―引き分け―
(こ……こんな力が僕にあるなんて)
ルーフは自身の首を締め上げる自らの手の、恐るべき膂力に驚愕を禁じ得ない。
このままではあと数分も待たずして、絞め殺される。
いや、それだけに留まらず、このままでは喉笛を握り潰され、最終的には首さえももぎ取られるのではないか──そう思えるほどの怪力だ。
(……こんなところで、まだ死ねない。
……せめてあいつを倒さないと、もっと多くの人が死んでしまう……)
ルーフは必死で意識を保とうとした。
しかし頸動脈を締め付けられ、脳に届く酸素は確実に不足していっている。
最早、精神力でどうにかなるものではない。
急速に意識が遠のき、そして意識を失ったが最後、そこで彼の命は終わるだろう。
「ゲームオーバーだ♪」
「グウウウゥゥゥ……!」
楽しげなラーソエルの声が上がるとともに、より一層強力な力でルーフの喉は締め上げられた。
そして、ついに意識を失いかけたその時――、
「!?」
凄まじい激痛によって、ルーフの意識がわずかに覚醒する。
「あらら……力を入れ過ぎちゃったか……」
ルーフの右手がダラリと垂れ下がった。
筋肉組織が断裂したのだ。
本来、人は自身が秘めた能力の全てを使用しておらず、眠らせてているのだという。
何故ならば、眠っている能力を全開にして使えば、そのあまりの大きな力に肉体が耐えきれないからだ。
だから普段はその能力は眠らせておき、本当に必要な時にだけ瞬間的に引き出すのである。
俗に「火事場の馬鹿力」などと呼ばれる物がその1つだ。
先程までのルーフの両腕は、その眠っていた身体能力を最大限に解放していた。
通常の彼の腕力では人を絞め殺せるほどの力が無かったので、ラーソエルが無理矢理引き出したのだ。
しかし、結局非力な彼の筋肉組織では、その力に耐えきれなかったという訳だ。
もっともこれは、不幸中の幸いだったと言えるだろう。
たとえ暫く右手が使い物にならなくなったとしても、先程よりは確実に死は遠のいた。
「う~ん……。
片手1本で、しかもあまり力を入れ過ぎるとすぐ切れちゃう……か。
このゲーム、攻略はなかなか難しいなぁ。
でも、なんとかなるさ」
「クッ……!」
しかしまだルーフの左手が、自身の喉を絞め続ける。
これをどうにかしなければ、状況は何も好転しない。
(……確かにあいつは精霊を操るみたいだけど、僕だって半分は人間だ。
完璧に支配できる訳じゃない……。
それにお母さんからから受け継いだものを……。
あいつの好き勝手になんかさせないっ……!)
ルーフは必死の想いで、左手を自らの意志で動かそうとした。
するとわずかに、喉を締め上げる力が弱まったように感じられた。
(……動く!)
抵抗が可能であることの確証を得たルーフは、更に左腕に力を込める。
それは肉体的な力ではない。
精神的な力だ。
肉体に眠っている力があるのならば、精神にだって眠っている力はあるはずだ。
それを引き出すことができれば、ラーソエルの支配にだって打ち勝てるはずである。
ルーフの左手が、徐々に喉からはずれていく。
「そ……そんな……!」
ラーソエルは目の前の光景を、俄には信じることができずに呻いた。
彼の精霊への支配力は絶大だ。
たとえルーフが半分人間だつたとしても、そう易々と抵抗できるものではない。
むしろ人間ならばなおのこと、神の使徒たる彼の力に抵抗できるはずがない。
「ボクの力が効かないなんて……そんなことあるはずないよ!」
狼狽したラーソエルは、ルーフへの支配力を更に高めた。
だが、その結果、
「あぐうっ!?」
ラーソエルの支配と、それに抵抗するルーフの力がせめぎ合うことによって、激しい負担が生じた彼の左手は筋組織が断ち切られた。
その両手はダラリと垂れ下がり、暫くは使い物になりそうもない。
だがルーフの瞳から発せられる闘志の色は、衰えない。
「あ……」
ラーソエルは気圧されたように、息を呑む。
どうにもルーフに勝てる気がしなかった。
確かに彼自身が決めた、「自分からは直接攻撃をしない」というルールを反故にすれば、彼は圧倒的な優位に立つことはできる。
しかしゲームは、ルールがあってこそゲームなのだ。
その決まりを破ることは、彼の主義に反する。
しかしどうやらそのルールの下では、ラーソエルの精霊支配に抵抗する力を得たルーフを倒すことは少々難しいようだ。
が、それはルーフにだって、同じことが言えるだろう。
彼の攻撃は、一切ラーソエルには通用しないはずなのだ。
お互いに有効的な攻撃手段を失ってしまったのならば、現状は膠着状態に陥ったと言って良い。
「ど、どうやら、このゲームは引き分けのようだね。
それじゃあ、今度はハンデ無しのルールで仕切り直そうか」
ラーソエルがそう提案したその時──、
「いや」
ルーフが首を左右に振った。
「引き分けじゃないよ」
「な……何を言っているの?
まさかお兄ちゃんは、その状態からボクに勝つ気なの?」
「うん!」
ラーソエルの顔には、焦り混じりの引き攣った笑みが浮かぶ。
(あいつがボクに勝つ方法なんてない!)
ラーソエルはそう確信していたが、ルーフの表情からは一片の嘘の色も見いだせなかった。




