―終わりの刻―
シグルーンは、ティアマットの結界に向かって突入を開始する。
続いて、クロが準備していた3つの術の内の、1つ目が発動する。
『倍速』
その術の支援効果を得て、てシグルーンは更に加速──。
そして間髪入れずに、クロが2つ目の術を発動する。
『解術』
ティアマットの結界の表面に、細かな波が生じる。
クロは魔法を解除する為の術を使用した訳だが、さすがにティアマットの堅固な結界を解除することはできなかったようだ。
だが、少なからず結界は弱体化しているはずである。
その結界の弱体化した部分に、シグルーンは渾身の力を込めて斬竜剣を突き入れた。
しかし弱体化しているはずの結界から、凄まじい反発が彼女に跳ね返ってくる。
「こっ、この程度……っ!!」
シグルーンはその反発の衝撃に翻弄されながらも、全身全霊を込めてティアマットの結界に斬竜剣を突き入れていった。
結界の表面は斬竜剣の力によって徐々に窪んでゆくが、少しでも力を抜けば瞬く間に元に戻り、シグルーンを弾き飛ばすだろう。
その証拠に、時折シグルーンは結界に押し戻されかけており、それを彼女は気力を振り絞って再び押し返す。
そんな一進一退の攻防が、暫くの間繰り返されていた。
だが、そんな進展の無い状況はいつまでも続かない。
シグルーンの周囲に竜達が集い、そしてティアマットの結界に突入していく。
今彼女が攻めている箇所は、間違いなく最も結界の壁が脆くなっている箇所だろう。
ならばここで竜族が、このまま傍観している理由は無い。
一点に集約された竜達の力を受けて、結界の表面が更に大きく窪む。
「いっけぇぇぇぇぇぇーっ!!」
シグルーンは叫び、斬竜剣の剣先の一点に持てる闘気の全てを集中させた。
彼女の斬竜剣がこれまでに無いほど紅く輝き、その先端がついに結界の壁を抜ける。
直後、ティアマットの結界が、針を突き刺された風船の如く一気に破裂した。
その衝撃でシグルーンをはじめとする、結界に殺到していた者達が悉く吹き飛ばされる。
しかしそれでもなお、ティアマットは悠然と空を舞う。
だが結界が無い今こそが、竜族にとって数少ない攻撃のチャンスであり、勝機であった。
「今っ!!」
衝撃に吹き飛ばされながらもシグルーンは叫ぶが、彼女に言われるまでもなく、カンヘル達もこの機を逃すつもりはない。
既に攻撃の準備は整っていた。
「ゆくぞっ!!」
カンヘルが叫ぶと同時に、竜人達の姿がその場からかき消えた。
次の瞬間、カンヘル達はティアマットの真下10mほどの位置に出現していた。
これだけ密着していれば、空間を歪曲させて術を跳ね返すことも、また術を回避することも困難だろう。
「四元霊降神」
竜人達の中心で輝いていた光球が、ティアマット目掛けて撃ち出された。
無論、それは1秒とかからずにティアマットに炸裂し、周囲は凄まじい閃光に包まれる。
それと同時にクロが最後の魔法を発動し、
『転移』
ティアマットに近い位置にいる者達を、転移魔法で強制的に脱出させる。
もっとも、殆どティアマットと密着状態であったカンヘル達の脱出が間に合うかどうは、奇跡を祈るしかなかったが。
ともかく、カンヘル達の術に呑み込まれたティアマットは、まるで打ち上げ花火の如く凄まじい勢いで上昇していく。
その姿が何者の肉眼でも捉えられなくなった頃、爆音と共に天が白一色に染まった。
その光景をシグルーンは、茫然と見上げていた。
あまりの信じがたい光景を目にした彼女は動くことができなくり、呼吸をすることすらも忘れた。
そしてそれは、他の竜族達も同様である。
この空と大地の境界線にまで拡がるが如き凄まじい爆発が、もしも地上で炸裂していたとしたら、このアースガルのみならずクラサハード王国の国土の大半が、草木の一本も残らないほどの壊滅的な被害を受けていたことだろう。
はるか上空の成層圏で爆発したからこそ、シグルーンや竜族達も今生きていられると言ってもいい。
それは天から降り注ぐ衝撃波の強さからも分かる。
そんなことを想いながら、シグルーンは思わず身を震わせた。
が、すぐにその震えはピタリと止まることになった。
天を見上げる無数の視線の先で、何か巨大な物体がゆっくりと下降してきていたからだ。
「まだ、生きているなんて……」
シグルーンはゴクリと喉を鳴らす。
あれだけの巨大な爆発に巻き込まれながらも、ティアマットはまだ生きていた。
それは想像を絶する凄まじい生命力だと言えた。
しかしそれでも──、
「だが、無傷ではない……!」
自らの攻撃の成功を確信したカンヘルは、力強く頷いた。
ティアマットの身体はズタズタに裂け、所によっては炭化してすらいる。
また、5つある首の3本までもが欠損していた。
傍目にも決して小さくないダメージを、確かに受けていることが分かる。
まだ勝ち目がある──それを悟ってか、竜の群れはティアマットへと更なる攻撃をかける為に殺到してゆく。
しかし――、
「あはははははははははははっ、あっはっはっはっ!」
ティアマットの哄笑が周囲に響き渡る。
それに物理的な力が宿っているかのように、竜族の動きは一斉に止まった。
攻勢に転ずる機会を得てなお、竜族はティアマットの一挙一動に過剰な畏れを抱いていたのだ。
いや、彼女の圧倒的な力を考えれば、必ずしも過剰とは言い切れないが、それでも所詮はただの哄笑である。
哄笑であるはずなのに──。
「おめでたい奴らよ!
まだこの私を倒せるつもりか?
今の攻撃とて、その気になれば喰らわぬこともできたのに、それを私があえてしなかったのが分からぬか?」
「なんだと……?」
カンヘルが呻く。
その瞬間、大気が鳴動した。
それは微弱ではあったが、まるで巨大な爆発の衝撃に似ていた。
「な、何……この震動?」
シグルーンは小さく狼狽えた。
この場にいたティアマット以外の何者も、その衝撃の正体を知ることができなかった。
それは爆発の衝撃に似ていたが、この場から見渡す限りの風景には欠片ほども爆発の姿を見いだすことができなかった。
それにも関わらず衝撃は伝わってきた。
つまりそれは、何処か遠い地の果てで、常軌を逸した巨大な爆発が生じたことを意味するのではないか。
「私は攻撃に集中する為に、そなたらの攻撃をあえて受けたに過ぎぬ」
「な……っ!?」
その言葉を受けて、カンヘルは凍りついた。
今し方の衝撃は、ティアマットが何者かに攻撃をしたことによって発生したものなのだろう。
その標的はこの場にいる竜族ではない。
では、他に彼女が狙うべき標的は何かと言えば、最早1つしか有り得なかった。
「貴様っ、竜宮を……竜王を直接……っ!?」
カンヘルの叫びを受けて、ティアマットは勝ち誇るような嘲笑を浮かべる。
「最早、隕石召喚に吹き飛ばされて、欠片も残ってはおるまいよ……!」
ティアマットのその言葉に、竜族のある者は嘆き悲しんで戦意を喪失し、ある者は怒り狂いティアマットに突進し、またある者はただひたすらに茫然としていた。
自らの指導者を失った竜族は、この時完全に統率を失ったのである。
「さて……残りは雑魚の掃討……。
簡単な仕事じゃな……」
そう微笑むティアマットの身体は、恐ろしい勢いで再生されていき、すぐに先程受けたダメージを全く感じさせなくなった。
「終わりか……」
カンヘルのかすれた声が、風の音にかき消される。
最早、ティアマットと相対する全ての者が、絶望せざるを得なかった。




