―いざ、宿敵の元へ―
「ザンさんったら、一言も無しに行っちゃうなんて、ヒドイじゃないですかぁ!」
抗議めいた口調で、ルーフは言った。
するとザンは苦笑を浮かべて、
「いや、悪い。
だけど今もこの瞬間に、沢山の命があいつに奪われているんだ。
ゆっくりと再会を喜んでいる場合でもないだろ?」
「それは……まあそうですけど」
「でも、意表を突いたつもりだったんだけど、いきなり追いつかれるとは思わなかったな。
ルーフってば、また強くなったか?」
そんな軽口を叩いているザンは今、実はかなりの速度でティアマットを目指して飛翔していた。
しかもこの世界に戻った瞬間から、音速を超える速度で──である。
だがそんな彼女に、ルーフはあっさりと追いついて来た。
最早人間についてこられる速度では──いや、人間の身体が耐えられる速度ではないにも関わらず──だ。
それは既にルーフも、人間を超越した存在になったことを意味していた。
「ええ……、実は邪竜王との戦いで傷ついたファーブさんから、心臓をもらったんです。
ザンさんを助ける為には、力が必要だろうから……って」
「心臓を……」
ルーフの言葉に、ザンの表情がわずかに曇った。
ファーブは竜王がベーオルフへ心臓を与えたのと、同じことをしたのではなかろうか。
勿論、ただ心臓をルーフに分け与えただけならば、それほど心配することはないのかもしれない。
だが竜王から多くの知識を引き継いだ今の彼女ならば、竜王の行為がどのようなものだったのか、その真相が分かる。
竜王は心臓とともに、自らの魂の半分以上をベーオルフへと分け与えていたのだ。
だからこそベーオルフは、あれほど巨大な能力を得ることができたのだろうし、竜王はあれほど衰弱したのである。
ファーブがもしも竜王と同じことをしていたのだとしたら──しかもティアマットとの戦いで傷ついた身体でそれを行ったのならば、今も健在であるはずがない。
少なくとも自ら戦う余裕が無かったからこそ、彼はルーフに心臓を与えたのである。
彼の身体がかなり衰弱していたことは、疑う余地もなかった。
ザンは一刻も早く、ファーブの安否を確かめに行きたかった。
だが、自分は何の為にこの世界に戻ってきたのか、それを自らの心に言い聞かせて、表情を引き締める。
(何よりも優先して邪竜王を倒すっ!)
それこそが自身の大切なものを、守ることにも繋がるのだから──。
それに今この瞬間にも、大切な人達が危機に陥っている。
まだそれを視認できていなかったが、ザンにはそれが鮮明に心で感じ取れた。
これもまた、彼女が竜王より引き継いだ能力の1つなのかもしれない。
ザンは右手に掲げた父の形見に、意識を集中させて叫ぶ。
かつて一度も使用したことが無い剣ではあるが、その制御には何ら不安を感じなかった。
不思議とそれを発動させる言葉が、自然に頭の中に浮かびあがる。
「竜王ザンの名において命ずる。
汝、その封じられし力を解き放て!」
「ザ、ザンさん!?」
ルーフはザンの突然の叫びに驚いたのか、素っ頓狂な声を上げた。
いや、違う。
ザンが構えた剣から、今まで感じたことがないような巨大な力を感じたからだ。
それはファーブの力を引き継いだ彼でさえも、途方もなく巨大なものに感じられた。
「我、呼びかけし汝の名は──」
次の瞬間、高速で飛翔していたザンは急停止して、剣を頭上に振り上げた。
そして力ある言葉とともに、その剣を勢い良く振り下ろす。
「王神剣!!」
振り下ろされた剣から、紅い光が伸びる。
それは一瞬にして、地平線の彼方へと吸い込まれていった。
そして、光が通り過ぎた跡には、あらゆる存在が断ち切られ、完全な無の空間が生じる。
「こ……こんな!」
ルーフは驚愕に目を見開いた。
この斬撃の威力は、今までのザンのものとは明らかに違う。
手にしている剣も違うが、それ以上に彼女の中で何かが決定的に変革したのではないか──そんな気がした。
(これならあの邪竜王にも、勝てるかもしれない……)
そんな期待感を覚えながらも、驚きが抜けきらず半ば茫然としていたルーフの頭を、ザンが軽く小突く。
「あうっ!?」
「ボサッとしてるんじゃない。
どうやら叔母様達が、怪我してるみたいだ。
手当をしてやってくれ」
「あ……? はい」
ルーフはザンが指し示した方に、視線を向けた。
確かに黒い3つ首の竜の背の上に、シグルーンとフラウヒルデの姿が確認できる。
「頼むぞ。
私は……私のやれることをやってくる!」
ザンはそう言ってルーフの背中を軽く叩きつつ、真剣な面持ちである一点に視線を注いでいた。
そこには未だに燃え盛る炎の中から、ゆっくりと姿を現すティアマットの姿があった。
だが、一度は死に等しいほどの敗北を受け、最早絶望その物と言っても過言ではない強大な存在と対峙してなお、ザンの顔には覚悟の色はなかった。
ザンは今、沢山の物を背負っていた。
もしも彼女がティアマットに負ければ、これまでの戦いの中で奪われた沢山の命が無駄になる。
そして更に沢山の死が、世界に満ちるだろう。
だから決して負ける訳にはいかなかった。
そして負けないのであれば、そこにはいかなる覚悟も必要ない。
ただ「必ず勝つ」──その強い想いさえあればいい。
それは覚悟ではなく希望だ。
ザンは一度敗北してなお、希望の果てに絶望以外の物があると信じて疑わなかった。
「はい! 頑張ってください。
今のザンさんになら、きっとどんなことだって、やり遂げられますよ!」
そんなルーフの言葉を受けて、ザンは微笑む。
だが、視線はティアマットへ注がれたままだ。
そして──、
「……行ってくる!」
そう短く言い残し、ザンはティアマット目掛けて飛ぶ。
その背を見送るルーフの顔には一切の不安の色は無く、ただ強い信頼の想いがあるだけだった。
「いってらっしゃい!」
ルーフは明るい声でザンを送り出した。




