―述 懐―
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父の遺体の傍らで、ザンは静かに瞑目していた。
父の死は耐えがたいほどの悲しみであったが、いつまでも悲しんでばかりはいられなかった。
何故ならば、彼女はまだ全てを失った訳ではなく、しかしこのままこの場に留まれば、すぐに全てを失ってしまうからだ。
そうならないようにする為にも、一刻も早くこの闇の空間から抜け出さなければならない。
だが、その手段が分からなかった。
物理法則すらもまともに通用するのかどうかも怪しいこの空間において、出口を求めて闇雲に歩き回ってもおそらく徒労に終わるだろう。
だから彼女にできたのは、ただ想うことだけであった。
元の世界へ、仲間達のもとへ、還りたいとひたすらに願うことだけだった。
そしてその強い想いこそが、彼女の知る世界とは異なった法則で形作られているこの空間では、大きな力となるのかもしれない。
根拠は無かったが、彼女はそんな気がしていた。
少なくともかつてこの空間と似たような夢の中から抜け出した時は、そうであったのだから。
(あの時、母様は言ったよね。
自分から逃げなければいいって……。
うん、私はもう逃げないよ)
ザンはゆっくりと目を開き、父の遺体に語りかけるかのように静かな口調で独白する。
「……確かにちょっと前までの私は、逃げていたよ。
邪竜への復讐なんて、本当はどうでもよかった。
だけどそれを認めたら、私には何も残らなかった。
しかも無くしたものを取り戻す方法も知らなかったし、取り戻してもまた失うかもしれないと思ったら、怖くて仕方がなかったよ。
だから前を向いて歩こうだなんて、思えなかった。
自分の本当の願いを捨てて、私はその場に留まり続けることを選択したんだ。
ただ復讐だけを願い、それだけの為の道具に成り下がることに……。
そうしていれば、他のことを考えずに済んで楽だった。
そのまま200年も逃げ続けていた……」
それからザンはしばし沈黙し、やがてまた口を開く。
「……でも、不思議だよね。
私が拒んでいても、無くしたものはいつの間にか少しずつ戻ってきているんだ。
気が付いたら、失くす前よりももっと増えていたくらいさ。
これがまた失くなってしまったらと考えたら、とても怖いけど……。
でも、だからこそもう自分からは捨てられないよ。
また無くしてしまうその時まで、私はそれを守る為に命を懸けて戦いたい。
その為にもルーフやファーブ、フラウヒルデや叔母様やメリジューヌの……みんなのところへ還りたい!」
そしてザンは大きく息を吸い、一拍間を置いてから力強く言った。
「これが今の私の嘘偽りの無い気持ちだ。
もしもこの想いが誰かに届いたのならば、どうか私に力を貸して欲しい!」
ザンにはこの想いが、必ず誰かに届くという確信がある。
今、彼女の身体はかつて無いほどの巨大な力に満ち溢れており、それはまるで父ベーオルフに届こうかというほどの巨大なものであった。
父の死を切っ掛けにして彼女の中で眠っていた力が目覚めたのか、それとも別の要因からなのかは定かではなかったが、ともかく今の彼女は心身共に力が充実している。
その巨大な力に想いを乗せて送っていた。
「……!」
自身の声に何者かが応えたような気配を感じ、ザンはうつむき加減の顔を上げた。
しかも何となく声のようなものも、聞こえたような気がする。
それはよく知っている人物の、声であるようにも思えた。
ザンは周囲を見渡したが、そこには声を発したと思われる存在を確認することはできなかった。
しかし――、
「!!」
ザンの目が驚愕に見開かれる。
気が付くと、彼女の目の前に竜の姿があった。
その竜はあまりにも巨大であり、巨大過ぎて至近距離からではその全身を確認できないほどだ。
いや、何故か身体が透けて見えるので、努力すればその全身の形状を把握することができたかもしれない。
それはザンの見知った竜の姿だった。
『なるほど……何処にも見当たらぬと思ったが、ここにおったか……』
竜は厳かな口調で言葉を発した。
「り……竜王!?」
そう、今ザンの目の前に現れたのは、竜族の統治者、竜王ペンドラゴンその人であった。
「な……何故、竜王がここに?」
『ふむ、そなたを強く呼ぶ思念を見つけてな。
それが届く先を目指しておったら、今度はそなたの声を聞き付けたのだ』
「いや……そうじゃなくて……」
ザンは酷く困惑した様子で言った。
実際、今の竜王の答えは、彼女の疑問に対する物としては不充分な内容であった。
竜王は現在老衰の為に、殆ど動けない状態であったのだ。
その竜王がここに――とは言え、ここが何処なのかはザンにもよく分からなかったが――いるのは絶対におかしい。
『…………肉体のくびきから解放された私は、もう何処に行こうと自由だ……』
「……まさか……あんた…………死んだのか?」
ザンは信じられぬ想いであった。
いくら老衰で衰弱し切っていたとは言え、十万年も生き続けてきた竜王である。
彼にとっては千年の長い時間も、人間にとっての1年程度の感覚でしかないのではないか。
だからたとえ竜王の身体が既に危篤状態であったとしても、それがまだ数十年続いてもさほど不思議ではないような気がしていたのだ。
『うむ、ティアマットの攻撃によってな……。
だが、あのまま身動き1つ取れぬような状態で生き永らえるよりは、良かったのかもしれぬ。
おかげで取り返しのつかない事態は避けられそうだ……』
「……って、なんで私のところに、わざわざあんたが来るんだよ?」
ザンは怪訝そうに竜王を見上げた。
世界を治める神の如き存在だといっても過言ではなかった竜王が、その配下たる一介の戦士風情の前に、死してなお魂だけの姿となってわざわざ会いに来た理由が分からなかった。
『うむ……それは時の経過と共に自ずと知れよう。
まずはこれを観てもらいたい』
「ちょっ、ちょっと待ってくれよ、私は一刻も早く元の世界に還りたいんだ。
悠長にあんたの相手をしている暇なんて無い!」
『では、今すぐ戻ったとして、そなたに勝算はあるのか?』
「あ……いや……」
竜王の言葉を受けてザンはうつむいた。
彼女は先程、ティアマットに徹底的とも言えるほどの完敗をしたばかりだ。
確かに今の彼女はかつてないほどの力に満ち溢れていたが、しかしそれでもその力がティアマットを倒す為の、決定的な要素とは言えなかった。
特にあの空間を操る能力に対しては、全く打つ手が無い。
『これから私がそなたに伝えることは、そなたの大いなる力となるであろう……』
「あ……!?」
その時、ザン達の周囲が、先程までの一面の闇から一転して、眩い光に満ちた世界となった。
ザンは突然の光に一瞬目を眩ませたが、光に慣れてきた目は徐々になんらかの映像を映し始めた。
明日はワクチン接種で時間が無いので休みます。




