―灼熱の塔―
「……っく!!」」
結界へと魔力を送り続けていたザンの左腕から、唐突に血が噴き上がった。
ヴリトラの火炎息の威力があまりにも大きいが為に、彼女が結界に送っていた魔力を逆流させ、その腕にダメージを生じさせたのだ。
もっとも、ザンが攻撃を受ける寸前に視力を奪われ、その隙をつかれていなければ、ここまで大きなダメージを瞬時に被ることもなかっただろう。
だがいずれにしても、いかに彼女が再生能力を有していようとも、ヴリトラの攻撃が続いている間は回復させることができず、むしろダメージが更に重なるばかりだ。
この時点でザンは、覆しがたい劣勢に追い込まれたと言ってもいい。
(クソっ……このままでは結界が破られる!)
結界を維持する為にザンは全力で魔力を送り続けるが、ヴリトラが未だに吐き続ける火炎息の威力は更に高まり、魔力の逆流はいよいよ激しくなっていく。
結果彼女の腕には、指先から這い上がるかのように裂傷が次々と刻まれ、ミシミシと悲鳴をあげる肘や肩の関節が今にも外れそうだった。
ザンの腕は、着実に崩壊してゆく。
その腕としての機能は、既に殆ど失われているかのように見えた。
そしてそれが全身に及ぶのも、最早時間の問題だろう。
いや、その前に、結界の維持が困難になる方が先か。
「くうぅぅっ!」
さすがのザンも、苦痛に顔を歪めて呻く。
ヴリトラはこの凄まじい閃光と轟音の中にありながらも、目ざとくそれを感じ取ったのか、高らかに哄笑を上げた。
『グハハハハハッ!!
いかに斬竜王の娘とはいえ、所詮は下等な人間の血を引く貴様が、この邪竜四天王たる儂に勝てる道理など無いのじゃ。
さあ、さっさと諦めて結界を解け。
そうすれば苦しまずに、一瞬で燃え尽きることができる。
下手に抵抗すれば、それだけ苦しみが長引くだけだぞ?
クックックックックック……』
「うるさいっ! うるさいっ!! うるさ……グッ!?」
ザンの頭の中に響いてくるるヴリトラの哄笑を、叫ぶことによって振り払おうとした。
しかしその時、彼女の左肩から一際大きく血飛沫が噴き上がる。
彼女の左腕は、最早完全に限界を超えていた。
(チッ……なんて威力だっ!
他の邪竜共とは桁が違う……。
四天王の能力がここまでとは……甘く見すぎたか)
ザンは心の中で毒づく。
状況は彼女にとって、絶望的だと言えた。
このままでは間違い無く彼女は負ける――つまりは死ぬ。
(クソ……こんなところで、で終わりなのかよ。
だけど、こんなところで……こんなところで――)
「──死ねないっ!」
それは呟くような、しかし強い意志のこもった宣言だった。
そしてもう1度確認するように、
「――死ぬ訳にはいかないっ!
こんなところで、母様から2度も貰った命を、無駄にする訳にはいかないんだよぉっ!!」
ザンは絶叫する。
だが、ザンに残された道は、皆無に近いほど残されてはいない。
このまま死力を尽くして、結界を維持し続けるか――いや、おそらく彼女の力を限界以上に振り絞っても、結界の破壊はもう免れないだろう。
しかしそれでも、ザンには諦めるという選択肢は無かった。
彼女の命は自分自身だけの物ではなく、母の命でもある。
だから彼女が勝手に諦めて、失う訳にはいかなかった。
ならばザンにできることは、只1つしかない。
彼女は右手に携えた剣を振り上げる。
この時の彼女の思考は、全てが真っ白になっていった。
余計な思考はいらない。
自身は竜を切り裂く為だけの、一振りの剣になる──。
それをなしとげる為だけに、精神力を一点に集中し研ぎ澄ます。
「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――っ!!」
ザンが雄叫びを上げたその時、ついに結界が弾け、彼女がいた空間の全ては、白く染まっていった。
「…………っ!?」
町の外に避難していたコーネリアの住人達は、信じられない光景を目の当たりにしていた。
町の中心部から雲を貫くほどの巨大な光の柱がそびえ立ち、町を飲み込んでいくのだ。
その直後、町から10km近く離れていた人々のもとには、嵐の如き勢いで熱風が押し寄せて来た。
彼らは慌てて物陰や窪地に隠れて、その熱風をなんとかやり過ごした。
しかし運悪く、身近に身を隠す場所が無い為に熱風を浴び続けた者は、全身に火傷を負うこととなる。
だがそれでも、死者が出なかったのは不幸中の幸いと言えるだろう。
いや、まさに奇跡だった。
しかし人々は、ガダガタと身体を震わせていた。
周囲はむせ返るような熱気に包まれていたが、それでも人々は震える。
言うまでもなくその震えは、寒さからではなく、恐怖から来るものだった。
(得体の知れない力で町の外に運び出されていなければ、自分達は今頃あの光の柱の中にいたのかもしれない……っ!!)
そうなっていれば、生き残りなど存在しなかったはずだ。
そう考えると、この身体の震えは暫く止まりそうになかった。




