面白いのか、それとも今のような触れ合いが嬉しいのか、その理由は定かではないが、ファーブには良い傾向だと思える。
事実、ルーフを旅の供に加えたことによって、ザンの心は大きく変化しつつあった。
彼との交流の中で色々と学ぶ物があったのだろうが、ファーブが初めて出会った頃の彼女とは最早別人と言ってもいいほど、その性格は明るくなっている。
(全く……ここまで来るのに、随分と時間がかかったものだ)
と、ファーブは小さく溜め息を吐いた――無論、目玉なのでそのつもりになっただけではあるが。
「で、結局どうなんです?
これから会いに行く人が、本当に竜を倒したと思いますか?」
ルーフは一通りザンへと抗議の文句を並べた後、先ほどの質問に話を戻した。
そんなルーフの疑問に、ファーブは物知り顔(本人だけの認識)で語り始める。
「そうだな……竜と言ってもピンからキリまであるから、相手にもよるよな。
たとえば最下位種族──両生類もどきの緑竜や蜥蜴もどきの地竜、他にも飛ぶことしか能の無い飛竜なんかは、人間でも倒せないことはないな。
奴等は息攻撃や呪文攻撃が使えないから、比較的戦いやすい。
しかし中位種族の水竜とかになると、兵士や魔術士が数十人がかりでやっと倒せるってところか。
そしてルーフも知っている火炎竜等の上位種族となると、最早人間が何百人束になってかかっても勝てないだろうな。
優秀な魔術士が数百人で、一斉に魔法攻撃を仕掛ければ可能性が無い訳でもないが、まあそれだけの数の魔術士を集めるなんてことは、物理的にかなり難しいだろうし……」
「ふ~ん、そういうもんなんですか。
じゃあ、相手が下位の竜なら、1人の人間でも倒せるんですね?」
「不可能ではないな。
でも簡単なことじゃないぞ。
下位といっても、そこら辺の熊なんかよりもはるかに強力だからな。
単独で撃破することができたら、英雄扱いされるだろうな」
そして、その英雄になれた者は、歴史的に見てもそう多くはない。
れだけ竜という存在は生やさしくないのだが──、
「……竜を倒すって、そんな英雄扱いされるほど凄いことなのか?」
「……ハァ?」
ザンが漏らした困惑気味な疑問の声に、ファーブは思わず間抜けな声を上げてしまう。
「人間にとっては凄いことだって……。
お前はそれだけ桁違いな強さがあるから、自覚がないかもしれんけどさあ……」
ファーブが呆れたように言った。
しかしザンは、更に戸惑った様子を見せる。
「いや……。
私は斬竜剣士の血を引いているから、自分が特殊だっていうのは分かるんだけどさ……。
でも上位や中位はともかく、下位の竜を倒すことでも、人間にとってはそんなに凄いことなのかなあ?
うちの母様なんか……」
「待て、何故そこでお前の母親が出てくる……?」
「だってうちの母様、昔、火蜥蜴と互角に戦ったことがあるって、誇らしげに語っていたし……」
「………………………………」
長い沈黙が辺りを包む。
ファーブが一言も発しようとしなかったからだ。
目玉だけだから表情は読みにくいが、なにやら酷く驚いている様子だ。
「…………火蜥蜴って、あの中位竜族のか?
同名の両生類のことじゃあないよな……?」
「うん、中位竜族の火蜥蜴。
しかも変形したりして、凄かったって言っていたなあ……」
「へ、変形だと………………?」
火蜥蜴とは火炎竜の下位種族で、体長が5mから大きくても10mに及ばない、蜥蜴に似た小型の竜だ。
しかし空中を高速で飛翔し、高熱の火炎息や火炎呪文を操る為、人間にとってはかなりの脅威となる。
しかも変形する者となると、それは火蜥蜴の中でもかなり強力な個体であったに違いない。
下手をすれば、上位竜族に匹敵する能力を持っていた可能性もある。
「それと互角に戦った……?
……1人でか?」
「ああ、あと一歩のところまで追いこんだけど、どうしても勝てなくて、最後には父さんにトドメを刺してもらったって言っていたけどね。
父さんも『普通の火蜥蜴が相手だったら絶対に母様が勝っていた』って、褒めていたよ」
「………………………………」
ファーブ、再び絶句。
一応ベルヒルデとは面識もある彼であったが、
(あいつ、そんなに凄かったの!?)
という感覚である。
「………………あの斬竜王の嫁ならありえないことも……。
いや、しかし、もしそれが本当なら──」
ファーブは、半ば譫言のように呟いたその言葉の先を、必死で飲みこんだ。
もし口に出していれば99.9999999(以下略)%くらいの確率で、ザンに斬り殺されることになっていただろう。
(もし、それが本当なら、俺はお前の母親を人間とは認めないぞ……。
普通の人間がどうやったら、そんなに強くなれるんだよ……?)
ファーブはそんな本音とは裏腹に、「それは凄いな……」と、震える声でとりあえず褒めておく。
ルーフもなんだかよく分からなかったが、相槌を打っておくことにした。
ザンは母親が褒められたことが嬉しいのか、誇らしげにニコニコとするのであった。
ブックマークはありがたいです。
あと、ファーブがベルヒルデと面識がある件については4章で。




