―生き残る意思―
竜達にも自らの命よりも、大切な何かがあるのかもしれない。
その為に命を懸けて戦うのはいい。
だが、最初から死を覚悟して戦うのは駄目だ。
確かに死をも恐れない者は強い。
いや、怖いと言うべきか。
自身の安全にも頓着しないから、どのような無謀なことでも平気でやる。
やられる側にしてみれば、それはとてつもない脅威だろう。
それはシグルーン自身が、先程の邪竜族との戦いで実感している。
だが、それでもシグルーンは、生きようとしている者よりも弱いと思う。
人が生きようとする意思――そこには大きな力がある。
生きることは決して生易しくことではなく、幸せで穏やかな時ばかりではない。
時として地獄であり、戦いでもある。
それでも生きようと――その命ある限り戦い続けようとする覚悟は、死の覚悟よりも強い。
いや、そうでなければ、生きる力と成り得ない。
竜達の死の覚悟と、200年もの時を越えて蘇ってきたティアマットの生への執着――そのどちらが強いのか、それは言うまでもない。
それに竜達は既に死を覚悟して――つまり負けることを覚悟している。
ある意味最初から勝つつもりがないのだ。
それはティアマットとの、あまりにもな絶望的な実力差故なのだろうが、そのような心持ちの者達が、果たして如何ほどの能力を発揮できるのだろうか。
既に絶望している者の力など取るに足らない。
生への執着も、勝利への執念も持たない者には戦う資格すらない。
たとえ戦っても、多くは生き残れはしまい。
しかも犬死にだ。
シグルーンはそう考えている。
「この戦い、今のままのあなた達に、任せる訳にはいかないわ……!
戦うのなら、生き残るつもりで戦いなさい!
死ぬつもりで戦うなんて、絶対許さないわっ!」
シグルーンは叫ぶ。
それは竜族に対する非難からではない。
願いから来るものだ。
彼女はもう誰にも死んで欲しくはないのだ。
「何の為にリザンが命懸けで、邪竜王と戦ったと思っているの!?
これ以上犠牲を増やさないようにする為のはずよ。
あの娘の気持ちを無駄にするようなことは、絶対に許さない!!」
「…………」
その言葉を受けて、カンヘルは小さく頷くしかなかった。
「……あなたの言葉は、しかと心に留めておこう……。
しかしティアマットが命を惜しんでいて、勝てるような相手ではないことも理解してもらいたい。
だが……生きる努力はする。
……これで、そこを通してくれるかな?」
「まだ、駄目だな」
シグルーンが返事をする前に、その背後から返事が返ってきた。
「「「ファーブニル(様)!?」」」
シグルーンの背後からファーブが姿を現した。
その接近を感じさせないほど、唐突な出現だ。
「あんた達にはこの戦いは任せられない。
……っていうか、俺独りで十分だ。
ここは俺にやらせてもらおう」
「馬鹿な、相手はあのティアマットだぞ!?
それこそ死にに行くようなものだ!」
カンヘルは声を荒らげた。
ティアマットに単身で挑んで勝てる者など、おそらく今のこの世には存在しない。
ファーブの言葉は無謀もいいところだ。
「まあ……俺も今更命は惜しくないが……。
だが、あんたらが束になって邪竜王にかかるよりも、勝算がある。
だから提案しているんだ。
それにあんたらに、何もするなという訳でもない。
俺に秘策があるんだが、乗らないか?」
(ファーブニル様……)
シグルーンが見る限り、ファーブの顔には並ならぬ覚悟の色があった。
おそらく目の前でザンを失った彼にとっては、その仇を討つ役目は何者にも譲れないのだろう。
たとえそれが、ザンの身内であるシグルーンにさえも。
200年近い時間をザンとともに過ごしてきた彼と彼女の間には、血よりも強い絆があるのかもしれない。
だからこそ、命を懸ける覚悟がある。
それでいて、ファーブの顔には、確かな自信の色も見える。
ティアマットを確実に倒す術が、本当にあるのかもしれない。
カンヘルは暫し無言でファーブの顔を見つめていたが、やがて静かに口を開く。
「言ってみろ……」
そんな彼の口調は、他者に頼らざるを得ない自分達の、不甲斐無さを嘆いているようでもあった。
「…………結局、数の力に頼るか、ファーブニルよ」
ティアマットはわずかに失望したような口調で呟いた。
今、彼女は無数の竜に取り囲まれつつある。
じきに彼女へと向けて一斉攻撃が始まるだろう。
それはティアマットの能力をもってすれば、どうにでもなる。
ただ、気になるのは彼女を取り囲む竜の群れの中に、ファーブの姿が見えないことだ。
(まさか、逃げたとは思えぬが……。
おそらく……この竜族は囮じゃな。
何処ぞに身を隠して、我が不意を突こうという魂胆であろうが……。
そのような手で、私をどうにかできると思うておるのか……)
ティアマットは嘲笑めいた笑みを浮かべた。
「どのみち、すぐにケリはつく。
我が不意を突けるほどの、暇があれば良いがのぉ……」
ティアマットの身体から、膨大な魔力が溢れ始める。
彼女にとっての本当の戦いは、今これから始まろうとしていた。
ファーブは空高く舞い上がっていた。
いや、まだだ。
彼は更に更に高く上昇する。
やがて彼の周囲にからは、一切の音が消え、そして下方の青い世界を除いて、周囲の全てが星空に変わった。
大気も無く、そして温度すらも無いに等しい死の空間――そこにありながらも彼は、悠然と眼下を見下ろした。
今やはるか彼方に小さく見えるが、しかし広大な大地の中に、彼の第3の眼は倒すべき敵の姿を確かに見ていた。




