―最強を継ぐ者―
「そうさ……。
200年前、あんたが父様とまともに戦う前に逃げ出したのを、遠見の水晶で見ていた。
それは今でもはっきりと憶えている」
『クッ』
ヴリトラは小さく舌打ちした。
確かにザンの言葉通り、彼はベーオルフの前から逃げた。
しかしそれは、ヴリトラが弱かったからではない。
ベーオルフがあまりにも強すぎたのだ。
だからヴリトラは、ベーオルフとわずか数分間戦っただけで、「この男に絶対勝てない」と本能的に悟り、全力で逃げ出したのである。
そうしていなければ、今現在この世に彼は存在していなかったはずだ。
(あ、あの男は尋常ではない!
あの男に勝てる者など、この世には存在しないのではないか……?
現に邪竜王様ですら、あの男に敗れ去っている!
……よりにもよって斬竜剣士最後の生き残りが、あの男の血を引いているとは……っ!)
ヴリトラは、今にも狼狽してしまいそうな自身を必死で抑え、平静を保とうとした。
だが、背筋に湧き上がる悪寒はなかなか消えない。
それほどまでに、ベーオルフから受けた恐怖は大きかった。
『…………なるほどな。
並の斬竜剣士と比べても、格段に手強いとは思っていたが……。
そういうことじゃったか……』
ヴリトラの目から見ても、ザンは強かった。
彼が今まで戦って来たベーオルフ以外の斬竜剣士とは、格が全く違うとさえ言っていい。
しかしそれは、戦闘経験の差から来るものだと彼は思っていた。
事実、邪竜大戦当時の斬竜剣士達は、生まれてからわずか10年にも満たない年月しか生きていなかったのだ。
彼らと200年近い年月を戦い続けてきた者──そんな両者の能力差が大幅に開くのも、当然のことだろう……と。
しかし、ザンの強さは、血筋から来るものでもあったのだ。
それを自覚したヴリトラは、目の前にいる女が、急に得体の知れない存在であるかのように感じ始めた。
事実、ザンにはまだ、能力の底が見えない部分もある。
ただの斬竜剣士だと侮るのは、少々危険なのかもしれない。
それでも──、
『……だが貴様には、あの男ほどの化け物じみた能力はあるまい。
この儂を倒せるものかよ!
丁度いい機会じゃ。
200年前にあの男から受けた屈辱を、貴様を血祭りにあげることですすぐとしようか』
一時は、ザンがベーオルフの娘だと知って狼狽したヴリトラであったが、今は平静を取り戻しつつある。
確かに彼の目の前にいる娘は強い。
しかしベーオルフと対峙した時に感じたような、圧倒的な力の差は無かった。
そもそも貧弱な人間の血を引く者などに、邪竜の頂点に君臨するヴリトラが負ける材料は無い。
無い……はずだ。
「……人の父親をつかまえて、化け物扱いするなよ……。
ってゆーか、あんたが化け物って言うな!」
「うん、もっともだな」
ザンの抗議の言葉に、ファーブは器用にも目玉だけでウンウンと頷いている。
その横でルーフは(他人のことは言えないんじゃあ……?)と、思ったが口には出さないことにした。
生命を捨てる覚悟がなければ、怖くてとても言えたものではない。
賢明である。
「……まあ、確かに私の能力は、まだまだ父様には及ばないと思うけどさ。
だけど、あんたに血祭りにあげられるほど、弱くはないと思うよ。
試してみるか?」
『クックック……よかろう。
それではこれを受けた後で、そのへらず口を叩けるか、試してくれるわ』
ヒュゴオォォ――。
唐突に周囲の空間へと響き渡ったその音は、ヴリトラが膨大な量の大気を吸い込む音であった。
それは数十mは離れた場所にいるルーフ達にも、はっきりと聞こえた。
「ゲッ!?」
「な、何!?」
ファーブがあげた驚愕の声に、ルーフは何ごとかと慌てた。
「火炎息っ!!
おそらく奴が持つ最強の攻撃だぞ。
しかも火炎竜のそれとは桁違いの威力で、この町を含めた周囲の平原を完全に焼失させるくらい訳もないはずだっ!」
「えっ!? 町が消えるの!?」
ルーフは悲鳴じみた素っ頓狂な声を上げたが、それも仕方が無い。
ファーブの言葉は、彼の想像の限界を超えていたのだから。
「俺にしっかり掴まっていろ!
全力で結界を張るが、結界ごと弾き飛ばされるかもしれん!
その時にはかなりの衝撃が来るから、もしも俺から離れて、結界の壁に激突でもしたら、最悪の場合死ぬぞ!」
「は、はい。
分かりました……」
ルーフは多少気持ち悪く思いつつも、ファーブにガッシリとしがみつく――と言うよりは抱き抱えた。
その姿を傍から見ると、何だか滑稽である。
(うう……。
こんな姿を誰かに見られたら、笑われるかなあ……)
と、いささか状況にそぐわない、呑気な心配事にルーフは悩む。
自身の命の危険や、もしも町が消えて無くなったとしたら、その後はどうすればいいのか――それらの深刻な心配事は、極力考えないようにした。
とりあえず今は、現実から逃避しないと、やっていられない気分だったのだ。
まあ、彼が取るべき手段としては、それで正解だろう。
何の力も無い彼には、流れに身を任せることが、生き残る為の最善の策であった。




