―余所者―
サントハム村は平和|だった。
村は辺境の山間にひっそりと存在しており、他の町村との交流も活発ではない。
当然、商工業などの産業が発展する余地も無く、村人は農畜産業や野山での狩猟・山菜などの採取などによって、殆ど自給自足に近い慎ましい生活を送っている。
だが、この慎ましい村の在り方こそが、先の大戦の戦火が村に及ばなかった要因であると村人達は信じていた。
実際、こんな山奥の貧しい農村を何者かが襲ったところで、得る物など殆ど無いだろう。
しかし……村がこれまで平和だったのは、実のところただ運が良かっただけなのだということを――そして、その幸運がついに途切れてしまったということを、村人達はまだ知らない。
そう、サントハム村は平和だった。
──今はもう、違う。
ようやく本格的な春が訪れようとしているある日の夕暮れ──周囲に緑は目立つが、空気にはまだ冷たさが残る。
いや、じきに陽が落ちれば、冷気はより増していくだろう。
農作業などに従事していた村人達も、暖炉の温もりや、温かい夕食を求めて家路へと急ぐ頃合いだ。
そんな夕暮れの村はずれに、小道を進む一つの人影があった。
年の頃はまだ16~17歳くらいの、少女のように見える。
過疎化が進み、若者が少ない村だとはいえ、その年頃の娘がいること自体は別に珍しくはない。
ただ、少女の風貌は良くも悪くも、決して平凡とは言いがたかった。
顔立ちこそまだ少女の面影を残すが、彼女の上背は既に少女と呼ぶには違和感がある。
おそらく170cm前後はあるだろうか。
しかもただ長身なだけではなく、均整のとれた体付きを彼女はしていた。
それはどことなく猫科の動物を思わせるしなやかさと、野性味に満ちた力強さがある。
そしてその身体を、なめし革を思わせる──しかし実際には正体不明の素材でできた黒いスーツで包み、更にその上に胸当てや膝当てなどの簡易的な防具と紅いマントを纏っていた。
それは明らかに田舎の農村には不釣り合いな風貌であり、だから一見して村の外から来た旅人であることが分かる。
おそらく彼女は、傭兵などの荒事を生業としているのだろう。
各地の戦場を渡り歩いて戦果をあげ、野盗や獣・魔物など、人々に害をなす存在を駆逐する──それによって得た報酬で生活を送っている者は、この時代においてはさほど珍しくはなかった。
いや、いつの時代でも、この手の職種のニーズは無くならない。
「人類の歴史は戦いの歴史」とも言われるだけあって、世界中のいたる所では暴力でしか解決できない問題は尽きることがなく、だから絶対に食いっぱぐれることのない傭兵を志す者は、いつの時代でも多くはないが決して少なくもない。
もっとも常に危険と隣り合わせの職業なので、実力がなければ天寿を全うすることは難しく、決して割の良い仕事とは言えないのだが……。
それが故に少女のような年齢の娘が手を染めていることに、大きな疑問を感じる者も少なくはないだろう。
だが、それ以上に不思議なのは、彼女が武器のような物を何一つその手に携えていないことだった。
少なくとも彼女は、徒手空拳のみで戦闘を行えるほど、鍛え抜かれた肉体を持っているようには見えない。
しかし鎧を身につけている以上は、何者かと何らかの手段を用いて戦うことを前提にしていることはだけは間違いないのだろう。
実際、戦うつもりが無いのなら、鎧のような重い物など脱ぎ捨てて、身軽になっていた方がいざという時には逃げやすくて余っ程いい。
逆に戦闘を前提としているのならば、その重さによって多少のスピードを犠牲にしてでも、敵の攻撃によるダメージを軽減させる鎧の装備は必須だと言える。
特に戦場のように複数の敵と戦わなければならないような状況下においては、敵の攻撃を全て回避することはどのような熟練の戦士といえどもほぼ不可能だからだ。
そしてそれが武器を用いた攻撃ならば、生身のまま受ければただの一撃だけでも命取りになりかねない。
鎧の装備はその危険性を少しでも下げる為のものでもあるが、同時にそんな危険な状況に身を置いて戦うことに対する「覚悟」の表れでもある。
決してただ身を守る為だけの道具ではなく、ある意味では戦うことへの明確な意思表示だとも言えるだろう。
しかし彼女が手ぶらである以上、その戦闘スタイルが全く分からない。
それが不気味といえば、不気味ではあった。
そんな具合にかなり怪しい出で立ちの少女ではあるが、それ以上に人の目を引きつけるのは、おそらくは生来より彼女に備わっていたものだ。
まずはその頭髪である。
それは見事な銀髪であった。
まるで銀糸を束ねたかのようなその髪は、角度によっては陽の光を反射してそれ自体が輝いているようにさえ見える。
多少癖っ毛気味ではあるが、それを差し引いても文句の付けようのない美しい銀髪であった。
そしてもう1つ、おそらくこれが彼女の最大の特徴と言えるだろう。
それは真紅の瞳であった。
そのルビーのように紅い色彩を放つ瞳は、見る者に強烈な印象を残し、また、彼女から人間らしさを消し去っていた。
これらの銀髪と真紅の瞳を併せ持つ彼女は、整ってはいるが表情が薄い顔立ちの所為もあって、まるで人形のようにも、あるいは妖精のような人間とは別種の存在であるかのようにも見える。
しかしそれこそが彼女の美しさを更に際立たせており、この奇妙な風貌であるはずの少女の印象を不思議と悪くはしていなかった。
まあ、何処か近寄りがたい雰囲気は、どうしても否めなかったが……。
ともかくこんな非常に目立つ風貌で、しかもこの村の人間ではない少女を見かければ、地元の者は嫌でも気にかかる。
ましてや今は村の一大事であった。
案の定、少女は前方から歩いて来た青年に、呼び止められた。
「君……何処へ行くの?
この先には家が1軒しかないけれど……」
彼の年齢は、は20歳を少しばかり過ぎたくらいだろうか。
身長は少女よりもやや高いが、細身でどことなく頼りなさを感じる。
しかし誠実そうな印象を持った青年だった。




