―無慈悲なる守護神―
絶望的な状況に打ちひしがれていた町の住人達の前に、カードは久方ぶりに姿を現した。
そして――、
「儂は魔術士でな。
あの盗賊団の脅威を取り除く術があるのじゃが……。
儂に任せてはもらえぬかの?」
と、盗賊団の討伐を申し出たのである。
通常ならば、こんな得体の知れない者の言葉には、誰も耳を貸さなかったかもしれない。
だが、人々はその得体の知れない老人にすがり付かなければならないほどに、追いつめられていた。
それに魔術士ならば、たった1人の老人でもこの絶望的な状況を、覆すことができるかもしれないという期待もあった。
田舎町の住人達にとって魔術は、全く馴染みの無いものであったが、だからこそ彼らの常識では想像も及ばないような、奇跡じみたことを成し遂げてしまいそうなイメージがあったし、今までのカードに対する疑問も魔術士というだけで、全てが説明がついてしまうような気さえしたのだ。
だから町の人々も、カードの申し出を受け入れたのである。
ただ、人々がカードを頼りにしたのは、追いつめられていた所為だけではなかったのかもしれない。
カードは100歳にも届こうかというほどの高齢に見えたが、何故か老いというものを感じさせない覇気に満ちた男であった。
人々は直感的に感じ取ったのだろう。
カードがその内に秘めた力の巨大さを。
後になって振り返ってみれば、誰もがその力に脅えて、彼の意志に逆らえなかったのではないか――。
それも彼が持つ能力の強大さを目にすれば、頷けるものがあった。
盗賊達は町外れにある数軒の家屋を占拠し、そこを寝床としていた。
幸いルーフの家は町の反対側にあった為、大きな被害を受けることは無かったが、そんな離れた場所にいたルーフにさえも、カードが起こした奇跡が確認できたという。
いや、あまりにも常識外れな出来事であったが為に、本当の意味で何が起こったのかを理解する為には数日を要したが……。
後日、目撃者達の証言から、カードは盗賊達の潜伏場所に正面から単身で乗りこんだことをルーフは知った。
これはいかに数十の敵を瞬時に屠ることが可能な攻撃魔法を操る魔術士であったとしても、本来ならば無謀な行いであった。
大規模な魔法の発動には長い呪文の詠唱が必要になる為、敵の反撃を全く許さないほど間断なく術を発動できる訳ではないからだ。
たとえ1撃で敵の9割を倒すことができたとしても、次の攻撃に移る前に残る1割に接近されただけで、魔術士には勝ち目が殆ど無くなってしまう。
多くの魔術士は接近戦が極端に弱い。
これは魔法の修練にのみ重きを置いた結果、剣などの武具の扱いを学んでいない所為もあるが、それ以上に至近距離の敵に魔法攻撃を加えれば、その術に自らも巻き込まれてしまいかねないからでもある。
それ故に攻撃手段が極度に限定されてしまうのが、致命的であった。
勿論、高位の術者であれば、身を守る術を持ってはいるが、やはり多勢に無勢では魔術士であるカードには、いや、他の何者であろうとも分が悪いことは明白だった。
しかしカードは百数十名にものぼる盗賊の集団を前にしても、臆する様子を見せなかった。
それどころか、盗賊達を嘲るような笑みすら顔に浮かべていた。
彼には絶対的な勝利の自信があったのだろう。
カードはしわがれた声で、だが力強く呪文を詠唱し始める。
盗賊達は、相手がたった1人の老人であることから油断しきっていたようで、完全に対応が遅れた。
その結果、彼らは常軌を逸した光景を目撃することになる。
天空の彼方から響く獣の唸り声。
しかし盗賊達には、それが何者の声なのか判別がつかなかった。
それも当然であろう。
その声は雷の如く夜空に響き渡ったのだから。
このように轟音に等しき鳴き声をあげる生物など、彼らは知らない。
それどころか、生物が発した声だとは思い当たらなかった者も少なくはなかった。
盗賊達が空を見上げると、雲間から何か巨大な生物が舞い降りてきた。
それは未だ空高くあるにも関わらず、夜空に浮かぶ月よりも大きく見えた。
舞い降りてきたそれは、蜥蜴などの爬虫類に似た印象を持っていたが、全く別の生物であった。
後ろ脚で直立するその生物の全高は15m以上にも及び、その長大な尾を含めた全長は30m近くにも達する巨大さであった。
そしてその巨大な背には蝙蝠を思わせる翼を生やし、岩のようにゴツゴツとした皮膚は炎のような赤色──そんな生物の頭部には幾本の角と、鋭い牙が並ぶ大きな顎がある。
それはまさしくこの世界における最強の存在――竜の姿であった。
カードはこの世界最大の禁忌を、召喚したのである。
竜はカードの命を受けて、盗賊団へと襲いかかった。
それに対して盗賊達は、愚かしくも抵抗を試みてしまった。
彼らも竜の能力を知らなかった訳ではないだろう。
竜は間違いなくこの世界で最強の生物だ。
いや、生物に分類して良いものかと疑いたくなるほど、全てを超越した存在だ。
勿論その能力は、種族や個体によって大きな差はあるが、上位竜の能力はこの世界のあらゆる生物のそれとは次元が違う。
ただの一個体の襲撃によって、いくつもの都市を含む広大な土地が破壊し尽くされ、わずか1日足らずで統治体制が瓦解して滅びた国の例もあるほどだ。
しかし普通の人間が竜を目にすることは、生涯の内で1度あるかどうかというほど滅多に無いことであった。
何故ならば竜は殆どの場合、人間が寄りつけないような秘境の地に生息しているからだ。
逆に言えば、竜がそこに生息していなかったからこそ、その土地で人間が生活することができるのだと言ってもいい。
もしも竜と人間の生活圏が悉く重なっていたのならば、現在人間という種は存在していなかったかもしれない。
少なくとも人間が、竜によって一方的な隷属を強いられていたとしても、なんら不思議ではなかった。
ともかく竜と人間という種族の間には、同じ世界の住人とは思えぬほど接点が少なかった。
無論、それが人間という種にとっての幸運であることは間違いなかったが、それが故に盗賊達が竜の本当の恐ろしさを半信半疑で、全く理解できていなかったのも無理からぬことであったのかもしれない。
だが、その無知が故に支払う代償は、あまりにも大きすぎた。
盗賊達は自らの命と引き換えに、竜の能力の強大さを理解することとなった。
いや、その多くは何が起こったのかを理解する暇さえなかったのかもしれないが……。
竜に抵抗を試みようとした者達は、愚かであった。
また、竜のあまりの巨体に恐れ戦き、逃走を試みた者もまた愚かであった。
わずか数秒間――。
たったそれだけの時間で、百数十人にも及ぶ盗賊達は、竜の口腔より吐き出された炎によって潜伏していたいくつもの家屋ごと蒸発した。
灼熱の炎に照らされた雲が浮かぶ夜空は夕暮れのように紅く、それは町全域の直上にも広がって見えたという。
竜による決定は決して覆らない。
竜が盗賊達を殲滅すると決めた瞬間から、それはもう変えようのない運命も同然であった。
だから竜に対しては抵抗も逃走もただの愚行でしかなく、盗賊達に必要だったのは、ただ運命をあるがままに受けいれることができる覚悟と諦観だけであった。
この巨大な能力故に、竜は何人も関わってはならない不可侵の存在であり、生ける神々だと言っても過言ではなかった。
そんな竜を操るカードもまた、神々の如き超越者であると言えよう。
コーネリアの人々は、町を救ったカードを英雄として迎入れ、彼は人々に乞われるままに長老の身分にまでおさまった。
こうしてカードという守護神を得たコーネリアは、最早いかなる外敵の影にも脅える必要の無い、絶対的な平安を約束されたかのように見えた。
しかしすぐに人々は、自分達が悪魔の手によって救われたという事実を知ることになる。
明日は更新出来ないので、夜にもう1回更新するかもしれません。