―崩 壊―
村は血臭に包まれていた。
至るところに鮮血に染まる村人の身体が転がっており、その数は10や20ではない。
しかも一見して、殆どの者が手遅れの状態だった。
多くの者はその身体を引き裂かれていたが、おそらく凶器は刃物ではない。
刃物によって受けた傷にしては、切れ味が鈍過ぎるからだ。
犠牲者の受けた傷は何か巨大なかぎ爪のようなもので、力任せにえぐられたような状態だった。
この惨状は村外れに住むハンナには、まだ知りようがなかった。
ただ、さすがに村での喧騒は彼女にも届いており、家の外に出て村の様子を見ようと目をこらし、耳をそばだてる。
だが、距離がそれなりに離れている所為で、何が起きているのかまではよく分からなかった。
そこでハンナは村の方へと、行ってみることにした。
そして村へと続く道を半ばまで進んだ頃、前方から何者かがこちらの方に駆けてくるのを彼女は目撃した。
「……カミユ?」
しかしハンナは、それが本当にカミユなのか、確信が持てなかった。
いや、服装や背格好などを見ても、おそらくはカミユであることは間違いないように思える。
ただ、彼女は知らない。
あんな恐怖に脅えた幼馴染みの顔を──。
彼は何かから逃れようとでもいうかのように、必死の形相でこちら向かって駆けてくる。
「え……?」
次の瞬間、ハンナは知った。
実際にカミユは、何者かによって追われているのだということを。
その追っ手とはかなり距離が離れていたので、気が付くのが遅れた。
いや、違う。
その追っ手は今し方、カミユの追跡を始めたばかりなのだろう。
その証拠にその者は、既に彼に追いつきつつある。
もっと早い段階で彼の追跡を始めていたならば、とっくに追いついていただろう速度だ。
それは肉食獣が、狩りを行う時のものを彷彿とさせるものがあった。
だが、カミユを追う者の姿は、少なくともハンナが知っている肉食獣のものではない。
その姿や動きは、どちらかといえば猿に近かった。
しかしその存在が、彼に接近するほどに猿ではないことが彼女には分かった。
それは明らかにカミユよりも大きかったのだ。
体高は軽く2mを超えているだろう。
ハンナはあんなに大きな猿を、見たことも聞いたこともない。
ハンナは訳が分からないまま呆然と立ち尽くしていると、カミユは必死の形相で叫んだ。
「逃げろ、ハン──」
その叫びは最後まで発せられることはなかった。
カミユの身体は「ゴツ」という鈍い音と共に、宙を舞ったのだ。
追いついてきた生物の強靱な腕でのなぎ払うような一撃が、彼の身体を10m以上も吹き飛ばし、その身体を勢い良く草原の地面に叩き付けた。
それは運が悪ければ即死していてもおかしくない、激しい衝撃であっただろう。
たとえ即死していなくとも、死に至るような傷を負った可能性は十分にある。
実際、彼はそのままピクリとも動かなくなった。
「な……!?」
事態についていけず、やはりハンナはそのまま立ち尽くしたままだった。
「逃げろ」という、もしかしたら幼馴染みが発した最後の言葉かもしれないものにさえ、従えるだけの余裕が無い。
(何? 何が起こっているの……?
竜の襲撃……じゃないわよね?
あれは魔物だわ?
それがカミユを襲って、カミユは……どうなったの?)
ハンナが混乱している間に、カミユを襲った生物は彼女の方に迫ってくる。
そしてその距離が縮まって行くにつれ、それが何者なのかをハンナは理解していった。
ハンナには最初、それが猿のように見えた。
しかしその生物の巨体もさることながら、頭髪以外の体毛が殆ど目立たない黒ずんだ皮膚、その皮膚の所々に浮き出ている鱗や角の如き突起物、やや歪ながらも完全に二足歩行に適した骨格、手足の指先が丸ごと高質化してしまったかのような大きくて鋭いかぎ爪──どれをとってもそれは猿には、いや、この世に生息するあらゆる動物に似ても似つかない存在だった。
唯一該当する物があるとすれば、それは「魔物」と区分されるべき存在である。
ただ──、
「あ……!」
ハンナははあることに気付いて、愕然とする。
そしてその時には既に、あと数秒で魔物がハンナのところへ辿り着こうとしていた。
最早逃げることはおろか、魔物の攻撃を回避することすらままならない。
その時、ハンナの後方から何者かが物凄いスピードで接近──いや、彼女を追い抜いていく。
ハンナの目に銀色の髪と紅いマントの鮮烈な色合いが飛び込んできた。
(ザン……さん?)
「出でよ!」
ザンの叫びとともに、彼女の右掌が光った。
明日は定休日です。




