―潰える復讐―
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シグルーンの極限冷凍波は、リヴァイアサンに対して絶大な効果を発揮した。
『お……おのれぇぇ……!』
だが、それでもリヴァイアサンの肉体の全てが、完全に死滅した訳ではない。
そのあまりの巨体が故に、その中心部は極低温の影響を受けなかったのだ。
彼女は動く度に凍りついた全身の皮膚が剥がれ落ちることも構わずに、なおもシグルーン達に向けて迫ろうとしていた。
「いい加減にしつこいわね~。
まあ、奴の装甲は破ったようなものだし、たとえ破っていなくても、まだ手はあるから、もう一押――」
シグルーンの声が唐突に途切れた。
『御館様?』
クロは訝しげに問うが、シグルーンからの返事は無い。
ただ、彼女は茫然とした表情で、クロの頭の上に立ち尽くしていた。
その間もリヴァイアサンは更に迫る。
『よくも……小虫の人間が──下等な闇竜が、妾に楯突きおって!
もう許さぬ。
必ずや貴様らを微塵に斬り刻んでくれる……!』
『な、何だ!?』
クロは上擦ったような驚愕の声を上げる。
何故ならばリヴァイアサンの身体の随所に走る亀裂から、大量の血飛沫が吹き上がったのだから。
しかもその血飛沫は、シグルーン達の攻撃によって吹き上がっているものではない。
それはリヴァイアサン自身の意思によって、凍結を免れた血液を体外に排出しているのだ。
そしてその血液は蛇の如き形に束ね、彼女の身体に巻き付くように、凄まじい勢いで回転している。
おそらくそれは、鋼鉄すらも斬り裂く鋭さを有していることだろう。
それはまさに血で形作った刃であった。
『我々を倒すためならば、命もいらぬという訳か……』
クロは気圧されたように呻いた。
リヴァイアサンは自らの命と引き換えに、シグルーンとクロを道連れとする――それ以外の選択肢を捨てていた。
それほどまでに彼女は追い詰められていたが、だからこそ自身の生命さえも顧みない捨て身の攻撃は、軽く見ていいものではない。
『クハハハハハハハハ!
妾の血の最後の一滴まで、絞り尽くそうとも構わぬ。
貴様らも共に地獄へ行こうぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』
血の刃と狂気じみた哄笑を身に纏いながら、リヴァイアサンは再びシグルーンとクロへ目掛けて特攻を敢行した。
最早、自身の身を守ることすらも思考の埒外となっている彼女の、その突進力は凄まじい。
おそらくその勢いのまま激突すれば、自らの肉体すらもが原形を留めぬほどの、凄まじい衝撃を生むのではなかろうか。
まさに巨大な砲弾だ。
『お、御館様っ!』
主の指示を仰ぐようにクロは叫ぶが──、
「黙っていろっ!!」
しかし返ってきたのは、シグルーンの激しい怒声であった。
『お……御館様……!?』
クロは思わず身を竦ませる。
彼は知らない。
長く仕えてきた主が、これほどまでに怒りの表情を露わにしている姿を。
彼はシグルーンから発せられるあまりの怒気を受け、全身の皮膚に有りもしない鳥肌が立ったような錯覚を感じた。
「よくもっ!」
シグルーンは叫ぶ。
そして迫り来るリヴァイアサンに向けて、膜状に結界を展開――。
逃げも隠れもするつもりは無いらしく、真っ正面から受け止める。
『無茶だっ!!』
クロは悲鳴を上げた。
その刹那、凄まじい衝撃が周囲の空間を支配する。
そのあまりの衝撃に、その爆心点の真下の大地が粉々に砕けて空に舞い上がった。
だが、それでもシグルーンの結界は破壊されることなく、リヴァイアサンを受け止めた。
かつてタイタロス皇国の皇都を消滅させた、隕石召喚の爆発すらも耐えきった彼女の結界だ。
リヴァイアサンの突進を受け止めることは、決して不可能ではない。
しかしシグルーンの怒りに燃えた心には、そんな勝算など最初からなかった。
ただ、無我夢中だった。
「よくもぉぉぉっ!!
貴様が邪魔してくれたおかげで、姉様から預かった大切な姪の気配が……この世界から消えちゃったじゃないのよぉっ!!」
ザンの気配が無かった。
シグルーンが気配を探っても、この世界の何処にもザンの気配を感じ取ることができなかった。
この世界に気配が無い──つまりは存在しない。
つまりは……死――。
あまりの怒りに、そしてあまりの悲しみに、シグルーンの目に涙が滲む。
この耐え難き現実を、どう受け止めていいのか分からない。
(ファーブニル様は、間に合わなかったっていうの……!?)
シグルーンの結界が軋む。
リヴァイアサンの突進を受け止めたとはいえ、その突進自体はまだ止まらない。
衝突による衝撃でその巨体の随所が潰れ、砕け、折れまがった背骨が皮膚から突き出てさえいたが、それでも彼女は止まろうとしなかった。
だが、シグルーンも引くつもりはなかった。
彼女は結界に更なる力を注ぎ込む。
結界はリヴァイアサンの巨体を、包み込むように広がった。
いや、まさに閉じこめた。
「もう邪魔をするな――――っ!!」
シグルーンの掛け声と共に、結界全体が細かく振動を開始する。
振動――。
たとえリヴァイアサンの強固な皮膚を破壊できなくとも、他に手がある――と、先にシグルーンが言ったのは、先程見たファーブの竜叫壊波よりヒントを得たこれのことである。
いかにリヴァイアサンの皮膚が強靱で分厚いものであろうとも、振動はその皮膚自体を波立たせ内部にまで伝わる。
むしろ凍結して、衝撃を吸収するような柔軟さがない今の彼女の皮膚ならば、その振動の伝播によるダメージはより顕著なものとなるだろう。
そして激しすぎる振動は、分子の結合力をも崩壊させ、更に――、
『アアっ、アアアっ、アアアアアアアアァァァァァ――――っ!!』
リヴァイアサンは絶叫を上げるが、それも激しい振動音が容赦なくかき消していく。
しかしかき消えてはいても、それは間違いなく断末魔の声だった。
先程まで半ば凍結していた彼女の身体が、今度は瞬時に沸騰していくのだから無理もない。
あまりにも激しく振動する結界から発生した運動エネルギーの高熱が、リヴァイアサンを襲っていた。
分子分解された原子の塵が、今度はその熱によって跡形もなく焼き尽くされてゆく。
『アアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!』
凄まじい振動と熱の中、リヴァイアサンは最早復讐が成就しないであろうことに対する絶望を感じる余裕すら無く、ただ自身が消滅してゆく恐怖と苦痛に戦き、叫び続ける。
だが、それも徐々に弱々しくなっていき、やがて途切れた。
シグルーンが結界を解くと、そこにはあのリヴァイアサンの巨体からは比べものにならないほど、わずかな灰しか残っていなかった。
その灰も風に吹き散らされ、すぐに見えなくなる。
シグルーンは、そんなリヴァイアサンの亡骸が消えゆく様を、未だに激しい怒りのこもった視線で眺めていた。
しかし灰が乗った風の行く先を何気なく目で追っていた彼女の視線は、その先にあるものを見つけて、更なる怒りの色に燃えた。
「今頃になって……!!」
シグルーンの視線の先にある空には、数千を数える竜の群れの姿があった。




