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―黒い雨―

 ブックマークありがとうございました。

 ザンは地面に座り込んだまま、呆けたように遠くを眺めている。

 ラハブを呑み込んだ斬竜剣の衝撃波を伴う斬撃は、500m近くも大地を(えぐ)っていた。

 この世で最強の生物であるはずの(ドラゴン)すらも消し去った、巨大な破壊の爪痕だ。

 

 次にザンは自らの身体を見た。

 全身が火傷だらけで酷い有様だ。

 骨折や内臓破裂も何ヶ所かあるし、右の足首から下は欠損すらしている。

 だが、それもほどなくして全て治るだろう。

 

 事実、ザンの焦げた皮膚の下には、既に新しい皮膚が生まれつつあった。 

 竜と戦う為に生まれた斬竜剣士の血が、ザンへと常軌を逸した力や再生能力などを与えているのだ。

 彼女がこの能力(ちから)に助けられたことは、これまでに何度もある。

 この能力があったからこそ、今まで戦い抜いてこられたのだとも思う。

 だが、時にはこの能力が、酷く(うと)ましく感じることもあった。

 

「……化け物か」

 

 そう呼ばれても仕方がない──と、ザンは思う。

 それでもハンナにそう罵られたことは、思いのほか痛かった。

 彼女とて半分は人間の血を受け継いでおり、人間のように生きてみたいと思ったことが無い訳でもないのだ。

 

(こんな力さえなければ人間としても生きられたし、できもしない竜への復讐なんて選択肢も、選ばずに済んだのに……)

 

 そんな想いが脳裏をよぎる。

 だがその能力もまた、父親から譲り受けたものであり、彼女にとっての誇りでもあった。

 決して捨てられるものでも、否定できるものでもない。

 

 それでも今回のようなことがあると、ザンはその力を疎ましく感じてしまうことがあるのだ。

 一族が既に滅びており、帰る場所が無い彼女にとって、人間達に「化け物」と(おそ)れられ、受け入れてもらえないということは、この世界の何処にも彼女の居場所が無いことを示している。

 

 だからザンは、ただ竜を狩る為だけに世界を放浪し続ける。

 そして今日もまた1匹、憎き仇を討ち滅ぼすことができた。

 

 しかし今のザンに喜びは無い。

 憎しみが晴れた訳でもない。

 達成感も充実感も無い。

 

 それよりも何か大きなものを、失ったような気がしてならなかった。

 それが具体的になんなのかは、ザンにもよく分からなかったが、おそらくそれを一言で表せば、「希望」とかそんなものだったのではなかろうか。

 

 ザンはハンナとの付き合いを切っ掛けにして、人として当然の生き方のいくつかが手にはいるかもしれない──と、淡い希望を抱いていたのだろう。

 それが叶う可能性があったのかどうかは、最早何者にも知ることは叶わないが、それを確かめる機会さえもラハブによってぶち壊されてしまったことは間違いない。

 

 だから悔しくて、悲しくて仕方がないのだ。

 ザンの表情が歪む。

 長く忘れていた何かが(よみがえ)りそうだった。

 彼女自身があえて捨てたはずのものが、蘇りそうだった。

 だから彼女は、それを必死に否定しようとした。

 

(私は捨てたんだ。

 あの時、何もできなかった無力な自分を──。

 弱い自分なんかいらない! 

 無駄なものなんかいらない! 

 私は竜を倒す為だけの「剣」になり切れば、それでいいんだっ!)

 

 その時、(かぶり)を振るザンの顔に何かが落ちてきた。

 小さく冷たい、水の(しずく)──。

 

「雨……」

 

 見る見る間に、大量の水滴が周囲に降り注ぎ始めた。

 どうやら豪雨になりそうだ。

 これならばまだ周囲で(くすぶ)っている火種が、再び燃え上がることはないだろう。

 もしも山火事が発生していたら、それはこのサントハム村にとってのトドメとなっていただろうから、これはまさに恵みの雨だと言える。

 

 ただ、雨の色が黒っぽいところが、かなり異様ではあった。

 おそらくラハブの攻撃によって生じた爆発や炎が、土砂や灰などを空に巻き上げ、それが含まれているから雨滴が濁っているのだろう。

 

 その所為で雨脚が強くなればなるほど、周囲の見通しが利かなくなってくる。

 ところがそのことにザンは、ホッと安堵を感じていた。

 彼女が再び捨てようとしたものは、どうにも捨てられそうになかったからだ。

 むしろ、それが蘇ってくることを、この雨が後押ししているように思えた。

 

「……誰も見ちゃいない。

 雨が全部隠してくれる……。

 だから今だけはいいよな……?」

 

 ザンは空を仰ぎ見た。

 そんな彼女の顔に痛いほどの勢いで黒い雨滴が降り注ぎ、顔の表面を黒い水が流れ落ちていく。

 ただ、中には濁りの無い透明な水も流れていた。

 それはすぐに黒い水と混じり合って見えなくなってしまうが、確かに流れていた。

 ザンの目からは止め()もなく、次々と涙が──。

 

 それはかつて彼女自身が、不必要なものだと捨て去ったはずのものだった。

 しかし、悲しくて、悔しくて、それが溢れ出すことを耐えらそうになかった。

 

 しかしその反面、ザンは少しだけ喜びを感じている。

 彼女はようやく、泣くことができるようになったからだ。

 たとえ彼女自身がそんな弱さを嫌っていたとしても、「泣きたいけど泣かない」のと「泣きたいけど泣くことができない」のとでは、やはり全く違う。

 彼女がこれまで泣けなかったのは、彼女の心の一部が欠損し、不完全だった所為だ。

 

 それがようやく、完全な状態に戻った。

 それがほんの少しだけ嬉しくて、複雑な心境だった。

 

「う……ああ……あ……あ……」

 

 小さな嗚咽が、ザンの口から洩れている。

 ザンは声を上げて泣いていた。

 それは彼女が全て失ったあの時以来だろう。

 130年もの昔、斬竜剣士の一族が滅び、彼女が全てを失ってしまったあの日以来──。

 

「うあああああ…………」

 

 小さな嗚咽は、徐々に号泣へと変わりつつある。

 だけど、黒い雨が降り続いている。

 全てを包み隠すように、激しく黒い雨が降り続いている。

 この0章は、ルーフとの出会いの失敗パターンという感じで書いています。

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